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この作品からのみんなの引用
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茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至りに本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。
― 21ページ -
原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。
― 77ページ -
この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤のうねりの中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものに御さないのであるか。
― 86ページ
みんなの感想・レビュー・書評
某土曜9時半のTBSラジオなキャッチフレーズで言うと、「"世界が自慢されたい日本"及びアジアの文化」がてんこもり。読んでいて愛国心から来る自尊心が満たされるけど、実はこの中に書かれている崇高な人々の生き様に自らの人生が一切かかわっていないことにも気がつく。そうだ、駄日本人なんだっけ。今からでも遅くない、ちょっとは学をかじらねば…。
友人の会社の課題図書になっているらしく、購入。
幅広く茶(つまり西洋も東洋も)を扱っている本かと思いきや、いわゆる茶道……から芸術に相対する心・精神というものを述べている。
更に芸術鑑賞ともなると「茶の本」なのに、とツッコミたくもなるのだが……つまり日本の文明とはこう培われてきたのだよ、と諸外国に示したい思いがよく伝わってくる。
私も理解していないという点では岡倉覚三に睨まれてもおかしくない一人。
充分に学ばせてもらえる一冊。
「この本が人生に欠かせない本になった」という人がいて、わたしも人生変わるかなあと思って買ってみました。人が強く勧めてくださる本は、ほぼ間違いないような気がしています。
昔の文章なので、なかなか頭に入ってこず、勧めてくださった方ほどの感銘は残念ながら受けられなかったと思うのですが(続)
この著書は知っていり人も多いことでしょう。
あのフランクロイドライトにとって大変大きな影響がありました。
「The book of tea」として英訳もされています。
現代の本でないので読みにくいですが、100ページもありません。
ライトの原点とい言えるでしょう。
さらに時代を遡ると「老子」も欠かせません。
「一つの部屋の実体は、屋根や、壁で取り囲まれた空虚な空間に身出されるのであって、屋根や壁そのものにあるのではない。」
「茶の本」「老子」は有機的建築の中核を捉えているのです。
「有機的建築」(筑摩書房)参照
訳書ではあるが、文章のひとつひとつ、言葉の端々にまで感動を覚えた。茶の歴史から芸術への接し方までをさらっと簡潔にまとめてあり読みやすい。持ち歩きたくなる。
岡倉覚三こと日本美術の評論家として大家となった
岡倉天心が書いた茶に関する本である。
しかし、これは訳書なのだ。
岡倉天心が訳したのではなく天心が英語で書いたのだ。
日本で一つの「道」となった茶を世界へと紹介するために。
そしてその茶道が宗教的価値観を付与していることなど、
歴史の重みを感じる一冊である。
だが、100ページもいかないのでさくっと読める。
健やかな精神が人の心を豊かにし、芸術を楽しむ心の余裕を生むのである。
しばしば自分に言えることだが、物欲に支配されて、ものの奴隷となっているうちは、健全な心を保てていないようだ。
本来「お茶の時間」とはなんだったのか。何かに迷った時の現代日本人へ問いかける、歴史になぞらえた自身との対話。
読み終わった時、本当に腹の底の底に何かが収まった。
ただただ、合掌したくなった。本に頭を下げた。
茶の湯によって精神を修養し、交際の礼法を極めるのが茶道。
それは「禅」に通ずるところがあります。
この本は、そうした「茶」を西洋人に理解させるために岡倉天心が英文で書いたものです。
15世紀に至り、日本は茶を一種の審美的宗教「茶道」へと高めました。
そして茶道は我々に純粋と調和、相互愛の神秘など「相手を思いやる慈悲」「社会的秩序」など東洋の思想の素晴らしさを教えてくれるのもです。
the book of tea は世界中で日本文化を知る上で重要な資料として読まれている。スワヒリ語にまで翻訳されているというのだから、たいしたものである。 茶の本という表題ではあるものの、言葉どおり、お茶に関する本に止まっているわけではなく、道教思想との関連性や彼の哲学そのものがつまっているすさまじい本なのである。特に印象的だったのは、日本が平和で対外的な侵略を一切行っていなかった時分には野蛮国と誹りを受けていたが、満州に進行してから以降文明国と呼ばれるようになった。もし帝国主義的な国家を文明国と西洋人が呼ぶのなら、甘んじて野蛮国でいよう。確かにいまは西洋の学問を必死に取り入れようとしているいわば弱い立場にあるけれども、一方では西洋よりも優れていることが日本にもあるのだということをわかって欲しいという切実な主張が大変興味深かった。
岡倉天心が欧米人向けに茶道を説いた本。
原著は当然英語のため、これは翻訳版。
新渡戸稲造の「武士道」同様の逆輸入なんですな。
お茶の世界なんてさっぱりだったんで、勉強になります。
日本の茶道は、古代中国の道教、儒教の影響うけつつ、決定的には仏教なかでも禅宗の体現として成立・発展したきたものなんですな。
漫画の「ひょうげもの」好きな人は読んでおくといいんじゃないでしょうか。
英文で書かれた東洋文化論。単なる茶道論ではなく、思想・芸術・宗教に相渉る東西の比較文化論でもある。ちなみに、彼は元祖レイヤー(コスプレする人のことね)でもある。写真を見ればわかります。
(2010:柳田洋夫先生 推薦)
西洋人を意識しすぎな感はあるが、論そのものは非常に的を射たもの。
『茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝することにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに何か可能なものを成就しようとするやさしい企て』
『禅道は道教と同じく個性主義を強く唱道した。われらみずからの精神の働きに関係しないものはいっさい実在ではない』
『道教や神の完全という概念は別物であった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きを置いた。』
なるほど道の多くは完全を求める手続きであり、完成が目的ではないのか。
宗教にまで高められた、美意識と調和の感覚。この本で学ばねばならないほど、少なくとも僕は西洋化された環境に生きている。よほど意識的にならないと著者の説く世界観を東京でみつけるのは難しい。しかしだからこそ、茶道は生きるのかもしれない。時代に翻弄された茶人たちとおなじように。
久しぶりに再読、茶事のみならずオリュンポスから涅槃まで、広がりまるで宇宙の如し。心を伝えて余りある。また執筆事の状況聞くに味わい新たに。岡倉天心と言えど当時の海外からの偏見と冷淡との闘争は厳しいものだったと…結びの挿話も含め余韻は深い。
『茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚がなければ、またココアのような気取った無邪気もない。』
唐の陸羽の『茶経』、茶道の始まり。
栄西が日本に禅とともに宋の茶の文化をもたらした。宇治の茶。
村田珠光のわび茶、千利休が独立した茶室をはじめて建てる。
好き家、空き家、数寄家
『虚』の道教と禅、相対の崇拝
不完全の美の哲学
花は不断の友である。
素晴らしい本だと思います。
この頃「禅」そして「茶道」に興味が湧き本屋さんで偶然手にした一冊。
禅と茶道のことを簡潔に外国人向けに書かれた本を更に翻訳したらしいです。
自らが「芸術になりきる美学のようなもの」...と私は解釈してしまったけれど...
付箋をつけながら読んでしまう。
この本そのもの禅であり茶道であり美しさ...と思ってしまう。
おもしろすぎる。
ガイジン向けに出版された日本人論だが、現代日本人なぞ当時からすればガイジンみたいなもの。
明治知識人がガイジン(西洋諸国)どのように日本人を“見てほしいか”を綴った内容だが、コンパクトで事例も多くわかりやすい。
新訳もチラリと読んだが台無し。この岩波程度の訳が適切だと思う。(原文英語)
『茶の本』(岡倉覚三、村岡博訳、1961年、岩波文庫)
西洋に日本文化を紹介するために書かれた本。原典は英語で書かれたのですが、文庫は日本語訳。
茶の中国でのルーツから、日本における「茶道」のルーツなど。茶のルーツや茶道について書かれた本なのですが、日本人論でもあると僕は考えています。
(2009年11月27日)
(2011年5月2日)







