暗黒日記: 1942-1945 (岩波文庫 青 178-1)

著者 :
制作 : 山本 義彦 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 193
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003317815

感想・レビュー・書評

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  • 戦前の知米派で客観主義者たる著者が戦中に書き残した日記の一部を抄録したもの(解説によれば1/3程)。当時の新聞記事も日記に抄録されており、資料としても役立つ。経済クラブや外務省は正確な数字を種々有していることがわかるが、軍は利用しなかったと推測される。それだけではないが、本書を読むと「軍人は物品生産のありよう、経済のありようを全く判っていなかった」と思わざるを得ない。また、著者が徳富蘇峰等の御用学者を曲学阿世の徒と舌鋒鋭く批判するのは、本書引用の記事の内容を見れば、さもありなんといわざるを得ないだろう。
    興味深い点を引用する。「(昭和18年8月26日)戦争責任を、銃後の生産不足に帰するような論調を出してきている。」「(9月4日)重臣会議において東条首相は『ドイツ、イタリーが不勢になる…は全く意外にて、見透しを謬った』とだけいった…。重臣も唖然…」「東亜戦争の責任者たち…は、…明治天皇の御方針に不満…日露戦争があまりに『米英的だ』というのは…その…例」「今度の徴用は非常に広汎…。こんなに徴用して一般産業が運転できるか。」「婦人の労働者、男子に代る。…婦人への革命…その位置も向上し、…知識もよくなろう。」
    「いわゆる強硬外交は成功する。それが一定のところで止まればだ。」「(昭和18年12月15日)米国は新聞記事の検閲を緩和した…。彼らは戦争をすでに見越しているらしい。」「日本はその地理からバランス・オブ・パワーの上に立たねばならぬ。…アジア大陸に対して…必然に起こる列強の衝突に対処…勢力均衡政策をとることが賢明…。自ら大陸国の一にならんとしたことに日本の失敗があった。」いずれも蓋し慧眼である。

  • いつの時代でも、その時の政府に阿るマスメディアや評論家諸氏は存在するものであります。この日記に掲載された当時の新聞の教条的かつ精神主義一点張りの内容の酷さに唖然とします。中身は全くありません。市井のひとたちは新聞の報道や時局に媚びた講演者の話を信用していたのでしょうか。清沢氏は東条英機内閣を非難しています。人々の無知を嘆いています。徳富蘇峰は「一億英雄たれ」と新聞に書き、日本敗戦直後の東久邇稔彦内閣は「一億総懺悔」で天皇に謝罪し、安倍内閣は「一億総活躍」社会を推し進める。日本は全体主義国家か?

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003317815
    ── 清沢 洌/山本 義彦・編《暗黒日記 20041015 岩波文庫》1942‥‥-1945‥‥
     

  • 648夜

  • 清沢洌は、120年前の1890年2月8日に長野県に生まれた評論家・ジャーナリスト。

  • リベラリスト清沢列の戦時中の日記。凡百の中途半端に左寄りのリベラリスト達を一蹴する自由主義とはかくあるべしというのがビシビシ伝わってくる。

  • 著者の特殊な立ち位置から事実を綴った日記。
    この世の中が、過去と同じ事を踏襲していないかどうか判断する基準となる書。

    余談:文中で、この文庫創設者(と思われる人物)が著者に叱責されている一文。
    文庫の裏の「読書子に寄す」を感慨深く読んだあとで気がついたので、ちょっと気まずい気分になって苦笑した。

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著者プロフィール

清沢 洌(きよさわ・きよし):1890-1945年。長野県生まれ。小学校卒業後、内村鑑三門下の井口喜源治が創立した研成義塾に入り、感化を受ける。1906年渡米、働きながらハイスクールを卒業。カレッジ在学中から邦字新聞の記者として活躍。20年、帰国して中外商業新報社に入社、のちに通報(外報)部長となる。27年、東京朝日新聞社入社。29年退社、フリーランスの文筆家となり次々と著書を発表、自主独立の評論家・外交史研究家として矜持を貫く。1945年5月、急性肺炎のため急逝。『暗黒日記』他著書多数。

「2023年 『外政家としての大久保利通』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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