伝奇集 (岩波文庫 赤 792-1)

  • 岩波書店
3.80
  • (162)
  • (148)
  • (209)
  • (23)
  • (5)
本棚登録 : 2657
感想 : 190
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279212

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 山尾悠子の「遠近法」と舞台が似ているという「バベルの図書館」が読みたくて手に取った。以前アンソロジーで読んだ「円環の廃墟」の良さがわからなかったので(一口だけ食べて)食わず嫌いをしていたボルヘス。今回も初めはなかなかのれなかったのだけれど、前回今一つだった「円環の廃墟」でようやく面白くなってきて、読み終えることができた。諦めないでよかった。

    波長が合わない話は「アイデアはわかるけどそれを面白いと感じる感性が自分にはない、無」となってしまう。自分は独特な世界の詳細をよろこび、その設計図にはあまり興味を惹かれないのだろう。ただ、たとえばバベルの図書館の世界やメナールが書こうとした現代の『ドン・キホーテ』が見えたときは、大学でギリシャ哲学を学んだときの驚きと似た心地よさがあったのは新鮮だった。平たく言うと「よくこんなこと考えついたな!」という驚き。正直に言うと自分にはそれ以上の感動はなくて、小説として心から面白いと思える人がうらやましい。

    推理小説風の短編群は、通常の小説を読むモードでも読める。最後に頭の回転扉がぐるっとするようなひねりがあって、どれもわりと楽しく読んだ。

    今回面白く読んだのは、「円環の廃墟」「八岐の園」「記憶の人、フネス」「南部」。「円環の廃墟」を面白く読めたのは、主人公の取った方法が「寝る」なのが可笑しかったからかもしれない。それで物語に集中できて、最後に「おお円環だ」と満足できたのかも。

  • 6月くらいになんとなく手にとったボルヘスの本。
    なかなか手ごわい。と、併読していた「異星人の郷」がなくなる。で、次に手にした「愛おしい骨」もすぐにどこかへいく…。
    うーん、脇目をふらずにちゃんと読め!というボルヘスからのお叱りなの? ということで集中しようとすると、今度は肝心の「伝奇集」が見当たらない!
    ああ、バベルの図書館の奈落へと本が消えていったのか…。
    と8月に入ったある日、鞄の中からひょっこりとあらわれる「伝奇集」。
    え?鞄の中、散々探したはずなのに。
    これこそボルヘス的読書体験…というか、ちゃんと本の管理しろよ、俺!

    ボルヘスの本は、言葉がイメージを喚起するのを阻み、言葉がそのまま脳に入ってくる。
    たとえば、「バベルの図書館」。図書館の描写が細かくされているが、それはその図書館をイメージさせることなくその記述だけがじわじわと混乱をさせる。
    情景を言葉で描写するのではなく、言葉を重ねて情景を作り上げる、いや、言葉を重ねて重ねて情景を思い浮かべようとするのを拒否する。
    これが読みにくくてしかたないのだが、一線を超えるとなんだか気持ちいい。

    殺人と暗殺、決闘、裏切りと処刑、嘘と欺瞞・・・死の匂いがぷんぷんする短編。
    頭の中では、ピアソラのタンゴが鳴り響く
    ・・・なーんていう言葉で誤魔化すのはカンタン、
    でもそんなに難解かというとそうでもない。いくつかに分類できる。


    a.実在しないもの、実在しえないものを記述する試み
    「トレーン、ウクバール・・・」「バベルの図書館」

    b.もともとありもしないもの?曖昧なものについて
    「バビロニアのくじ」「フェニックス宗」

    c.暗殺、殺人に関するもの
    「八岐の園」「裏切り者と英雄のテーマ」「死とコンパス」

    d.ナイフで刺されるもの
    「結末」「南部」

    e.実在しない本、著者に関するもの
    「アル・ムターシムを求めて」「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」「ハーバート・クエインの作品の検討」

    f.うーん、まあ普通に奇想かなあ。
    「刀の形」「隠された奇跡」

    g.なんか眩暈を感じるもの。
    「円環の廃墟」

    g.遠くから見ると蝿に似ているもの。

    ・・・最後は「支那の慈悲深き知識の宝典」からの動物の分類でした。分類失敗。

    h.翻訳のせいで難解なのではないかと思われるもの。
    「伝奇集」

  • 数年ぶりに再読。
    面白いなぁ、と感興を覚えるのに、
    一編読了して一旦本を閉じると、もう内容を忘れている……
    そんな奇妙な本。
    作品集『八岐の園』と『工匠集』を収録。
    後者は読み物として、より洗練されている気がするが、
    個人的には『八岐の園』編が好み。

    【注】以下、ところどころネタバレ感もあります。

    ■八岐の園「プロローグ」

     > 長大な作品を物するのは、
     > 数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、
     > 労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。
     > よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、
     > 要約や注釈を差しだすことだ。(p.12)

     という言葉どおりに、虚構の何ものかを
     あたかも実在するかのように短く叙述し、論評する形式がメインの作品集。

     どんなに長大な物語も要領よくコンパクトに語ることは可能だ――の実践。
     但し、端折るのではなく、極大から極小へ「超」圧縮する方法で。
     やってみたら、小さいが非常に重い、異様に高比重な金属の円錐体が
     姿を現すのかもしれない……なんちゃって。

    「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」
     百科事典の海賊版に潜り込まされた架空世界「トレーン」の項目。
     そこに存在するという物質が、語り手の座す「現実」を侵蝕し始める。
     いつの間にか異物がジワジワ充満していく静かな恐怖。
     ……あれ、これSF(笑)?
     余談になるけど「輝く金属の円錐」=「きわめて重い物体」(p.37)に似たものが
     野阿梓「アルンハイムの領土」に登場する(後で巨大化するが)。
     -----*引用*
      ゴルフボールほどの大きさだが、途方もなく比重の高い物質だった。
      鉛ではない。いや、金属ではなかった。
      なにかとても重い元素を含んだ鉱石だろうか。
      きれいに球型に研磨され、表面はところどころ、いぶし銀の光沢をおびている。
     -----*引用ここまで*

    「アル・ムターシムを求めて」
     ボンベイの弁護士が書いたという(架空の)小説『アル・ムターシムを求めて』評。

    「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」
     架空の文学批評。
     ピエール・メナールなる作家が
     セルバンテスに成り切って『ドン・キホーテ』を作出した、
     という設定で、それと本家を比較して論じた体裁のパロディ。

    「円環の廃墟」
     夢みることで一人の人間を創造しようとする男の話。
     彼もまた、同じように夢の中で育まれた者だった。
     美しい単性生殖のイメージ。
     萩尾望都の幻想的な短編マンガに似た感触。

    「バビロニアのくじ」
     くじ引きに生活のすべて、延いては運命までを委ねる人々は、
     国そのものが危うい偶然によって存立することを悟る。

    「ハーバート・クエインの作品の検討」
     作家ハーバート・クエインの作品評という体裁のフィクション。
     架空のテクストの本文を「引用」することで短編小説を構築している。
     語り手=ボルヘスは
     クエインの四作品の一つ「提示」を基に自身の「円環の廃墟」を執筆したと述べ、
     虚構と現実の境界を曖昧にして読者を煙(けむ)に巻く。

    「バベルの図書館」
     六角形の閲覧室の積み重ねという構造の「バベルの図書館」
     あるいは「宇宙」と呼ばれる巨大図書館について、
     そこで暮らし、末期(まつご)を迎えつつある老人が述懐する。
     彼は他の死者同様、中央の換気孔から無限の奈落に投げ落とされるだろう。
     もしかするとボルヘス自身が「出来ればそんな風に死にたい」という
     夢想を抱いていたのだろうか……と想像する。

    「八岐の園」
     第一次世界大戦中、英軍のある作戦実施が延期された理由。
     歴史の裏に隠された逸話という体裁のフィクション。

    ■工匠集「プロローグ」
     > ハーバード・アッシュが幻の百科事典の第十一巻を受け取り、(p.143)
     →「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」参照。

    「記憶の人、フネス」
     事故の後遺症で、見たもの・読んだこと、
     すべてをそのまま記憶できる驚異的な能力を得た男が、
     それ故に「忘れられない」「気持ちが安らがない」苦しみを味わう。
     あらゆる事象は何ら噛み砕かれずに漠然と記銘されただけでは
     その人の知恵にはならない――という皮肉な話。
     
    「刀の形」
     顔に弧を描く刀傷、その由縁とは。
     語り手が聞き手であるボルヘスに騙った――という体裁の短い話。

    「裏切者と英雄のテーマ」
     劇場で暗殺された謀反人の話……を書こうと考えて綴った構想メモ、か。

    「死とコンパス」
     敏腕刑事が残された手掛かりを元に連続殺人事件を解決しようとするが、
     罠に嵌ってしまう話。

    「隠れた奇跡」
     ナチスによって銃殺が決まった作家に起きた奇蹟。
     神の恩寵で時間が停止したため、その間に作品を完成させるが、
     死は免れ得なかった……ということは、
     作品は書き起こされず、彼の頭の中だけにあり、共に昇天したのか。

    「ユダについての三つの解釈」
     ユダの裏切りは必然だったと説いて反論を受けたルーネベルクのこと。

    「結末」
     弟を殺された男の復讐の顛末を、不自由な身体で見守る雑貨商。

    「フェニックス宗」
     フェニックス宗と呼ばれる謎の宗派の話。

    「南部」
     傷を追って入院し、治療を受けて退院した男が、
     アルゼンチン南部の農場へ帰ろうとする。
     列車が予定の終点まで行かないと知らされ、
     降ろされた手前の駅近くの店で食事を取ると、
     店員にちょっかいを出され、挑発され、しかも、
     南部独特のマッチョな空気、風土に後押しされるようにして、
     ナイフでの決闘に挑む羽目になる――という不条理な話だが、
     あるいは朦朧とした意識が彼に見せた胡蝶の夢なのではないか。
     いずれにせよ、彼は愛する「南部」に身を委ね、殉じ、合一するのだろう。
     そう考えると奇妙にエロティックな物語である。

  • 感想があまりまとまっていない…

    たまたま出かけることがあり森下の古書店で購入。
    本書は、「八本脚の蝶」で著書が挙げていた3冊のうちの1冊だった。
    短編小説集で、1つ1つはかなり短めの小編となっており、その意味では通勤の車内などでも読みやすかった。ただ、短編を読み終えた後、話の筋が理解できないというわけではないが、今の話の含意するものは何だろう…と思い返すと、すぐには解題できないように思われるものもあった。混乱の原因のうちには、(あえてそうしているのだろうし、本質的ではないと思われるけれど、)あまりなじみのないキリスト教やユダヤ教、ラテン語等の学者たちの固有名がたくさん登場したりするだけでなく、架空の著者や著作、架空の世界が、さも現実のことのように記載されていたりすることがあるだろうと思う。
    一度読んだだけで、ボルヘスの意図したことを全て読み取るのは困難だと思う。それに、これらの作品に共通するテーマのようなものがあるわけでもないと思う。それでも、おぼろげに、何となく次のような感想を持った。実際の事物や出来事よりも、人はそれらを言語で表すのだから、世界は人間が言葉で想像したり表現したりするそのままであるようにも思われるし、一方で、そうしたやり方にかなりの危うさがある。本書を読んで、もっともらしく思われたり、一方でとんでもなく現実離れした理想や、悲劇を想像しているように感じたりするのは、そのためではないか。「トレーン、…」、「円環の廃墟」、「バビロニアのくじ」、「死とコンパス」や「フェニックス宗」などを読んでそのように感じた。「バビロニアのくじ」「フェニックス宗」は、くじであらゆることを決めることにした社会や、架空の宗教についての話だが、前者はくじでその者の運命を決める仕組みであったはずが、それが複雑になりすぎて、もはやくじがあってもなくても同じような状態になっているように読めるし、後者も架空の宗教(宗派)があると言いながら、ほとんどの人に共通する何かを表しているに過ぎないようにも読めた。
    もちろん、私の読み方が間違っているかもしれない。けれど、間違った理解のまま述べると、つまり、何かが存在しているようで、実のところそれはただ現実を言い換えただけのことに過ぎない、ということを表現したかったのかな、との感想を持った。そして言葉というのは、本来そういうものであって、限界でもあるし権能でもあるということなのだろうか。
    また、その他いくつかの編に共通するものとして、循環や永劫回帰の要素が挙げられるように思う。「結末」「死とコンパス」「ハーバート・クエイン…」などがそうではないか。最後まで読むと、冒頭に続くとか、逆行して意味付けをするとかいう展開になるようなもの。その意味で、ボルヘスが推理小説にも興味があったという解説があったが、なるほど推理小説も似ている要素があるのかもしれない。ただ、推理小説では唯一の正解しかないのに比べて、ボルヘスの小説では、時間の流れに逆らって、あるいは時間ということをかなり意識してなのかもしれないが、可能性のある(無限ではないかもしれない)たくさんの分岐があることを示唆している。というよりむしろ、循環というより、分岐がテーマといった方が良かったのかもしれない。

  • ポストモダンがなんであるか、いまいち掴めてはいないけど、このボルヘスの『伝奇集』を読んで「ポストモダンは大体わかった。」
    と、師匠に言ったら「わかるかぁ!!」とちゃんと神林さんばりにツッコまれたので嬉しい。が、事実、ポストモダンは大体わかった気がした。

    ボルヘス、以前『幻獣辞典』を読んだだけだけど、あれはほんとに辞典なので、小説を読むのは初。
    最近できた読書家の友人が『エルアレフ』が面白かったと言ってたので、寄せてくためにまずは『伝奇集』から読むかなと。

    最初の『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』が難解かつ注釈が膨大なので多少戸惑ったが、慣れていくと、そして物語の構造を理解するにつれ普通に読めるようになってきた。読みにくいものと読みやすいものがわりとはっきりしている。

    序盤を読んでる時から気づいたキーワードとしては「無限後退」の世界だということ。物語の中でボルヘス氏が(もちろん違う語り手の場合もあるが)、実在するものも架空のものも含めて膨大な書物を積み重ねて、架空の書物をあたかも存在するかのように編む。偽書とも言うけど。
    そうすることで、現実と幻想の境界線がどんどんぼやけてくる。コンピュータ用語で言うネスト、入れ子構造。
    その入れ子が無限に連なる感覚が、読んでる「僕」を浸食してくるので、読者側の現実世界もこの入れ子の一部になる。
    読むとすぐ眠くなるのだが、これを読みながら寝てしまうと最悪(いや、最高か)。夢の中までボルヘスに浸食されてしまう。

    これをメタフィクションと言っていいものか微妙だけど、そう言った方がわかりやすいのかも。
    ポストモダンが何であるかはいいとして、僕たちはそれ以降の時代に生きている。音楽だとフリッパーズギター(はっぴいえんど〜大瀧詠一)、タランティーノの映画、エヴァンゲリオン。
    ヌーヴェルヴァーグ〜ウディアレン(第四の壁破り)〜タランティーノ(時系列シャッフル)とつながっているし、全ては関係している。

    代表作とされている『円環の廃墟』『バベルの図書館』よりも、『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』や『ハーバート・クエインの作品の検討』、『記憶の人、フネス』や『ユダについての三つの解釈』などの方が面白かった。
    最後の『南部』は、ボルヘスが頭を大怪我した時のことが綴られているので、切ない。

  • アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集。巻末の解説によれば、本書は邦訳されているボルヘスの作品集としては最良のものであるらしい。本書は大きく分けて2つの短編集『八岐の園』および『工匠集』からなり、それぞれ8編と9編の短編からなる。

    本書全体に通底するテーマとなるとなかなか見いだしづらいものの、著者自身が冒頭で述べているように、本短編集を貫くものは史実に対して大胆にフィクションを外挿するその手法である。その代表はやはり冒頭の『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』だろう。

    『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』は、「ウクバール」なる架空の国に関する記述が混入した百科事典を叙述者が探し求めるところから始める。作中の人物の一人が以前「ウクバール」なる国家に関する記述をある百科事典で目にしたといい、叙述者はそれを探し出す。その記述にその百科事典のその版にしか存在せず、また記述は微妙に具体性を欠き、架空の国家に関する記述を何者かが事典に混入させたということが示唆される。さらに「トレーン」なる架空の天体に存在する文明に関する百科事典「オルビス・テルティウス」に話は移る。叙述者は、ある秘密結社が、「トレーン」なる架空の天体を創造し、それに関する百科事典を編纂しようと試みたことを述べる。その架空の百科事典は、物語中の世界においてその精密さのため現実に対して影響を与えており、創造されたトレーンの文化や思想が現実を繭蝕していることが述べられ物語は終わる。読者は、物語の中の叙述者が、物語の中でのフィクションである「トレーン」、およびその網羅的な記述である「オルビス・テルティウス」が物語の中の現実を蝕む様子を物語の外から観察することになる。その頃には読者はこの短編そのものが我々の現実に対する大胆な浸食となっていることに気がつくことになる。この重層的な構造はこの短編集の一つの大きな特徴と言えよう。

    このような手法は現代のフィクションに横溢しているものであるが、その原点の一つがボルヘスによるこの短編集なのであろう。忙しい日常の合間に、非日常のひとときを楽しみたい全ての人におすすめ。

  • エーコ『薔薇の名前』を読んだ際に、本作の登場人物のモデル(盲目の老人ホルヘ)や、迷宮図書館の元ネタである、とあったので手に取る。
    アルゼンチンの作家の本を読むのは、コルタサルの『動物寓話集』以来。

    「バベルの図書館」はとんでもない発想。全ての書物は既に書かれ宇宙に所蔵されたものであるのだ。
    存在しない本について語る数編は、「つまりどういうことだってばよ?」となる感覚が楽しい。
    ミステリーのような読ませ方をする「八岐の園」「死とコンパス」。特に後者はそのまんま、『薔薇の名前』の血肉になったのではないか。

  • 左脳と右脳を最大活用しながら読む、新しいタイプの作家。脳がフルスロットルされる感覚が気持ちいいのと、分からないものは分からない。

  • ボルヘスの短編集。幻想的な世界を中心に描かれている。いくつかの短編は現代の分類で言えばSFと呼んでも良いような思弁的な作品もあった。バベルの図書館、円環の廃墟、記憶の人、フネスなどは面白かった。

  • 迷宮。要再読。

J.L.ボルヘスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×