方法序説 (岩波文庫 青 613-1)

  • 岩波書店
3.57
  • (229)
  • (348)
  • (606)
  • (55)
  • (19)
本棚登録 : 6032
感想 : 405
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361313

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 真理の探究と、日々の生活と。

    デカルトの『方法序説』って、こんなに薄いんだあ、これくらいなら私にも読めるかも。
    そんな気持ちから、あるとき書店で、気軽に他の本と合わせ買いした本書。
    いや……確かに薄いけど……、めっっちゃ、固い。
    フランス語らしい構文で綴られる、抽象的な議論と自然学の考察の断片。
    当時の主流な学問から距離を置き、自らの思想を打ち立てようとする試み。
    もうちょっと、それ以前の学説に関する本を読んでから、手にとれば良かったと後悔しつつ、やっぱり薄さに助けられ(笑)、何とか読了。

    個人的に面白かったのは、
    「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れない」
    と宣言したデカルトが、その真理の探究の道のさなかで
    「工事の期間中、居心地よく住める家をほかに都合しておかなければならない。」
    として自分に定めていた道徳を語った第三部。
    ・極端からはもっとも遠い、いちばん穏健な意見に従って自分を導いていく
    ・自分の行動において、できるかぎり確固として果断である
    ・世界の秩序よりも自分の欲望を変える
    などなど。

    日常生活の中でも、結論が出ていないのに、時間的には何かしらの対処を迫られる問題って、たくさんありますよね。
    苦手だけど全く無縁でいるわけにもいかない人との付き合いとか、持ち家か賃貸かとか、ちっちゃなことだと、キャッシュレス決済まだやってないけど導入しようかなあ、とか。
    自分にとって納得のいく折り合いをつけたいけれど、まだ見つからない、でも現実的には何かしら対処していかなければならない、という時。
    そうか、これからは、この道徳に頼らせてもらおう。

    この本の主題からは脇道にそれた感想になりましたが、デカルトが掲げた近代精神の確立についても、引き続き少しずつ学んでいこうと思います。

  • 人類史上最大の知性(の一人)、ルネ・デカルトが自分の論文集の序文として一般向けに書いた本。
    「我思う、ゆえに我あり」の一節はあまりにも有名。
    読み心地は哲学書というより、科学者のエッセイといった感じ。

    広範な学問を修め尽くしたデカルトは、「学問の基礎(哲学)なんて、いろんな人がいろんなことを言ってて、全然確固たる基盤がないじゃないか。土台があやふやなままだと科学も真理に迫れやしない」と考えた。
    それで、とりあえず根拠のあやふやものはすべて疑ってみた。
    ただ、世の中のものすべてが疑わしいと考えたわけではなく、あくまで真理に迫る手段として疑ってみた。(「方法的」懐疑)

    その結果、あらゆる思考の出発点として「物事を考えている私は確かに存在している、ひとまずそれを真理と認めましょう」という結論に至った。(「我思う、ゆえに我あり」=「コギト・エルゴ・スム」)

    それから、数学はとにかく正しい、直感的に考えて「2+2」の解は4以外にありえないし、三角形の内角の和が180度なのはたやすく証明できる。そういうものだけを真理と認めよう。(「明晰かつ判明」)

    ちなみに、中学や高校の数学で習う関数のグラフの書き方とか、微分・積分の理論とか、変数はx・y・zで表し、定数はa・b・cで表すっていうルールとか、「2乗・3乗」の2や3は右上に書くっていう記法とかを考えたのがデカルト(豆知識)。

    「コギト」の真理は一応見出したけど、デカルトはそこから推論を一つ一つ丁寧に重ねていくわけではない。そこはスピノザと違う。
    本書の中でデカルトは、神の存在証明をちょちょいとやってのけているけど、その出発点となる「実体」の定義や、「完全者が存在する」「人間は完全ではない」という前提もほんとにそれでいいの?と思ってしまう。
    「いろんな哲学者がいろんなことを言うから哲学は根拠があやふやだ」っていうなら、神の存在なんて一番最初に斥けられるのが筋じゃないのか。

    「コギト」以降のデカルトの論の展開の仕方はむしろ若干乱暴な感じがする。
    事実、デカルトが主張していた天文学や人体に関する数々の学説は、後世の科学者たちによって誤りであったことが指摘されていたりする。
    (世界は目に見えない謎の物質で満たされていて、潮の干満は月がエーテルを押したり引いたりすることによるという、いわゆる「エーテル論」をニュートンの万有引力が完全否定しさったことは有名。ただ、よく言われる「ニュートンの万有引力によってデカルトの物心二元論は崩れ去った」という言説には微妙に納得いかない。機械論的説明が否定されただけで物心二元論が否定されたわけじゃない……よね?)

    それはさておき、デカルトが自分に課した「3つの格率(自分ルール)」が面白い。俺ルールにも採用したい。

    ・第一格率:疑ってばかりではなく、とりあえず自国の法律と慣習には従っとけ。
    ・第二格率:自分がこれと決めた意見は、たとえ途中で疑わしくなっても最後まで投げ出すな。何が正しいか判断できないときは「より正しいっぽい」意見にしとけ。
    ・第三格率:「私の力」が及ぶ範囲はどうせ「私の思考」に限られているので、世界を変えようとするよりは自分が変われ。

  • デカルトといえば本書。

    私は先に『情念論』を読んでしまった。

    「我思う故に我あり」

    その真理に辿り着く過程はもちろんだが、デカルトのあらゆる学問に対する姿勢について目の当たりにできる。

    この序説について、自分が(デカルトが)どのような道を辿ってきたかを示され、一枚の絵に描くように自身の生涯を再現しようとされている。

    本書は全六部構成で、第一部は「学問に関する様々な考察」、第二部は「デカルトが探究した方法の主たる規則」、第三部は「二部の方法から引き出した道徳上の規則のいくつか」、第四部は「神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠」、第五部は「デカルトが探究した自然学の諸問題の秩序、とくに心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解明と、われわれの魂と動物の魂との差異」、第六部は「デカルトが自然の探究においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由でデカルトが本書を執筆するに至ったか」が書かれている。

    『情念論』で書かれている“動物精気”についても第五部で触れられている。

    ちなみに「我思う故に我あり」は第四部で語られている。

    ページ数は少ないが、訳を理解し読み進めていくことにエネルギーを必要とされる。

    本書を通して、私もデカルトの言うように“良い精神を持っているだけでは充分ではなく、大切なのはそれをよく用いること”を意識して生きていきたいと思わされた。

  • 思考の過程が論理的に順序立てて書かれているので突飛なこともなくわかりやすい。〈ワレ惟ウ〜〉のフレーズはあまりにも有名だが、それに至るまでの考えも比較的明瞭に知れるし、心身二元論についても、あ〜これが!という感じで、とにかく概要だけ習っていたのを改めて確認するといった感じだった。

  • 意外と庶民的な感覚を持っているんだな、という地点から繰り広げられる知的無双に笑いが込み上げてきた。
    すごいことは分かるんだけど、当時の常識を共有できていないからいまいち目を輝かせることができない。この方々が私の価値観を涵養したため、もはや当たり前として昇華してしまっている可能性もある。

    ところどころで歯切れが悪くて、今のSNSに似ているなと思った。

  • 少々難しいです。
    立ち止まって、もう一度読み返し、理解して進んでいくような読み方でした。しかし、書いていること自体が面白く読破することができました。

    この時代に書かれた本としては、かなり先を捉え、グローバルな見方を持った人だと驚きました。それに勉強量がすごいです。到底普通の人じゃ辿り着けないところにまで学習し、一度それらを捨てて、自らの哲学を編み出しています。

    心に残った部分があるので引用します。
    *わたしは、真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽とみなした。

    *すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、彼らの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のされたものだ。

  • 第3部、第2の格率が実践的に有益だと感じた。

    自らの言動が、他を害することのないようにする姿勢を強く感じた。
    それは、ガリレオなど、当時自らの論を恐れずに発表した人々の断罪を目の当たりにしたからなのかもしれない。
    疑い深く、ある意味で臆病なデカルトであったからこそ、この時代にこうして知恵を授かることができると思うと、有り難く感じる。

    「通常の協力」という概念が新鮮で興味深く感じた。

    未知数をxy...と置く記号法がデカルトのものだと知り、驚いた。

    第2部、明証性、分析、総合、枚挙の、4期則については、自らの道具とするほどに理解できていないように感じたので、時間をおいてまた再読し、実践を試みたい。

  • これはなかなかすごいですね。1600年代のヨーロッパの人間の考えがわかる感じがして(クソデカ主語)もう一読して理解を深めた方がいい書物でした。というのも、その当時のヨーロッパはキリスト教というべきか、神が学問の前提に立っており、神を前提とした意見が出てくるんですけど、今じゃありえない感覚でそこの断絶を感じるあたりが既に面白いです。科学が特に相性悪そうで。

    あとは1600年代のヨーロッパの人間はペルシャや中国に対して、野蛮であるという認識をしていたことがはっきりと分かりました。多分今も似たような感覚がある可能性は否めませんが、そこが知れたあたりから本当に面白く読めました。

    「我思う、故に我あり」が有名な本で読んでみなければと思っていましたが、色々と別の意味で学びを得られたのでとてもよかったです。哲学的な視点よりそっちの方が面白かったので…

  • まちづくりの在り方や、生物学的な事例から自らの思考、考える道筋を解き明かそうとしたもの。今の自分では、あまり頭に入ってこなかった。後日、再チャレンジかな。

  • 「むかしスパルタが隆盛を極めたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。(中略)それらの法律がただ一人によって創案され、そのすべてが同一の目的に向かっていたからである。」pp22
    「その時までに受け入れ信じてきた初見会全てに対しては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ。」pp23
    「4規則」pp28
    「討論というやり方で、それまでま知らなかった心理をなにか一つでも発見したというようなことも見たことがない。(中略)相手を打ち負かそうと賢明になっている間は、双方の論拠を考量するよりも、真実らしさを強調することに努力しているからである。長年優れた弁護士であった人が、必ずしも、あとでより良き裁判官になるわけではない」pp91
    「他の人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができないからである。」pp91
    「」

R.デカルトの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ニッコロ マキア...
ヘルマン ヘッセ
三島由紀夫
ヘミングウェイ
ドストエフスキー
アンリ・ベルクソ...
谷崎潤一郎
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×