- Amazon.co.jp ・本 (148ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003262221
感想・レビュー・書評
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戯曲。とても短い。
正直、よく分からない。多分この頃のロシアの社会情勢のようなものが分からないと、分からない話なのではないかと思う。
解説を読んでなんとなく…あくまでなんとなくのレベルで、そう思った。
「エレーナ(ヒロイン…と言って良いものか)への言い寄りが大きく前面に出てエレーナの『貞操』などという作者の意図とはおよそ正反対な美徳の称揚となる」ことはとんでもないとのこと。
そういえば新訳で読んだ『かわいい女』も全然かわいくないんだけど…と思った。
このチェーホフの新訳本、途中まで面白く読んだのに行方不明になってしまっている。
もう少しロシアの小説を読み込まないと、と思う。
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初めてチェーホフを読んだのは十九二十歳の頃。
『桜の園』を読んだのだが、その良さをさっぱりわからなかった。「チェーホフは面白い喜劇らしい」という思い込みがその頃あったように思う。そうした先入観やフレームで読み始めた。それがミスマッチの元だったように今は思う。
今回『ワーニャおじさん』を読み、異なる人物像と生き様がひとつの場で交錯。その様を味わう面白みを知った。
登場人物はみな多面的だ。
セレブリャーコフは大学教授だが大人気ない言動でインテリゲンツィアらしからぬ男。深い人格を備えた…とは言い難い人物。
ソーニャは純情だが幸薄い娘。
ヴィニーツキフは地道に働き続けてきた実直な男だが時代の変化に取り残されし者。
エレーナは超美人だが主体的な生き方が出来ずにいる女。
斯様な具合で、人物像の造型が一面的でない。
思えば人間は、彼はAという性格なり、と割り切れるほど単純なものではない。Aという面と同時に、逆なるBという面を併せ持つものである。そのことに思いが至るようになって読むとチェーホフの人物像の多面性にリアリティを感じるのであった。
チェーホフ初読から30年以上を経てのチェーホフ再会再読。矛盾を抱えた人間造型のおかしみ。それがチェーホフ作品の楽しみ方ということに思い至った。
本作は19世紀も末1898年の刊行。ドストエフスキーの作品の泥臭さや大地の匂いに比べて洗練の度をふかめた近代らしさを感じた。 -
自分の信条に沿わない人は「生きているつもり」に見えるけれど
それでも全員がいま、ここに生きていることの表象、強度!!
何度も読み返して、もっと彼らの絶望を感じたい -
チェーホフは悲劇が多い
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全体的に閉鎖的な雰囲気が漂っていて、この屋敷がそして当時のロシア自体が逃げ場のない監獄のように感じた。
さりげなくロシアの社会批判を入れたり問題提起をしているところにもチェーホフの力量を感じた。
あとやっぱり美人ほど怖いものはないなと思った。 -
最後が哀切。
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やっぱり戯曲はぴんとこない
終わり方は好き
ソーニャとワーニャおじさん地味な2人が残りしんとするかんじ -
ストーリーについては『桜の園』の方が面白かったとは思う。
表紙に「時代の閉塞状況に悩む人々の心に強く訴えかけ」云々とある。今がそういう時代かはよく分からないけれど、何故アーストロフやワーニャが「ひたすら生きていくことを決意」する結末になるのか、イマイチ分からなかった。p107 l1-4のセリフは結構好き。 -
622-2 小野理子訳