清沢満之集 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 安冨 信哉  山本 伸裕 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003312728

作品紹介・あらすじ

真宗大谷派の僧侶となり、東京大学に学んだ清沢満之(1863‐1903)は、親鸞の思想を哲学的に基礎づけ、仏教の危機的状況に立ち向かって、明治期の精神界に大きな影響を与えた。本書は、結核に罹りながらも宗門改革運動に腐心した時期以降の文章を集める。後半期に深められた思索と信仰の言葉には、現代人の心に響く他力門思想の精髄がある。

感想・レビュー・書評

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  •  著者の清沢満之は明治期の真宗大谷派僧侶(1863-1903).大学での専攻は哲学.

     徳川政権が終り,明治維新をむかえて,いろんな面で激動期が始まる.徳川政権によって保護されてきた仏教諸派は,神仏判然令(神仏分離令.1868年4月5日(慶応4年3月13日)から1868年12月1日(明治元年10月18日)までに出された太政官布告など一連の通達の総称)により存続の危機に陥る.また,官立の高等教育機関には科学(理系という意味ではなく,百科全書に代表されるような「科」に分けた学問,学問を体系化し個人はその一部分を担うとされる学問)が導入された.そのような時代背景において,仏教者は哲学と理系の諸科学を研究せねばならない.という問題意識を追及することで,仏教の近代化,個人化に大きな影響をあたえた学僧の著作から厳選収録したものが本書である.

     清沢の日記である『臘扇記』より,「四月五日記」部分(62頁)を引用する.


     独立自由の障碍を為す所の大害物は,物質的関係,特に身体の維持,是なりとす.如何せば可なるか.曰く,凡て物質的事物は我已外のものなり.所謂外物なり.何時にても之を放棄すべし.身体と雖ども,亦何ぞ異ならん.独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり.殺戮餓死,固より覚悟の事たるべきなり.
     既に殺戮餓死を覚悟す.若し衣食あらば之を受用すべし.尽れば従容就死すべきなり.
     而して,若し妻子眷属あるものは,先ず彼等の衣食を先とすべし.即ち我有る所のものは,我を措て先ず彼等に給与すべし.其残る所を以て我を被養すべきなり.只,我死せば彼等如何にして被養を得んと苦慮すること勿れ.此には天道の大命を確信せば足れり.天道は決して彼等を捨てざるべし.彼等は如何にかして被養の道を得るに至るべし.若し彼等,到底之を得ざらんか,是れ天道,彼等に死を命ずるなり.彼等,之を甘受すべきなり.


     上にあげた清沢の文章の要旨を知ってはいた.ようやく,ずっと気になっていた原文を発見することができた.


    2019.02

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著者プロフィール

清沢 満之 (キヨザワ マンシ)1863年生まれ。明治時代の仏教哲学者・思想家、真宗大谷派の僧。尾張藩士の子として生まれたが、のち西方寺に入寺、清沢姓となる。東京大学大学院にて宗教哲学を専攻。1896年東本願寺で教学刷新と宗門改革を主唱したが、一時宗門より除名処分された。1899年真宗大学の初代学監に就任、宗門における人材の養成にあたった。一方、東京に私塾浩々洞を設立し、暁烏敏らと雑誌『精神界』を創刊、精神主義運動を提唱して革新的な信仰運動を展開した。1902年自坊に帰ったが、孤独のうちにも、より高次の信仰を形成し、西田幾多郎などもその影響を受けた。1903年没。

「1963年 『精神主義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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