歴史哲学講義 (下) (岩波文庫 青 630-0)

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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363003

感想・レビュー・書評

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  • 元々はフォイエルバッハの理論やマルクスの「ドイツ・イデオロギー」を読む上で、まずはヘーゲルから当たるべきかと思って読み始めたこの本であるが、確かに通ずる物が多いとは思った。

    彼は「欧州」についてはかなり詳述していたし、近代歴史学の源流をなした意味では大きいのかもしれない。しかしアジアに関しては研究はしているものの、なんとも「文明人による野蛮な連中の紹介」のようなきらいがあるのはいなめない。

    とはいえ、訳自体はかなり読みやすく仕上がっていた。彼の理論自体は、欧州に関しては特に特筆すべきところはないであろう。むしろ現代の歴史自体が、彼の理論の俎上にあるように思われる。

  • 歴史における「理性」を明らかにしようとするヘーゲルの歴史哲学は、否定的に取り扱われた東洋世界を抜けて、西洋世界へと足を踏み入れていく。主観的自由の豊かな内実を展開したギリシャ、形式的原理として自由を確立したものの、「不幸な意識」にとどまるローマを承けて、キリスト教が登場してくる。キリスト教の原理がゲルマン的思想と結びつくことによって、近代西洋へと至る道が用意される。そしてヘーゲルは、「近代」の決定的徴表をルネサンス、宗教改革、そしてフランス革命に見出す。ここに至って弁神論、すなわち自由の原理の現実化の過程を把握する世界史の哲学は一応の幕を閉じる。ヘーゲルの「歴史哲学」は様々な批判に晒されてきたが、西洋近代が確立してきた原理を歴史的に弁証する試みとして、無視し得ないものであることは間違いない。批判に晒されてきたということが、逆にヘーゲルの思考の偉大さを物語ると言えるだろう。

  • 哲学を読もう第2弾。

    簡単に言いますと、もう何がなんだかさっぱりわかりません。一応あとがきを見ながら自分の言葉で書くと、歴史を通した哲学の、実際にヘーゲルが行った講義を弟子たちがまとめたもので、歴史を通して「自由を透視し、理性を洞察できるはずだ」と言っています。

    上巻では中国、インド、エジプト、ペルシャの古代文明のなかで、当時の人々たちの基本的な考え方(精神のありかた)を述べていた。例えば、インドではカースト制という身分差別のため、バラモンはやりたい放題で下の階層に行けばいくほど、差別が激しくなり非常に精神が低いという風に書かれていた。

    そして時代が進み、ギリシャのアテネでは都市国家として政治に関わるようになり、人々の精神が大変発展したうんぬん。中世からルターの宗教改革、ルネサンスの啓蒙思想、さらにフランス革命を経て人々は個人の自由と人権を獲得していった。非自由、反理性の中国やインドの時代から近代ヨーロッパ(17世紀から18世紀)には自由と理性の時代に入っていったというのを歴史を振り返りながらの講義録である。

    学生の頃は歴史とは実際に起こった事実を勉強するだけで非常に暗記という印象でした。暗記の得意な僕は歴史は得意科目であった。でもそれを通してじゃあ何ができるの、といわれると返す言葉が無い。逆に歴史を哲学を通して読み解いていくと、何千年前のギリシャのアテネでは高度な精神を持っていたというのは非常に驚きだ。そして人類は宗教(ここでは特にキリスト教)の影響で教会が非常な力を持ち、考えるということをやめてしまうのが、中世の時代である。しかし、コペルニクスやニュートンの物理学における偉大な発見のおかげで、教会のあり方に否定的になり人は自由を求めて己の精神を発達させていった。

    日本の場合は江戸時代までは精神の発展が遅れていたのではないかと思う。徳川幕府の影響で非常に安定した時代を築けたが、それは同時に日本人の精神という観点から言えば退廃の時期だ。それがペリーの来航で一気に日本の精神が目覚め、明治に入ると欧米の当時発展した技術的なものだけでなく、人間の本来あるべき姿、つまり自由と理性の生き物なのだというのを、間接的に知ることになったのではないか。だから福沢諭吉は日本の精神を発展させた功労者ではないのかな(あくまで独断なのであまり気にせず読んでください)

    2012年6月のNHK「100分de名著」はパスカルの「パンセ」だった。人間は考える葦である、で有名な生物学者であり哲学者でもあった。彼は理性には限界があると述べていたが、同時代のデカルトは理性は万能であると述べ、結局デカルトの考え方がその後多くの哲学者に影響を与えていった。でも今改めて振り返ると、やはり世の中の出来事はカオスであり、その中で自分の理性を信じて生きていくのはもはや限界があると思うのは僕だけであろうか?

  • 下巻では、ギリシア→ローマ→ゲルマンの世界を順に見ていく。ギリシア・ローマは一部の人だけが自由であったものの、西洋世界の発祥の地となった。貴族政、共和政を経て帝政となったローマでは、貴族だけでなく平民も法治社会における自由を享受できるようになってきたが、その下には奴隷制があった。この状況を変え、全ての人間の神のもとでの平等を主張したのがキリスト教である。ゲルマン世界では、まずカール大帝のフランク王国が出てきたあと、中央集権に対する反動として、封建社会となる。この時代に教皇権は皇帝の力を上回るが、十字軍の失敗により教皇権は失墜。再び世俗の国王に力が集まる時代となる。そして近代の入り、ルネサンスと宗教改革が聖職者の特権を失わせ、市民革命を経て誰もが自由を享受できる社会へとなっていく。

  • 34565

  • 原署名: Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte

    ギリシャ世界
    ローマ世界
    ゲルマン世界

    著者:ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Hegel, Georg Wilhelm Friedrich, 1770-1831、ドイツ、哲学)
    訳者:長谷川宏(1940-、島根県、哲学)

  • あれから二百年の現代。
    共産主義と全体主義の台頭と実存主義、理性の暴発とポストモダン社会の閉塞感。
    ヘーゲルは歴史の動きをどう見ているだろうか?

  • この上下巻は、上巻が東洋編とすれば、下巻は西洋編をなしている。ヘーゲルと云う人は、今で言うかなり自文化中心の人で、東洋の歴史は、「世界精神」というものの歩む歴史的に必然的な発展コースから外れているという理由でかなりないがしろにしている。要は、政治的に正しくない。しかし、そんな凡庸な批判は、補って余りあるほどその直線的進歩史観は、豊穣に有機的体系をなしているように感じた。

    記憶に残ったところは、人間と言うものは、現実から疎外されて、主観と内面の世界に引きこもるとき、初めて世界に対して完全な精神的自立をはたす契機を得る、というような記述。どうもそういうヘーゲル哲学のコアになるような部分に差し掛かると、途端に理解が難しくなってくるのだけど、なにか凄いことを言っているということだけは気配として感じる。

    理解が難しかった部分はキーワードとして「主観」「内面」という語がよく使われていた。ここの辺りのキーワードのニュアンスを知っておかないと、肝心の部分がよく分からなくなると思う。どうも「主観」というものを必ずしも「客観」に劣るものと捕らえていないし、「内面」も「現実」に劣るものと捕らえてない。寧ろ人類の歴史は、素朴な「客観」「現実」による束縛から、「主観」「内面」を経由して再びそれらと統合された「客観」「現実」に邂逅していくのである、とこの本には書かれているように思った。これがいわゆる「弁証法」というものだろうか。よく分からないが。

    この辺りのキーワードのニュアンスは、なんとなく『精神現象学』に書かれていそうな気がする。難しいらしいが。あと、ヘーゲルはキリスト教をかなり重視した歴史観を持っている。山川の世界史なんかでは、キリスト教の内面は問題にしないが、さすが西洋の哲学ではその内面における革命を盛んに論じている。ウェーバーの『資本主義の精神とプロテスタントの倫理』でも、キリスト教部外者には難解な部分が多かったと思う。これを機に、『新約聖書』も読んでみるといいかもしれない。

  • 上巻アジア編については、あまり見るべきところがなかったが、下巻の西洋史の分析についてはヘーゲルの真面目たるところがあるだろう。

  • やはり上巻よりもおもしろい。宗教と政治。

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著者プロフィール

(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)
1770年、南ドイツのシュトゥットガルトで生まれ、テュービンゲンの神学校で哲学と神学を学んだのち、イエナ大学講師、ハイデルベルク大学教授、ベルリン大学教授となる。発表した本は6点、翻訳『カル親書』(1798年)、小著『差異論文』(1801年)、主著『精神現象学』(1807年)、大著『論理学』(1812–16年)、教科書『エンチクロペディー』(1817年、1827年、1830年)、教科書『法哲学綱要』(1821年)である。1831年にコレラで急死。その後、全18巻のベルリン版『ヘーゲル全集』(1832–45年)が出版される。前半は著作集で、後半は歴史・芸術・宗教・哲学の講義録である。大学での講義を通して「学問の体系」を構築し、ドイツ観念論の頂点に立って西洋の哲学を完成した。

「2017年 『美学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

G.W.F.ヘーゲルの作品

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