自省録 (岩波文庫 青 610-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784003361016

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  • 約2000年の時を経て受け継がれる哲人皇帝マルクスアウレリウス(121-180)の心の内省録。

    ローマ五賢帝のラスト、平和で安定期の最後の時代、外敵との争い、疫病の流行などの社会的不安、多くの肉親の死など個人的な出来事に対し、ノートを使い、内省を繰り返すことで、強く自己を勇気づけ、前に進もうとしている姿が想像されます。時代を超えて心打つ古典の最高峰。

    ストア派らしく、
    ①万物は流転することを理解し、それに逆らわず
    ②自然に従い生きることで、
    ③アパテイア(不動心)の境地に至ること
    を内省で説いていると思います。

    現在与えられているものに不満を抱いたり、人間関係などの外界の刺激に対し、刹那に感情的になり後悔を抱いたり、未来に対し漠然のした不安を抱いたりしている人々にオススメしたい一冊です。①〜③に関連する箇所を以下に拾い上げました。


    ①万物は流転する

    4-35 全てはかりそめに過ぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。

    7-18変化を恐れるものがあるか。しかし、変化なくして何が生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれより愛すべく親しみ深いものがあろうか。君自身だって、気がある変化を経なかったならば、熱い湯にひとつはいれるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。



    ②自然に従い生きよ

    4-41君は一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない。

    5-1明け方に起きにくいときは次のことを念頭に用意しておくが良い。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ」

    6-6最もよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。

    7-7人に助けてもらうことを恥るな。

    7-71笑止千万なことに、人間は自分の悪は避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし、他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのだ。



    ③アパテイアの境地

    4-49これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。

    5-6第三の人は自分のしたことをいわば意識していない。彼は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえばそれ以上なんら求むるところはない。

    7-69完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自分の最後の日のごとく過ごし、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。




  • くるぶし(読書猿)さんの「この自伝がすごい/よく生きるためのリベラルアーツ書10冊」より。紹介が面白かったので読んでみた。

    本書の内容は神谷氏の解説にある次の文章がすべてかなと思う。

    p316 これを通してみれば、マルクス・アウレーリウスはエピクテートスのあまりにも忠実な弟子であって、そこには思想的になんの新しい発展もない。そしてストア哲学の思想というものが現代のわれわれにとっていかなる魅力を持つかと考えてみると、そこには自ずからある限度がある。その説くところの物理学も論理学ももはや我々にとってほとんど意味がない。ただその倫理のみがその厳格なる導義観をもって今日もなお崇高な美しさと権威とを保っている。しかしこれもまたある限界を持っている。この教えは不幸や誘惑にたいする抵抗力を養うにはよい。我々の義務を果たさせる力とはなろう。しかしこれは我々のうちに新しい生命を湧き上がらせるていのものではない。「われらの生活内容を豊富にし、われらの生活肯定力を充実しまたは旺盛にするものではない。」そういう力の泉となるには、全人格の重心のありかを根底からくつがえし、おきかえるような契機を与えるものが必要である。それはスト哲学にはない。
    しかしこのストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである。マルクスは書斎人になりたくてたまらなかった。純粋の哲学者として生きるのをあきらめるのが彼にとっていかに苦痛であり、戦いであったかは『自省録』の随所にうかがわれる。しかし彼の場合には、彼が肯定として生々しい現実との対決に火花を散らす身であったからこそその思想の力と躍動が生まれたのかもしれない。『自省録』は決してお上品など疎く組んで固められたものではなく、時には烈しい怒りや罵りの言葉も深い絶望や自己嫌悪の呻きもある。あくまで人間らしい心情と弱点を備えた人間が、その感じ易さ、傷つき易さのゆえになお一層切実にたえず新たに「不動心」に救いを求めて前進していく、その姿の赤裸々な、生き生きとした記録がこの『自省録』なのである。



    この本の中の物理学や論理学は思想内容的に古くて本当に役に立たない。まあ2世紀に書かれたものなのでそれは仕方ないとしても、倫理学の思想もストイックを通り越して自己欺瞞にすら思える。
    なので全文を読む必要はまったくない。
    ただこの『自省録』を読むと、哲人皇帝でさえ毎日が自分の醜い部分との戦いであり、そして同じ戒めを何度も自分に言い聞かせなければならなかったことがわかる。(ほんとに同じことを何回も書いてて、認知症かと心配になるくらい。)
    必死に生きたマルクスの考えや記録に触れることで元気をもらう。
    そういう読み方がオススメ。

  • 哲学は素晴らしい、どれをとっても本質的なことばかりだ。自省の大切さがよく分かる一冊だが、やっぱり行動しないと何も変わらない。

  •  読み始めたときは「あぁそうだ。ほんとにそうだ」「んーんわかる!これからはそれを意識して生きていこうかな」などと思いながら、現れる金言の数々に目を開かれつつ、何本も線を引いていた。これらの全てを、自分が遵守できたならば、どのような人格になれるのかなどと夢見心地に思ったりもした。
     しかしずっと読んでいるとその金言があまりにもたくさんなので、最後には「それができたら苦労しないよ!」と諦めの気分も出てきた。
     筆者も決してこれら全てを実行、遵守できたわけではないだろう。彼ができたかどうかは当然問題にはならない。1人の人間が生きながら自分を注視し、反省し、ここまで簡潔かつ一般的に物事をまとめ上げたことが素晴らしいのだ。

  • やはり哲学の書籍を理解するのは難しい。

    心に残ったのは
    ・すべての主観を捨てることができれば心は常に凪のような静かな状態になること
    ・また善い人間とは何かを論ずるよりも先に、善い人間であれということ

    前者の内容に対して少し問いが湧いたので考えてみた。(あまり問いが湧く事はないんだけど、哲学の書籍だからこそなのか…)

    確かに起こった事実に対してどう感じるかは全てが主観である。起こった物事をどう見るか、どう捉えるかに注力をしてきたが、そもそもその主観を捨てられれば心が乱される事は無い。

    凪と言う言葉自体が好きで、そういう心の状態でありたいと考えているため主観とどう向き合うと良いのか?と言う問いを自分の中で大事にしたいと思った。

    ただ主観って、自然と湧き出る感情だと思う。
    ある物事に対してどのような感情が出るかは人それぞれで、その感情の裏というかベースにはその人それぞれの価値観が影響していると思う。
    とすると…
    その価値観を捨て去る事はできるのだろうか?
    また価値観を捨て去って常に心が凪の状態は本当に幸せなのだろうか?
    と言う問いも同時に湧いてきた。

    心が凪の状態とは、何事にも動じず常に冷静な状態ではなく、いろんなもの物事に対して感情は動くが、その動いた感情自体が心地良い状態であることを凪と言うように定義をすると私でも出来るような気がするし、またそうありたいと思う。

    ====
    マルクス・アウレーリウス(Marcus Aurelius)

    ====
    flier要約
    https://www.flierinc.com/summary/2990

  • ストイックの語源となったストア学派。
    その後期代表的人物がマルクス・アウレリウスである。
    戦乱の最中にありながら善政を行った5賢帝最後の人物として有名なマルクスは、自身の為に自省録を記した。
    以下、お気に入りのフレーズ。

    2-1 書物はあきらめよ。これにふけるな。君には許されないことなのだ。

    2-6 せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。

    3-4 公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。

    4-15 沢山の香の粒が同じ祭壇の上に投げられる。あるものは先に落ち、あるものは後に落ちる。しかしそれはどうでもよいことだ。

    4-17 あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

    4-19 死後の名声について胸をときめかす人間はつぎのことを考えないのだ。すなわち彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上がっては消え行く松明のごとく彼に関する記憶がつぎからつぎへと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを。しかしまた記憶する人びとが不死であり、その記憶も不朽であると仮定してみよ。いったいそれが君にとってなんであろうか。いうまでもなく、死人にとっては何ものでもない。また生きている人間にとっても、賞讃とはなんであろう。せいぜいなにかの便宜になるくらいが関の山だ。ともかく君は現在自然の賜物をないがしろにして時機を逸し、将来他人がいうであろうことに執着しているのだ。

    5-1 明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果すために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。「だってこのほうが心地よいもの。」では君は心地よい思いをするために生まれたのか、いったい全体君は物事を受身に経験するために生まれたのか、それとも行動するために生まれたのか。

    5-24 普遍的物質を記憶せよ。そのごく小さな一部分が君なのだ。また普遍的な時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬間が君に割りあてられているのだ。さらに運命を記憶せよ。そのどんな小さな部分が君であることか。

    5-29 君がこの世から去ったら送ろうと思うような生活はこの地上ですでに送ることができる。しかし他人がその自由を許さないなら、そのときこそ人生から去って行け。ただしその場合ひどい目に遭っている人間としてであってはならない。「煙ったい、だから私は去って行く」

    6-29 君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂の方が先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。

    8-50 「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ。

    9-17 空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。

    10-16 善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。

  • 大昔の人なのに、何度も同じことを自分に言い聞かせていたり、悩みや律することは現代の私たちと変わらないことに、妙な安心感と親近感を覚える。神谷美恵子さんの訳の力も大きいのかしら。

  • 文章を読んで、自分でも分からないのに涙がボロボロ出てきたのはこの本が初めてでした。

    「人間は仲間である」という考え方が、競争社会の中で育ってきた自分にとって衝撃的でした。

    でも、多くの人が心のどこかでそうあってほしいと願っていることなのかもしれません。

    2000年前に生きた人間がよく生きるため自分自身に言い聞かせた言葉が
    後世、多くの人たちを勇気づけてきたと考えると胸熱です。

    自分にはこんな立派な生き方はできないかも知れませんが、少しでも理想に向かって歩み続ける人の背中を押してくれる本だと思います。

  • どんなビジネス本よりも説得力がある、古代人の哲学。
    神谷美恵子女史の翻訳のおかげか大変スムーズに読むことができた。
    ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスの内省をしたためたものであるが、現代にも十分通用する内容である。時折わかりづらい部分も多くあるが、仕方がない。マルクスが誰かのためにかいたものではなく、自身のために作成したものである点や書き写しによる伝承も時折、著者の意図としないものもあるからだろう。
     人間の脳の進化なぞ5-6万年前にはすでにとまっているなどとも言われているが、人間の体が如何に進化しようと、思考する力は大きくかわるのだろうか。生身の人間の脳みそがデジタル機器にとってかわらない限り、いちいの考え方にはならないであろう。そのように考えてみると、孔子や孟子、デカルトやプラトンらが考え得て説いたことは何も昔の昔のお話ではないと。
     マルクス・アウレーリウスの読みやすさ(人によってはさっぱりわからないとか)は、現代に生きる狭い考え方の私たちを壮大な気持ちにさせてくれものと感じた。この本と出会った意味、手にとって読んでみた意味があると思う。私もこの本を手にとってみなくてはならなかった意味が実はあります。
     人間は常に迷って迷って何かを決断しなければならないことが一生続きます。そのとき、何かしらの突破口や確証が得ることができるのであれば有意義な一冊になりうると思います。

  • 思想はエピクテトスの影響を受けていると言われている通り、自由意志を以って悪徳を排除せよという主張が繰り返される。本書では指導理性という用語が頻繁に使われている。エピクテトスのような冗長な表現は少なく大変読みやすい。
    皇帝としては内政・外政ともに超多忙で、ストレスも相当なものだったはず。エピクロス派であれば避けるべきと言われる状況だっただろう。しかし彼はストア派の徒であり、公への奉仕が善という価値観で生きている。皇帝ゆえ受けるストレス、お追従への自惚れ、平穏な暮らしへの憧れ等を振り払うべく、内省が繰り返される。
    また宇宙から見れば人間なんてどれほど小さい存在か、と言う視点も繰り返される。人間の一生は短く、死んでしまえば皆同じ。死は当然のこととして受け入れ、現在にフォーカスして生きること。
    現代人が読んでもハッとさせられる主張や表現に満ちている名著だと思う。

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