マイケル・K (岩波文庫)

  • 岩波書店
4.11
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003280317

作品紹介・あらすじ

土のように優しくなりさえすればいい-内戦の続く南アフリカ、マイケルは手押し車に病気の母親を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざす。ひそかに大地を耕し、カボチャを育てて隠れ住み、収容されたキャンプからも逃亡。国家の運命に翻弄されながら、どこまでも自由に生きようとする個人のすがたを描く、ノーベル賞作家の代表傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 道に 迷ったり
    雑念で 自分を見失いそうになったとき
    きっと 自分を洗い出してくれる 一冊

    極限ハングリーに自由に生きてみること
    農場での溢れるような行動力
    よわっちい現代人の私は見習う点 多々でした

  • 4.29/206
    『内戦下の南アフリカ.手押し車に病気の母親を乗せて,騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざすマイケル.内戦の火の粉が飛びかう荒野をひたすら歩きつづける彼は,大地との交感に日々を過ごし,キャンプに収容されても逃走する.……国家の運命に巻き込まれながら,精神の自由を求めて放浪する一個の人間のすがたを描く,ノーベル賞作家の代表作.』(「岩波書店」サイトより▽)
    https://www.iwanami.co.jp/book/b248498.html


    冒頭
    『マイケル・Kは口唇裂だった。母親の体内からこの世界に送り出すのを手伝った産婆が、最初に気づいたのはそのことだった。唇が蝸牛の足のようにめくれ、左の鼻孔が大きく裂けていた。産婆はその子を母親にすぐには見せず、小さな口を突ついて開け、口蓋が無事だと知ってほっとした。
    母親には「あんたは幸せものだ、これは一家に幸運をもたらすからね」と産婆は言った。』


    原書名:『Life & Times of Michael K』
    著者:J.M.クッツェー (J.M. Coetzee)
    訳者:くぼた のぞみ
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    文庫 ‏: ‎320ページ
    受賞:ブッカー賞(1983年)

  • 針の穴を通るような、自由への希求。

    軽度の知的障害と口唇裂を持つ主人公のマイケル・Kは、足の不自由な母親を故郷に帰そうと乳母車を組み立て、旅をし、そのうちに母が死に、ひとり戦争中の町に取り残される。戦争中とはいっても戦火の真っ只中ではなく、収容所やキャンプが陣地のように張り巡らされた銃後の世界だ。Kはその数多のキャンプのわずかな隙間に本当の居場所を見出す。隠れながら畑を耕し、種を撒き……しかし警察も福祉も彼を放ってはおかない。そういう仕組みになっている。

    第1章では、彼の視点からすべてが描かれるため、何度も何度も自分の試みが権力によって頓挫させられ、フェンスの中のキャンプに押し込められ、とカフカ的な不条理に満ちている。しかし、それだけでは終わらせない。Kの姿に哲学的な光を当てねば気が済まないという執念が垣間見える第2章の存在が、この小説を際立たせている。2章ではインテリである医師の視点から、病院に収容されたKの姿が語られる。Kは病院で与えられたものに口をつけない。しかしそれはハンストではなくて、ただ「自分の食べ物ではない」からという。ここで医師が悩みに悩み抜き、彼はそこからKの生き方に答のようなものを見出す。病院を脱走したKに、ついていけばよかったとさえ思う。ここが読んでいて実に頭に閃光が走るところで、K視点のぼやけた世界の不条理が、一気に明るみに出る。

    短い第3章は、またぼんやりしたK視点の世界に戻る。1、2章の陰鬱な重さから解放されたように、多少きわどいところがあるが、明るさがある。砂浜の情景は印象的だ。重要なのは、病院食を受け付けなかったKが、行きずりの男からの食事を受けとって食べている点だ。Kはただ弱って死んでいくわけではなくて、その先があるのだという希望が示される。

    3つの章を通して描かれるのは、Kが無意識に、しかし切実に追いすがる自由への希求だ。Kが口にするものとしないものとの差。Kが言葉を発するときと黙り込んでしまうときの違い。その僅かな隙間、戦争中の町を埋めつくすキャンプとキャンプの間にある僅かな間隙のような場所に、彼の自由が確かに存在する。

  • アフリカ出身の作家による小説を読む機会は少ないかもしれません。遠い国の話で背景が良く分からず、感情移入がしづらいこともあるでしょう。

    だからこの本を読む前に、作家が南アフリカ出身で、1983年に発表されたこと。その頃は、まだアパルトヘイト制度が確固としたものであった、というような背景を把握してから臨んだ方が良い、という考え方もあるでしょう。

    しかし、遠い国の文学作品が読まれるのは、主題に普遍性があるからだと思います。この作品を手にとって感じるいくつかの突起のようなものには、自由の希求、母親、生まれた土地への思い、といったものが含まれています。

    自由については、こんなセリフが印象に残りました。
    「きみがたったいま目指している畑(ガーデン)はどこにもない場所・・・・君が属するたったひとつの場所の別名なんだろ・・・・そこへ至る道は君だけが知っているんだ」

    あとがきで知りましたが、クッツエーも自宅で段々畑を作っていたようです。

  •  これがクッツェー初読みで、南アフリカの作家ってチュツオーラみたいな感じかね、と思ったら全く違った。正統派の端正な文学。
     主人公のマイケルは、いろんなものから支配を受ける。耐えられなくなると、何もかも放り出して原野に逃げていく。第三者視点で見ると、もっと上手くやれるだろう・他に逃げ方があるだろうと思う。しかし、彼に愚行を犯す権利はないのか。一方的に冷静な正しさを押し付けることは、まるで西洋国家が植民地に対して押し付けた様々な政治制度を想起させる。支配する側は自分にとって都合の良い秩序を押し付けているだけなのかも。そんなことを思った。

  • ①文体★★★☆☆
    ②読後余韻★★★★★

  • 文庫300ページの小説だけれど、読み応えのある人間原初の生き方を問い直すような重厚な作品だった。

  • 学生の時に購入して最初の方だけ読んで放置していました。大人になってから久しぶりに開いたところ、一気に読んでしまいました。難しいところもありましたが、引き込まれる本です。当時の南アについてきちんと調べた上で、もう一度読みたいです。

  • 救いの手を拒み性を拒み土に生きる一人の男。読了後はただひたすらに悲しくて苦しくて、でも出会えて良かった読み切って良かったと心から思える小説の一つ。

    舞台は人種差別時代の南アフリカ。暴力、戦争、貧困、略奪等あらゆる悲劇が当然として存在する環境で、道中母を亡くしてから、饑餓状態に陥るまで大地に縋る男・K の生き様が描かれている。救いようのない話運びは勿論、心象描写を極端に削ぎ落とした特徴的な三人称独白体が作品全体に凄味を与えている。
    正直とんでもなく読み難いしなかなか先へ進めない。が、終始一貫して周囲の人間の援助を沈黙で拒み続け、大地に頑なにしがみつく彼の姿は、暴力が大部分を占める絶望的な社会情勢からの一種の「解放」のようにさえ見えてくる。言わばあらゆる不条理を超越する自由のようなものを与えてくれる。

  • 難しかったけど面白かった。
    しかし南アの歴史や政治状況への理解、文学に関する広範な知識がなければ、この小説を本当に読了することはできないんだと思う。
    星を付けるのは僭越なのだが、なしにはしたくないため暫定評価として。

  • これほど読むのが苦しい本は久しぶりだった。それでもこの苦しさはいったい何なんだ。という思いが高まり続けて、高まったまま読み終わった。
    しかし最後まで読んでも全然、釈然としなくてまだ悶々としてしまう。
    ひとつだけはっきりしているのは、私は、小説を読むということを、あるいは生きるということそのものについて、狭く捉えすぎていたのではないか、前提を取り違えていたのではないか、と思い始めさせられたということ。

  • 古本

  • 文学

  • 身体的にも、家庭的にも、生きている地域としても恵まれてはいない主人公が、ごくあたりまえに自由な生活を目指す。難民キャンプでは毎日労働に出ていくのが当たり前とされているが、自分は働きたい時だけ働く、と。脱走。主人公の頭の中は特段変人とは思えず共感できるのだが、自由に暮らすために孤独を極めていく。

  • 図書館で。
    都市部で戦闘が起ころうがどこかで食料を作り、供給する人が居なくてはおかしい、というマイケルの考え方は非常に正しい。正しいけれども戦時下においてはきっと正しいと思われないんだろうな…

    彼は色々と悲惨な目に合うけれどもその時々に彼を何とか助けようとする人にも出会う。ただ、彼にとっては彼を捕まえた人も助けようとする人も実は同じようなものなのかもしれない、なんて考えてしまいました。でもだったら山の中で野垂れ死にできるかと言えば町に戻ってくる辺り、人間ってのは業が深い生き物だなぁなんて思いました。

  • まったく個人的な考えだけれど、本作のマイケル・Kが最後に辿りついたところは、すごく仏教的。
    即身仏になる一歩手前といったところ。
    けれどもあえて本作に別のタイトルを付けるとすれば、「不死身」だろう。

  • 本書が書かれた80年代の南アといえば、アパルトヘイト政策に対する非難による国際的な孤立と内戦という、国民にとっては大変厳しい時代だったのだろうと想像する。本書にも随所に戦争が色濃く表現されているけれども、主人公が直接戦争に関わっているという訳ではない。主人公は兵士でなく通常の市民だが、そこに描かれているのは主人公の闘いであり、主人公が求めているのはごく普通の自由なのだ。しかしどうしても自由を得ることができない主人公は衰弱していく。それでも、死ぬ自由さえ得ることができないのだ。このような主人公の姿が気高く、美しく感じられるのは何故なのだろうか。

  • アパルトヘイト下の南アフリカが舞台だが、近未来ディストピア小説のような印象で読んだ。検閲が厳しいため抽象化して書いたそうで、主人公が「カラード」であることも、後書きで指摘されないとわからない。
    マイケル・Kは、檻に入れると死んでしまう野生動物のようだ。「大地の子」でありひたすら自由を求め、周囲の戦争、暴力、権威、保護さえも拒否する。それもあからさまな抵抗ではなく受動的な拒否で、自由という条件の下でないとものを食べられずにやせ細る。自らの手で育てたカボチャを食べるシーンの美味しそうなこと。
    死んだ母の影だけを背負う孤独なマイケルが一途に自由に生きられる場所を探す様は一種の聖人のように見える。というのも、キャンプに囚われ入院したマイケルに興味を持つ医師の語りに、読者のマイケルに対する想いが上書きされるのだ。この構造が小説としての広がりと深みをもたらしている。

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著者プロフィール

1940年、ケープタウン生まれ。ケープタウン大学で文学と数学の学位を取得して渡英、65年に奨学金を得てテキサス大学オースティン校へ、ベケットの文体研究で博士号取得。68年からニューヨーク州立大学で教壇に立つが、永住ビザがおりず、71年に南アフリカに帰国。以後ケープタウン大学を拠点に米国の大学でも教えながら執筆。初の小説『ダスクランズ』を皮切りに、南アフリカや、ヨーロッパと植民地の歴史を遡及し、意表をつく、寓意性に富む作品を発表して南アのCNA賞、仏のフェミナ賞ほか、世界の文学賞を多数受賞。83年『マイケル・K』、99年『恥辱』で英国のブッカー賞を史上初のダブル受賞。03年にノーベル文学賞受賞。02年から南オーストラリアのアデレード郊外に住み、14年から「南の文学」を提唱し、南部アフリカ、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国をつなぐ新たな文学活動を展開する。
著書『サマータイム、青年時代、少年時代——辺境からの三つの〈自伝〉』、『スペインの家——三つの物語』、『少年時代の写真』、『鉄の時代』、『モラルの話』、『夷狄を待ちながら』、『イエスの幼子時代』、『イエスの学校時代』など。

「2023年 『ポーランドの人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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