- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003355015
作品紹介・あらすじ
レオナルド(1452‐1519)こそ「万能の天才」そのものである。彼は何よりも「モナ・リザ」「最後の晩餐」などの傑作を残した画家であり、彫刻家・建築家であり、また天文学・物理学の造詣も深かった。その天才が残した厖大なノートから、わかりやすい文章を選び2冊に編集する。(上)には『絵画論』『人生論』『文学論』を収める。
感想・レビュー・書評
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アバタロー氏
1954年出版
5000ページの膨大な手記
通称ダビンチノート、断片集
《レオナルド》
1452~1519年フィレンツェダビンチ村生まれ
ヴェロッキオに弟子入り
才能あり20才で親方
ミラノ公国へ
修道院の食堂の壁画を命じられた
フィレンツェに戻る
壁画制作をレオナルドとミケランジェロに依頼、競争させた
しかし2人共放棄し未完で終わる
肖像画を手掛けた
スフマートの技術、空気遠近法、改良し続けた
フランソワ1世がパトロン
十分な邸宅を与えた、彼に見守られながら死亡
《内容》
〇経験は嘘をつかない
経験こそ教師
経験は事実、経験を役立てることができないのは自分の解釈が間違っている
多くの意見を求める
〇幸福と嫉妬
幸福や富を手に入れても嫉妬がついて回る
嫉妬が人間にとってどうしても避けられない普遍的な感情
その感情に振り回されて他者を攻撃するのが危険であると警鐘を鳴らしている
〇不健全な学習
好奇心は自ら育てるものだ
画家は他人の絵を手本にした時、ろくな絵を描かない
しかし自然の事物から学ぶなら良い成果を生むだろう
人間は多くのものを発明してきたが、自然ほど美しく無駄のない発明をすることはできない
レオナルドの創作は、芸術自然科学哲学が渾然と融合している -
レビュー400冊目。そこにレオナルドがくるとは、さすが、もってますね、レオナルドさんは。
レオナルドが気になったのは、親の影響かもしれない。そういうのはあまり認めたくないものだが、中高生くらいから知ってて、始めの記憶があまりないものは多くはそうだろう。もしくは授業とかだったか?
ついこないだ、ルーブルで15年ぶりとかのモナリザをみてきたけども、なんだかんだで、常にどこかで縁がある。
そんで、西洋思想史を辿るにあたって、ルネサンスを超えるときにレオナルドはスルーできない、やはり目配せくらいしていくべきだろう、と、手に取る。
それこそ高校生くらいのころにも読もうとしたが、この岩波文庫の漢字が難しくて読書が進まず、最初の人生論のあたりでやめた。
今、改めて読んでみると、ふんふん、なんとも隅から隅まで読むべきかは悩むのだけども、そこかしこをつまむことで、色々とレオナルドの景色は見えてくる。
・経験の弟子
ってやつは、ガリレオへ続く科学革命の予言の言葉
・権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるに過ぎぬ。
ってやつは、カントの啓蒙につづく勇気を与えてくれる
・数学の至上の確実性
これは、ここまで断言してたのか、と驚く
・欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、
これはどきり
・十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。
これぞ、あらゆるプロジェクトマネジメントの真髄
・p49にて、ルクレティウスをひいているのにも驚いた。
文学の章も、ほとんど読んでないが楽しい。説話集のようなものまである。レオナルドの探索はここまで及んでいたのかと驚かされる。
「絵の本」から、の章、ここはレオナルドの真骨頂のひとつか。
・運動は一切の生命の源である
いいじゃない
・もし君がひとりでいるなら、君はすっかり君のものである。
こんな励ましの言葉はなかなかかけてもらえない。
久々に読んでみたことで、松岡正剛が、千夜千冊で、
「 しかし、一度はレオナルドの『手記』は手にとってみたほうがいい。おそらく、諸君に名状しがたい自信をもたらすだろうからである。」
と言ってる意味がよくわかった。
これを読んで励まされることができた自分は、大きくは間違えてはいないだろう、と思えた。 -
経験は嘘をつかない。
経験に対する深い信頼をもつこと。経験を役立てることができないのは、経験の解釈を誤っているからだ。経験を糧にできるかどうかは本人の解釈次第である。
確証バイアスを克服するには、他者からのフィードバックを生かす。ただ根拠のない批判は気にしなくてよい。
認識しなければ、愛情も怒りもうまれない。
妥協せず、納得するまで丁寧に追求することが真の価値を産む。
物事を終わりから考えて行動する。
内発的動機を伴わない学習は不健全な学習であり、意味がない。
自然から学ぶ。
自然は美しく、無駄がない。合理的である。その機能やしくみを学び、日常に生かしていく。(大いに同意。自然には尊敬と安心を感じる。)
立派に費やされた1日に幸福な眠りが訪れるように、立派に費やされた人生には幸福な死が訪れる。
(今の私は立派に過ごせない日ばかりで幸福な眠りが訪れない。幸福な眠りを得たい。) -
言わずと知れた天才の手記。
意味が分かるところを選んだらしい。
旧字体のままであり新訳が待たれる。
文学は実に見事な比喩表現を使っており、
イソップ寓話を髣髴とさせる。
教会が支配する世界において、
古い価値観と戦った天才の苦労が偲ばれる。
半分は絵に関する技術論だが、
絵心が無いので役に立つかは分からない。 -
2019.11.1
ようやく読了。
結構苦痛。
箴言、レオナルド的賢者タイムへの考察。
幸福には前髪しかない。
後ろは禿げているからね。
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配置場所:摂枚文庫本
請求記号:723.37||L
資料ID:95190579 -
人生論
文学
「絵の本」から -
「私は生きることを学ぶつもりであったのに、死ぬことを学ぶのであろうか」
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齋藤孝著『大人のための書く全技術』40冊―05
ダ・ヴィンチでさえ、何かを発見したり思いついたりしたときに、いちいちメモを取って、考えを深めていたことがわかる。
※デッサンは収録数に限りがある。しっかり見たい人は西村書店の大判がお勧め。 -
(2016.02.22読了)(2003.01.28購入)(1994.12.05第46刷)
レオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会を見ました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の挑戦
主催:毎日新聞社
会場:江戸東京博物館
会期:2016年1月16日(土)~4月10日(日)
観覧料:一般1,450円
今回の展覧会では、自然観察を通じて真理に近づこうとしたレオナルドの挑戦を、日本初公開の絵画 《糸巻きの聖母》(バクルー・リビング・ヘリテージ・トラスト)と直筆ノート「鳥の飛翔に関する手稿」(トリノ王立図書館)を中心に紹介します。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会を見るたびに、積読中のこの本を思い出して、読もうと思うのですが、何度も挫折してきました。今度こそはと、頑張って何とか上巻を読み終わりました。
1954年に第1刷が出ている本なので、漢字が旧字体になっています。夏目漱石の小説なども、旧字体の漢字で読んできた世代なので、何ページか読むと旧字体の漢字に慣れて、違和感は薄れて苦にならなくなります。
内容は、レオナルド・ダ・ヴィンチが折に触れて書き残した、メモ書きみたいなもののうち、意味が読み取れそうなものを翻訳したものですので、あまり読みやすいものではありません。メモの中に絵の下書きなども入っているので、その写真が、7枚ほど収録されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの関心は、多岐にわたりますので、この上巻には、『人生論』『文学論』『絵画論』に関するものが収録されています。
【目次】
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯とその手記
凡例
序
人生論
文学
寓話
笑話
動物譚
予言
東邦旅行
巨人について
「絵の本」から
絵画と他の芸術との比較
画家の生活と勉強
遠近法
解剖
美について
運動と表情
構図
衣服
光、影、色
風景
自然
大洪水と戦争
訳註
●最高の善・悪(33頁)
最高の善なるものは智慧であり、最高の悪なるものは肉体の苦痛である。
●記憶(35頁)
食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。
●幸福(40頁)
「幸福」が来たら、躊らわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね。
●嫉妬(40頁)
徳が生れると、忽ち徳は自分に反対する嫉妬を分娩する。嫉妬なき徳より影なき物体の方がさきに現れるであろう。
●攻撃(50頁)
他人を攻撃する人は自らも安全ではない。
●絵画(196頁)
「絵画」は一瞬のうちに視力をとおして物の本質を君に示す。
●あやまち(220頁)
われわれは自分の作品より他人の作品にあるあやまちの方を識りやすいということをはっきり承知している。
☆関連図書(既読)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」東野芳明著、新潮美術文庫、1974.05.25
「ジョコンダ婦人の肖像」カニグズバーグ著、岩波書店、1975.12.10
「微笑の構造」田中英道著、小学館、1977.06.20
「モナ・リザが微笑む」宮下孝晴著・佐藤幸三写真、講談社文庫、1984.12.15
「レオナルド=ダ=ヴィンチ鏡面文字の謎」高津道昭著、新潮選書、1990.08.20
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」田中英道著、講談社学術文庫、1992.02.10
「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ」長尾重武著、中公新書、1994.08.25
(2016年2月23日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
レオナルド(1452‐1519)こそ「万能の天才」そのものである。彼は何よりも「モナ・リザ」「最後の晩餐」などの傑作を残した画家であり、彫刻家・建築家であり、また天文学・物理学の造詣も深かった。その天才が残した厖大なノートから、わかりやすい文章を選び2冊に編集する。(上)には『絵画論』『人生論』『文学論』を収める。 -
徒然草を毒付けた感じ。半分くらい意味不明だが、時折 短文ながら、凄い表現あり
特に 絵について書かれた内容は 哲学のように 建設的に核心を捉えていた気がする。画家に解剖学が必要とはプロ意識の高さを感じる
ゲーテとの対話ほど 体系的に整理されていないし、漢字旧字が読みづらい -
近代芸術の時代を迎える19世紀まで、14世紀から数百年にわたり西洋美術の礎になったルネサンス期に触れたかったため読了。”人生論”では訓戒が多く、揺らぐ意思の支えになるような至言に出会えた。独白調なので、身近に感じる。”文学”の章では、心情を自然の体系に丹精に投影されており、なおかつ自然そのものを科学的な視点で考察することによって、さらに感情を飛躍させているように感じた。文理両方の才能に長けていたのは、相互の関係が補完することに成功しているからではないかと、凡人の自分は推察する。”絵の本”では対象の洞察に徹底しており、それが深いほど画家と対象の間にある形而上の領域に説得力を与えているのではないかと感じた。光を描くために純粋に世界を信じ抜いている。
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絵画論では長閑な田園風景から悲惨な戦争災害まで最細部まで観察、考察していることがよくわかった。500年も前の人物が見ていた風景が広がる。天才と呼ばれ、少し遠い存在かと思っていたが、そんなことはなかった。
アリストテレス先生の考えが16世紀まで残ってたことにも驚いたゾ。やっぱり観察という技術における最高の学者はアリストテレス先生だった! -
レオナルド先生の箴言は耳に痛いけどその研究意欲というか、好奇心旺盛で何事に対しても真剣に取り組まねばという姿勢には頭が上がりません。謙虚でいろ、とおっしゃるわりには全く謙虚さが感じられないところがいいと思います。けれどレオナルド先生のスフマートや、アカデミアの紋章、柔軟な発想と想像力。謙虚でいる必要もないのか、とも思いました。今、預言の章を拝見させて頂いてますが、なぞなぞ、イル・モーロも楽しんだなぞなぞのようなやりとり、意味がわからない部分もありますが、笑わせてもらっています。
「レオナルド・ダ・ヴィンチは、文筆による自己表現の際、詩形式よりも、箴言、手記の類を好んだ。…レオナルドの気魄はまことに面白く思われる。こうした気概がなくては、人文主義運動はそれほどの成果を収め得なかったであろう。人文主義の研究者は、彼自身、この覚悟であらねばならぬ。いや、先ず学者である前に、人間として秀れたルネサンス人はいかに生きたか?」(平川祏弘「ルネサンスの詩」より)
このしつこさと燃えるような心、一瞬、一瞬の川の流れのなかにも哲学を見出すような気持ちがなくては研究者などつとまらないのだろうと、今日買ったばかりの麦わら帽子を被りながらパソコンの前に座るような人は思った次第です。