創造者 (岩波文庫 赤 792-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279229

作品紹介・あらすじ

詩人として出発したボルヘス(一八九九‐一九八六)がもっとも愛し、もっとも自己評価の高い代表的詩文集。内的必然にかられて書かれた作品の随所に、作者の等身の影らしきものや肉声めいたものを聞くことができる、ボルヘスの文学大全。一九六〇年刊。

感想・レビュー・書評

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  • ボルヘス作品は難解だと噂に聞いて尻込みしていたのですが、読書家の知人に薦められて読んでみました。いや~素晴らしくて感激です! 彼の迷宮と宇宙観、時空の広がり、空(くう)や夢のような世界に惚れぼれしました。私には訳者の解説のほうが難解でよくわかりませんでした(汗)。

    この本はボルヘス自身も納得の仕上がりとなった詩集のようで、前半が散文、後半が韻文なので雰囲気の違いも楽しめます。詩人の独特の世界観(や言語の壁)もあるため、すべてを理解することはおそらくできませんが、そのような必要もないと思います。詩人が発する詩情やポエジーの磁場に入ることができれば、ともに響きあうことができれば、言葉の彼岸にたたずむ他者になれれば、もうそれでお腹が一杯です(笑)。

    これに気をよくしてボルヘスの散文作品をいくつか読んでみて、面白い短編もたくさんあって興味は尽きませんが――こんなことを言うのもおこがましいと思いつつ――ボルヘスという人はやっぱり詩人ですね。短編は彼の詩情美の延長のようで、私は彼のエッセンスとなる深遠な詩のほうにより感銘を受けました。
    それにしてもギリシャ神話にはじまり、ホメロス、ヘラクレイトス、ダンテ、セルバンテス、シェイクスピア、アリオスト、ラブレー、モンテーニュ、ショーペンハウアー、ヴェルレーヌ……うらやましいほど豊かな世界に生き続けている人です。繰り返し読んでみたい詩集にも出会えて嬉しい♪

  • 20世紀アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)の詩文集、1960年。

    訳者の「解説」によると、「文体においてつねに精確と簡潔をめざし、個人としての具体的な経験から生じた根源的な感情も抽象化と普遍化をとおしてしか表現しないボルヘス」は、「この世界についての経験のすべてを調和的かつ観念的なヴィジョンによって、或いは絶対的な価値への信仰によって可能なかぎり整序し、純粋な形式もしくは元型を追い求めてきた」(p199)。



    ボルヘスがこの極限まで切り詰められた詩篇によって繰り返し表現しようと試みているもののひとつは、彼も作品中で書いているように「人間という存在者のその影のような虚しさ」であろう。「鏡」「夢」「死」「記憶」「迷宮」「転生」「無限循環」「無限遡行」といったモチーフも、人間のアイデンティティなるものの幻想性を淡々と表出させるために配置されているのだと思う。

    「夢をよそおう夜とさまざまな形の/鏡を神がお造りになったその目的は、/影のような虚しい存在だということを人間に/悟らせるためだった。/それ故わたしたちは怯えるのだ」(p110「鏡」)。

    「わたしもまた、わたしではない。シェイクスピアよ、お前がその作品を夢みたように、わたしも世界を夢みた。わたしの夢に現われるさまざまな形象のなかに、確かにお前もある。お前はわたしと同様、多くの人間でありながら何者でもないのだ」(p80-81「Everything and Nothing――全と無」)。

    ボルヘスの作品には、時間、空間、属性といった具象性の重みが、どこまでも無化されていくような印象がある。超-属。しかし、人間存在の一切の規定が取り去られてしまおうとするまさにそのとき、そこには何もなくなくなってしまうのではなくて、最も elementary な無内容な何か(哀しみなど)が残るような気がする。無内容に到達してしまうそのぎりぎりの境界、透明になって消失してしまうその直前に、最後に残る何か。ボルヘスがそこを目指していたのかどうかはわからないが、彼の作品を読んで感じるあの特有の戦慄は、この「何か」が垣間見えてしまったということに由来するのかもしれない。

    メルロ・ポンティは『知覚の現象学』において、人間の経験や言語の根底にはその前提条件として「身体」があることを明らかにしたそうだが、ボルヘスを読んでいると、それと類比的な人間存在の前提条件、人間が最後までそれをなぞらずにはおれない「形式」があるような気がしてくる。ボルヘスはそこに表現を与えようとしているのではないかと想像してしまう。

    「わたしは思ったが、詩人というのは、/楽園の赤毛のアダムのように、/それぞれの事物に、正しい真実の/いまだ知られざる名称を与える人間なのだ」(p121「月」)。



    もうひとつ、本書のなかで繰り返し語られているのは、人間が言語で以て世界を表現=創造しようなどという企てはそれ自体が法外で破綻に終わるしかない、ということ(「黄色い薔薇」「王宮の寓話」「月」「別の虎」「学問の厳密さについて」「エピローグ」など)。

    「一人の人間が世界を描くという仕事をもくろむ。長い歳月をかけて、地方、王国、山岳、内海、船、島、魚、部屋、器具、星、馬、人などのイメージで空間を埋める。しかし、死の直前に気付く、その忍耐づよい線の迷路は彼自身の顔をなぞっているのだと」(p190「エピローグ」)。

    言語で世界を包含しようとすることに論理必然的に伴う自己矛盾。そこからくる、詩人の、ひいては人間の虚しさ。

    「わたしの仕事道具は汚辱と辛苦である。/いっそ死んで生まれれば良かったのでは」(p183「詩人その名声を告白する」)。

  • 読みたかったのだが絶版、図書館で借りた。すばらしい作品なので復刊希望。ボルヘスの詩集だと難しいのかなあ。
    詩法が好き。
    「時と水からなる河を眺め、
    時がまた別の河であることを思い、
    わたしたちは河のように消えることを、
    顔は水のようにように過ぎていくことを知る。」
    鏡のイメージが多用されている。視力を失っていったというボルヘスが、自身の顔かたちに始まり森羅万象を忠実に写す鏡を胸の中に抱き、リアルでは閉ざされる視界だが創作に際してはイメージとしての鏡を何度も覗き込んでいたのかもしれないと思う。解説では「作品のそれぞれが言ってみれば一枚の鏡」とのこと。

  • 『バベルの図書館』を読んで以来、僕にとっての図書館はその意味を二重化された。書架の詰まった実体としての図書館は概念化されて「図書館」となり、それ自体として単独の宇宙を形成する新たな意味へと開かれた。『伝奇集』に収められたこの奇妙な数十ページは、「図書館」という概念を通して書物と知の関係を一層混乱させる。そしてその混乱は、読むことと知ることに関するいくつかの鮮やかな問いとして立ち上がる。以来、それらの問いに立ち向かい、背負い込むことを選んだ僕は、未だにバベルの図書館から抜け出せず、その無限廻廊を当て所なく彷徨っている。

    有り体に言えば、バベルの図書館とは、これまでに出版され、そしてこれから出版されるあらゆる書物が収められた六角形の図書館である。そこでは全ての書物が「既に書かれたもの」としていずれかの書架に眠っている。そこは完全な秩序を持ったロゴスの充満としての宇宙を形成しており、それぞれの本は一つでありながら全体でもあるというライプニッツ的モナドとして存在している。

    ボルヘスはアルゼンチンの国会図書館の館長を務めている最中、遺伝的な眼疾が悪化し、幾度もの手術の甲斐なく光を失う。失明した彼にとっての図書館が従来の意味から「図書館」へと逸れてゆく道理は、読書人なら想像に難くないはずだ。マッハ的視界、有限の視界を失うことで、「図書館」は無限として迫り来る整然とした宇宙となった。

    本書『創造者』は、ボルヘスが全集出版の折依頼を受けて自身で編纂した詩集であり、雑文集である。鏡、虎、河、夢、月、六角形、などの清冽な象徴を星屑のように散りばめて、彼は人を、光景を、過去を追憶する。

    ボルヘスは概念と抽象の作家である。彼の文学は精確と簡潔を旨として冗長を嫌い、具体を避け、説明を拒否する。しかし、この『創造者』には、確かに生身の、肉体を持ったボルヘスがいる。高鳴る鼓動があり、掠れる声が響いている。本書が「ボルヘスの文学大全」と評される由縁はこの辺りにあるのだろう。

    『創造者』とは、いわばボルヘスによる『一千一秒物語』なのだ。このボルヘスこそ、我々が手を取り合って温もりを感じることを許された唯一の彼である。ここからボルヘスを始めることが、僕の考える正解である。文藝的情緒を余すところなく綴った名訳にも、最大限の賛辞を贈りたい。

  • ボルヘスの中では、詩集というカテゴライズなんでしょうか。詩というよりはエッセイかと思うような散文が大半でした。「王宮の寓話」とかすごく好き。

  • その著作全体を「宇宙」とか例えたくなる人は、それだけで読む前から一定の魅力を読者に与えていると思う。

  • 20代の頃、気まぐれに買った『伝奇集』がとても面白く、期待をもって次に購入したのがこの詩集。何度か読んだもののピン来ず、ハマるものが無かったので終には手放してしまった。
    いま思えば、詩集に注がれるボルヘスの広大な知識を窮屈に感じたのかもしれない。博識な人が読めば2倍も3倍も楽しめる味わい深い詩集なのだと思う。

  • 世界の本質を綴り尽くそうという試みが表すものが結局は自分自身の輪郭であるというのは面白い。
    作者の事物に対する濃縮された感覚を楽しめました。

  • シェイクスピアと神、チェス 、JFKを悼みてなどが好き。
    めまいがするような、この世に生きている根拠はないというような、わたしにはかえって救いに思える言葉たち。

  • 「何かを理解できた」とはとても言えないような読後感だけど、読んでいるうちに無限反復の迷宮に陥ったような気分になったり、ふと自分の中に戻ってきたりという意識の揺さぶりを感じることができる、というのが自分にとってのボルヘス作品の今のところの印象。
    作品の世界と読者としての自分の世界、過去と現在と未来、確実なものと不確実なもの、西洋と東洋、あらゆる感覚がグルグル回って混沌とした世界に放り込まれるようで、その中になにか一貫性を感じる。

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J.L.ボルヘスの作品

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