荘子 第一冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003320617

感想・レビュー・書評

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  • 簡単にまとめてしまえば、無為自然、無用の用といったことをひたすら説いているだけなのだろう。実用的な内容でもない。ただ、実用性がないことが荘子の思想そのものという印象を受ける。
    触れると本当に雄大な気持ちになれるので、自分はこの思想が大好き。特に序盤の逍遥遊篇は詩情が豊かで美しいと思う。

  • 老荘思想として老子とセットで語られる荘子だが、書物としての面白さは荘子の方が上。イエスやソクラテスと同様、老子は自らの言葉を書き留めなかったのに対して、荘子は「胡蝶の夢」の様に、様々な寓話を書き記す事でその論理構造の外側にある充足した精神について指し示そうとした。解説では彼の哲学を「弱者がぎりぎりの底からたくましい強者へと転ずること」とあるがこれはある意味で正しく、ある意味では間違いだと思う。荘子の提示するのはそもそも弱者ー強者という差分の存在しない価値観だからだ。無用の用の境地は辿り着きたい目標である。

  • 授業や論文で部分部分は読んでいたが、通しで読んだのは初。金谷訳はメジャーで読みやすい。
    解説の「自己を放ち棄てる因循主義は、実は死んでよみがえるはたらきを持つものであった」という文がカッコイイ。
    執筆中の卒業論文のテーマに沿って障害者に注目しながら読んでいるが、その記述が異様に多い。孔子の「怪力乱神を語らず」の怪もしくは乱の枠組に当時は障害者も入っていたのだろうか。少なからず、孔子を意識している荘子はカウンターとして障害者のモチーフをふんだんに使ったのだろうか。それとも、荘子の生活する階級には無視できないほど障害者が多かったのだろうか。
    途中途中、マトリックスを連想する。造物者と遊ぶもの=目覚めし者であり、ネオやモーフィアス、トリニティなどのマトリックス空間から抜け出したキャラクターだ。ウォシャウスキー兄弟は東洋思想にも造詣が深いから、レファレンスにしているはずだ。90年代のSFでも衝撃的なテーマであるのに、紀元前3世紀頃に「胡蝶の夢」なんて言った荘子は天才としか言えない。
    荘子の授業で先輩が「コジコジみたいで腹立つ」と言っていたのを思い出す。机上の空論で、社会で生きるには参考にならないところは確かに癪に障る。

  • 世に老荘思想として語られる一方の雄、荘子ですが、いくぶんの現実志向を残す老子に対してこの荘子の融通無碍っぷりは止まるところを知らず、大きなスケールで読むものを煙に巻きます。

    史記に荘子の伝記がありますが、これによると荘子ははじめ地元の役人になるも、のちに仕官の心を捨てて思索と著述の生涯を送ったとされています。没落貴族系知識人、中国における隠者の原型といった趣です。


    内篇は、後世の荘子学派の論が付け加わる前の、いわば原荘子の中心思想とされる部分ですが、胡蝶の夢や朝令暮改の寓話など広く知られているところでもあります。
    東北大学中国哲学講座の大ボスにして、各地に弟子を出した金谷治先生の解説が光ります。


    ○違いの著しい点は、老子ではなお現実世界での成功をめざす現実関心が強いのに、荘子ではそれをまったく乗り越えているということであろう。荘子においてめざされたものは、この人間社会の束縛から解放された絶対的な精神の自由であり、自然と冥合した魂のやすらぎであった。(冒頭解説)

    ○(思想家の宋ケイについて)世のすべての人々に誉められてもそのためにさらに励むということもなく、世のすべての人々に誹られてもそのためにがっかりするということもなく、内なる自分の心と外界の事物との分別をはっきり立てて、栄誉と恥辱の境界を区別している。だが、それだけのことである。彼は世俗のことについてあくせくと求めることはしない。(逍遥遊篇第一)

    ○一旦この人としての形を受けたからには、それを変えることなくそのままにして生命の尽きるのを待とう。外界の事物に逆らって傷つけあっていけば、その一生は早馬のように過ぎ去って引き止める手立てもない。なんと悲しいことではないか。生涯をあくせくとすごしてそれだけの効果もあらわれず、ぐったりと疲労しきって身を寄せるところも分からない。哀れまないでおれようか。世間ではそれを死んではいないと言ったところで、何の役に立とう。[死んでいるのと同じである](斉物論篇第二)

  • 道家の書。
    胡蝶の夢の話。蝶になった夢を見る私は人間だろうか、それとも蝶が人間になった夢を見ているのだろうか。
    淮南子にある『真人は夢を見ない。』や、ウパニシャッドの『アートマンは夢を見ない。』と考え合わせると面白い。
    有名な大鵬や木鶏の話も載る。

  • 荘子のことだけであると思っていたら、孔子や顔回の会話が出てきていた。日本でもよく引用されるいわれが多く掲載されていた。

  • 20201028
    自然、宇宙は広大無辺であり矮小で短命な人間の知性の及ぶ物ではない。
    人間が作り上げた区別、知恵は相対的な物でしかない、万物斉同こそ真実である。
    エゴを捨てて、自然と一体化するべし。それが出来るのが真人である。
    ⭐︎座禅により宇宙と一体化し、考案で既成概念の打破を図る禅との親和性を感じる。何事にも執着しないことが悟りである
    ・大魚の鯤と大鳥の鵬
    ・朝三暮四とは知恵に捉われている人の風刺である
    ・胡蝶の夢
    ・蟷螂の斧と無用の用
    ・混沌の死

  • 『荘子』全33篇の全訳。全4冊の第1冊(1971年10月16日 第1刷/2004年12月5日 第49刷)を読了。第1冊には荘子の自著といわれる内篇7篇を収録。逍遙遊篇や斉物論篇など有名な篇が収録されている。

  • 高尚過ぎたか、まだ必要となっていないのか。目を通したがピンと来なかった。時期がきたらまた読み返そうと思う。

  • 新書文庫

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