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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
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再生的構想力による綜合は、経験的法則即ち連想の法則のみに従うものであるから、ア・プリオリな認識の可能を説明するにはまったく役立たない、またかかる理由から、先験的哲学に属するものではなくて心理学に属するのである。
― 194ページ -
の一切の適用の根拠であるところの)適用である。構想力のかかる綜合は形象的綜合であって、知的綜合(構想力をまったく援用せずに、悟性のみによるところの)から区別される。構想力が自発的である限り、私はかかる構想力を“産出的”(produktiv)構想力とも名づけて、“再生的”(reproduktiv)構想力から区別する。
― 194ページ -
構想力が“カテゴリーに従って”直感〔における多様なもの〕を結合するところの綜合は、“構想力”の先験的綜合でなければならない。これは感性に及ぼす悟性の作用であり、また我々に可能な直感の対象に対する悟性の最初の(同時にまた他
― 193ページ
みんなの感想・レビュー・書評
人間は、時間、空間、数、大きさ、といったような概念を
みずから持っていて、それにあてはまるものを認識している。
つまり、物それ自体をありのままに見たり認識したりしているわけではない。
だから、人間の認識を可能にしている理性・悟性・感性にはおのずと限界がある。
著者は、人間には世界にあるいっさいのものを認識する能力はない、と言う。
人間の認識能力を超えているものを見るということはありえないと。
だからといって、彼は神秘的な事柄など存在しえないとしたわけでもない。
彼は神の存在や神秘的な事柄があるということを充分に示唆もした。
ただ、それは人間の知性では把握できないだろうと。
そんな感じで受け取りましたが、さて。(・ω・)
やーっと読み終わった。
上、中、ぞくぞくするほど面白くて
下巻になったとたんに「あれ?瑣末な議論ばっかり…」
まだ瑣末な議論やっとるなーと思ってたら読み終わっていた
多分、カントさんは上、中で言いたいことだいたい言ってしまっていて
下巻では言い残したことをぽつぽつ喋ってただけだったのだろう。
だめだ、カントが好きすぎて洗脳されそうだ
カント「主義者」にはなりたくない
さて、次読むのはヘーゲル精神現象学ですが
これもナカナカブアツイ
読み終わるのはいつでしょう?wwwまた半年後?www
でも高校時代はこれくらいの厚さの本一週間で読んでたのになあ…
読めなくなったのは病気のせいにしていいのかなあ…やっぱり若さがなくなったってことだよなあ…
内容(「BOOK」データベースより)
イギリスの哲学者ヒュームの示唆をうけて、先験的観念論をうちたてた『純粋理性批判』は、『実践理性批判』『判断力批判』とならぶ、カント(一七二四‐一八〇四)三大批判書の一つで、これら「批判哲学」の基礎に相当する、著者の理論の代表的労作である。
目次
緒言
Ⅰ 先験的原理論
第一部門 先験的感性論
空間について
時間について
第二部門 先験的論理学
緒言 先験的論理学の構想
第一部 先験的分析論
第一篇 概念の分析論
第二篇 原則の分析論(判断力の先験的理説)
「難しい」ということは評価に介入すべき事項ではないと思うわけで、 文句なく★5つです。 感性(=経験)で見ることが、実在の純粋認識でないということは、 暗黙知の領域で、感覚として既知だったので、 確認作業に近かったかな。 けれど、暗黙知の言語化は再現性を生むし、 なにより高次レベルへのステップとなる。 しかも悟性とか現象とかの概念も理解できたし。 やはりやはり、暗黙知の理論化は必要... 続きを読む »
視点の転換を提唱するコペルニクス的転回は有名ですね
対象(客観的世界)のあるがままの姿をひとが認識するのではなく、ある枠組みにしたがって対象を構成することで認識する
つまり私たちは対象物を枠組みのなかでしかとらえることしか出来ず、私たちは世界を構成することでしか世界を認識できないってことです
物自体ではなくあくまで現象の認識なんだって考えると理性の限界ってやはりあるんだろうか 理論の限界って認めざるを得ないとすればそれは思考の放棄なんじゃないか
カントの代表作。私はこの本を、ほとんど青春小説のように読んでいました。哲学は難解であるとか、ややこしいと思われがちですが、その本質はやっぱり芸術に近い営為なんじゃないか?と思います。一枚の絵画を見て作家の感性に打たれるように、カントのナイーブさに心が震える一冊です。

中島敦を見習え to 翻訳者 Part 2





