- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003279267
感想・レビュー・書評
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ボルヘスの最初の短篇集、1935年。表題作は古今東西の7人の悪党=アンチ・ヒーローにまつわる物語。後半の「エトセトラ」は『怪奇譚集』『夢の本』にも通じる不可思議な掌編。
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ボルヘスの書くものには、自己同一性の無化という主題がしばしば見られる。自己同一性を担保するはずの顔/名前/起源がひとつに定まらずにずれていく。仮面による顔の隠蔽、偽名変名による宛先の逸失、迷宮による現在地の不定、鏡による原本の複製。以下の記述は、ボルヘス自身の世界観にも通じるのではないかと思う。
「我々の住む世界はひとつの過失、不様なパロディである。鏡と父親はパロディを増殖し、肯定するがゆえに忌むべきものである」(「メルヴのハキム」)
さらに、ボルヘスの文学観としては、個々の「作者」というものですら不在であるかもしれない。その都度の読書行為がその都度の作品に上書きされそれをずらしていく。その運動の中で、「作者」だとか「原作」だとかいう観念は解消されてしまうのかもしれない。その運動の無限遠において、「読者」と「作品」の区別も解消されていく。それらみな、非時間的で超人間的な《永遠客体》に解消されていく。これは、ボルヘスが描こうとしている自己同一性の無化という事態と並行的ではないかと思う。世界も自我も作品も、その本源だとか同一性だとかという観念は、ただの幻像であると。
「自らの作品を書く勇気はなく、他人の書いたものを偽り歪めることで(時には正当な美的根拠もないまま)自分を愉しませていた臆病な若者――作品はすべてこの若者の無責任な一人遊びである」(「一九五四年版 序」)
「書物に署名するのはおかしなこと。剽窃の観念は存在しない。すなわち、あらゆる作品が非時間で無名の唯一の作者の作品であることが定められた」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」)
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「学問の厳密さについて」が印象的だった。どのような寓意を読み取ろうか。
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「この本は見せかけ以上のものではなく、かつ浮かびかつ消えていくイメージの連続以上のものではない。まさにその理由で、それは楽しい読みものであるだろう」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヤダーン、ウォモシローイ。学生の頃、授業のうまい先生がいると、教科は関係なくワックワックしながら授業を受けたものだが、それよ!
既にある伝記ものから、ボルっちがセレクトし編集。結構変化球つけてるらしいわ。
すっごいすまして真面目にインタビューとか受けながら、実は今すかしっぺしてるし!
みたいなねー、こういうの、好きだわあー。
積極的にボルヘス読んで来てなかったけど、これからはちゃんと読むわあー。 -
【由来】
・図書館でたまたま目についた
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
・吉良上野介だけ読んでみた。短編集で面白そう。
【目次】
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13/10/26 よくわからない。ボルヘスとは何者だ。
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2012年6月13日読み始め 2012年6月23日読了
ボルヘスの最初の短篇集だそうです。悪党や歴史上の「悪人」たちを取り上げて、ボルヘス流の短篇に仕上げてます。
あんまり知らない人が多いので、どのへんを改変したのかわからないのですが、吉良上野介の話はものすごくシュールでした。赤い毛氈に宝石のついた短剣で切腹する浅野内匠頭とか日本人には思いつかない感覚です。
世界史の面白話、というよりは、やっぱりボルヘスの短編としての面白さとおもいます。薄いので読みやすいです。 -
ボルヘスによる悪人列伝。古今東西の文献を漁り、探し出した奇妙な味の列伝で、日本からは吉良上野介が登場している。当然、日本人が知っている物語とは、微妙に違う忠臣蔵になっている。この調子で、他のテキストも書き換えられているのだろうが、余計な詮索をせずに物語を楽しまなければ、良い読者になれない。