東洋的な見方(新編) (岩波文庫 青 323-2)

著者 :
制作 : 上田 閑照 
  • 岩波書店
3.70
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感想 : 33
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003332320

作品紹介・あらすじ

鈴木大拙(1870‐1966)の最晩年-驚くべし、90歳前後-に書かれた思想的エッセイを収録した『東洋的な見方』を中心に、同時期の好文章を加えて再編成。世界にとって失われてはならない東洋の「よきもの」とは何か-文字通り世界に出て西洋を自らの生活世界とした著者が、身をもって探求しつつ生きたそのドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • 本屋で目に付き深く考えずに購入しました。本書は鈴木大拙氏が最晩年に書いたエッセイ集ということで、短い論考がたくさん集まっていますが、最晩年に書かれたこともあって、著者の思想の集大成とも言える本でした。そして非常に示唆に富む興味深い本でした。禅だけではなく老子、孔子なども参照しながら、さらにキリスト教や欧米の詩人、作家などにも言及しつつ、「東洋的な見方」とは何かについて論じています。

    本書でたびたび登場する最も重要な主張は、「東洋は分別される前の未分の状態に関心が高いのに対して、西洋は分別すること、分別された後のことに関心が高い」というものでしょう。私はこの言葉を読んで、人間における受精卵とそれが分化した内胚葉(消化器系)、外肺葉(神経系、感覚器)、中胚葉(筋肉、骨、血液)のイメージを持ちました。前者が「未分」の状態で、後者が「分別」された状態だからです。あるいは物理学の量子でたとえると、「量子重ね合わせ」の状態が「未分」で、0か1かに確定した状態が「分別」された状態とも言える気がしました。

    そして西洋が得意な「分別」は、対立や紛争を引き起こす元であると同時に、科学を発展させてきた存在でもあるわけです。そして著者曰く、未分と分別どちらか一つだけではダメだというわけです。つまり、分別だけだと、どこまでも細分化していったところで解決できず、最後は精神病に陥る(これが西洋起源の近代社会の病気の源)。逆に東洋のように未分のままだけだと論理も合理性もない感情論的な議論に陥るからです。つまり理想は「分別しつつ分別するな」ということになります。逆に言えば、未分であることを体解しつつ分別するならよい、ということで、禅および仏教全般に話が及ぶわけです。

    仏教には無と有、自力と他力、色と空など一見すると分別したかのような概念が登場しますが、般若心経でも繰り返し述べられているように、実は二分されていない絶対的な(未分の)無や空があるというわけです。色と空という二分を超越した絶対的な「空」で、著者はこの空の定義を「ゼロ=無限大」と呼びます。これは弁証法によるジンテーゼ=統合とも違います。そもそも分別されていない未分の状態を指しているからです。私自身は、この「ゼロ=無限大」を理解するにあたっては、著者が本書で解説する「如今鑑覚(にょこんかんがく)」という言葉が役に立ちました。この言葉は、「いま=ここ」という瞬間が無限の可能性を秘めていること、つまり空だが無限の可能性を秘めているというわけです。

    そして著者は、西洋的な分別一辺倒の世界に明るい未来はない、そこに東洋的な思想を注入していくことで、よりより未来が開けていく、それに日本人は貢献していってほしいと願いを込めておられました。本書の中には難しいエッセイも含まれていますが、かなりやさしく書かれているものも多数ありますので、多くの日本人の目に触れてほしい本だと思いました。

  • 禅文化を主軸とした仏教学者の鈴木大拙が、西洋における物の見方と対比して東洋ではどのように世界を認知するのかを、様々な角度から考察した晩年のエッセイ集。
    強引に一度読み終えてみたが、多分2%くらいしか理解出来ていない。

    端的に言えば、西洋では「主観と客観」「天と人」「自分と世界」と二元化した状態、境界を引き、世界を分けることで「分かろう」とする。対して、東洋では「目の前の世界とお前とは何が違うのか?同じ世界だろう」と、自分を客観視することすら許さず、いわゆる禅問答の先に世界を見る。

    世界を合理化するためには二元化は必須であり、元々その視点を持っていた西洋は資本主義社会において抜きん出た。
    東洋を研究しつつ、西洋にも長く住み西洋人の結婚した大拙は、どちらがよいと言うことなく、その視点の融和が可能であることを自身の中に見い出した。

    クライミング中に眼前の岩壁以外が意識から消えた時、あの世界と溶け合うような感覚。これが限りなく禅の思想に近いのではないか。
    禅の心は円相で描かれるが、これは「全てが世界であり、その流れである」という感覚の表れと解釈する。

    会社では合理的に振る舞うが、週末は山に籠り不合理に過ごす自分を省みても、両者の視点は融和可能に感じる。
    常々、信念を持つが柔軟な人間で在りたいと考えているが、ここにもその融和を見いだせそうだ。

    お盆に金沢旅行した時、鈴木大拙記念館の存在を教えてもらった縁でこうして東洋思想に触れる機会を得たのだけど、自分が山に、世界に何を求めているのかを理解するきっかけを掴んだような気がする。
    まだまだ山に籠って考えて、数年後にでも読み返してみたいと思う。

  • 21世紀の日本に生きる僕にとって、近くて遠い「東洋的」。どこか懐かしくもあり、一方で異国のようにエキゾチックでミステリアスだとも感じる。自分の中で分離不能なほどに混線している東洋の遺伝子と西洋のミームに、少し光を当ててみるのも面白いかもしれない。

    近代の行き詰まりにあたる現代に生きている身としては、大拙禅師の息づかいの向こうに、一筋の光明が示されているように思えてならない。年月が経って思うことだが、この人の言葉は、本当に水墨画か墨蹟を連想させるものがある。決して鮮やかに着色されてはいないが、その絶妙な擦れや余白で、奥に無限の空間を生み出してくれる。読了は5年ほど前だったが、僕自身、今も計り知れない影響を受けていると思う本。

  • 他の著作を読み、ここに戻ってこようと思う。

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00077530

  • 鈴木大拙の思想を集めたエッセイ集。
    テーマは主として西洋と東洋の思想、ものの見方の対比という面白いテーマを扱う。
    とは言え、内容は結構難解。

    正直、半分程度しか理解できなかった。。
    それとも、そもそも不立文字といわれる仏教の神髄を書物で追いかけることがそもそも無理があるのだろうか。

    我々日本人の思考のルーツや欧米との違いを言語表現する上ではとても良い本だと思う。

  • 禅を修めた人の心持ちを知りたくて、この本を読み始めました。やっぱりよくわからないけれど。不思議と、読み耽っていました。

  • よく読み終わった。

  • おもしろい。禅とはなにか、東洋思想と西洋思想の違いは。
    エッセーの形をとっており、ときおり垣間見られるユーモアも楽しい。
    著者の伝えたいことを理解できたかといえば、怪しいものだ。西洋というものは明暗、正義と悪、などはっきりとさせるが、東洋思想もしくは禅においては、混沌としたまま受け入れる、という理解でいいのだろうか。
    読んでいて、わかったような気になったが、本当はわかっていないのだとも思う。

  • 大拙氏は言語化が上手い。

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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