読書について 他二篇 (岩波文庫 青 632-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363225

感想・レビュー・書評

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  • 多読より良書、良書とは?、本を読む基準、著者の考え=断定形、二度読みは重要

  • 名著と書いて申し分ない。思索と読書の関係性や、筆者の言葉ありきの美意識についてつらつらと書いている。

  • 今の自分にはまだ理解できない部分が多かった。
    何度か読み直し深く理解できるようにしたいと思う。
    古典の本読んでみたいと思います

  • 以下印象に残ったフレーズ

    「まず第一に著作家には2つのタイプがある。事柄そのもののために書くものと、書くために書くものである。」

    「優れた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである」

    「1日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失ってゆく。」

    「重要な書物はいかなるものでも、続けて2度読むべきである。」

    「精神のための清涼剤としては、ギリシア、ローマの古典の読書に勝るものはない。」

  • 『読書について 他二篇』ショウペンハウエル著、岩波新書



     著者は1800年代中盤に活躍したドイツ人の哲学者。ニーチェに影響を与え、そしてそのニーチェと相互に刺激しあったと言われている文豪がドストエフスキー。そんな世代の人の書いたもの。内容を簡単に言うと、上から目線のおっさんがずっと怒っている本。批判の対象は、価値の無いテキストの氾濫、簡潔さを至上命題として国語(ドイツ語)をズタズタに改悪する当時の文壇、バズった話題書を追いかける意識低い系読者層、金のために無責任な批評を書く匿名ライター・・・などなどで、あまりに現代的すぎて苦笑いが止まらない。200年近く人間の「書物」に対する態度は紙がデジタルになったところでそないに変わっていないということか。



     なんでそんな本を買って読んだのかというと、多読という行為についてたいそう辛辣な考えが綴ってあるから。ちょっと自分の頭のネジを巻きなそうと思って。

    「読書は思索の代用品にすぎない。 」

    「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れ込んでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。 」

    「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。 」

    もう身も蓋もない。

     彼自身が哲学者であり著作家であるという前提を割り引いて考えても、私が考えていた「勉強家」の姿を「アホなコピペ野郎」と断じている訳で。

    ただ、定評ある専門の大家による著作、長い時間の評価にさらされ生き抜いた古典を読むべき、という考え方はビジネス会の読書クレイジー出口治明氏(ライフネット生命会長)の考えと同じであるし、「本は2度読め」というのは『知的生産の技術』で梅棹忠夫氏で書いてあることと同じであることを踏まえると、この本の中身は世の中の普通の読み手に対しても言えることなのかしら。自分はあとで引けるリファレンスを増やすことが主目的になっていて、自分に内在化させるという読み方をしないので、少し読み方を考え直してもよいかとも思った。



     さらに、ショウペンハウエルがことさら批判をする「悪書」について彼はこう言っている。

    「 悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。
     良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。 」



     当時は紙媒体しかなかったことを考えると「書物」というのはいわゆる「ニュースソース」全般であると考えて間違いないだろう。つまり、自分が取り入れる「ニュースソース」には責任を持って取捨選択せよ、と言っているだ。

     溜飲を下げるために差別的な言説にハマってしまう中高年ネトウヨや、極端な例で言えば相模原事件の植松被告のように、触れるソースで人間はコロッと思想信条を染められてしまうのである。だから僕は口に入れるものと同じくらい読み聞きするニュースソースについて神経質であろうと思う。



     さらにショウペンハウエルは現代日本のSNSやウェブ媒体の将来を見通していたかのような鋭い指摘を投げかけている。

    「このような匿名評論家は、厚顔無恥なふるまいをいろいろ見せてくれるが、なかでも滑稽なのは、国王のように一人称複数の「我々は」という形式で発言することである。」

     まさに自称愛国者の言説の「クセ」を見事に喝破していて面白い。いつの時代にも「勝手に代表者」はいるものなのね。



    最後に権益層のみなさまに素敵な諫言をひとつ。

    「無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。」

  • 薄いけど読みごたえがあった。
    何事も自分の頭で考えるのが大切。自分のなかで考え抜いたことであれば、消滅することはない。自分の中で消化していないから曖昧になる。他人の言葉を拝借せずに、読みごたえのある古典を読んで自分で考えるのが大事。
    自分で考えた言葉だけを使っているから率直で気持ちのいい本だった。

    この本を翻訳できる語学力のある訳者も凄すぎる。

  • 読む、書く、考えることについて、とことんまで言い尽くした本

    目次
    <blockquote>思索
    著作と文体
    読書について</blockquote>
    ページ数が少ないから楽勝だろって甘く見てたら、ごらんの有様だよ!
    本を読みなれてない人には、軽く嵌れます。深く読まないのならすぐだけどね。

    <blockquote>思索する者は、自分で直接その事柄を把握して物語る。したがって自分なりに思索するにもかかわらず、<u>すべての思想家の間には基本的な一致点があり</u>、<u>相互間の相違はただそれぞれの立場の相違から来るにすぎない</u>。しかし立場の違いはそのままでも、彼らのだれもが同じ事を口にするばあいがある。それは彼らがただ<b>客観的に把握したこと以外は言葉として表さないから</b>である。</blockquote>
    複雑で積みあがった言葉の中に心理がある。最初に読み始めた時、その独特な言い回しは訳によるものだろうかと思ったのだけど、それだけじゃないんだよな……。
    流石に哲学者だけあって、とことんまで考え抜いた時に解る、思想家の間の基本的な一致点という奴を言えるのはすごいな……と思った。ここは何気なく通り過ぎてしまうとこだけど、凄みはこういう感じでそこかしこにあった。

    匿名・書籍発行については厳しく批判する。
    <blockquote>また匿名的方法の効能といえば、当の批評家が朦朧たる頭脳の所有者で、無能、無意味な人間である事をおおい隠す事だけの場合が多い。この匿名という物陰に身をひそめることが我が身保全の道であると考えるようになれば、青年たちは信じがたいほど破廉恥な精神のとりこになり、いかなる文筆的悪事にもひるまないことになる。
    </blockquote>
    2ちゃんねるみたら発狂するだろうな……。ここまで真っ赤になって言うんだもん。

    内容の薄い本を作る人についても……
    <blockquote>つまらないことをわずかしか考えていないのに、はるかに深遠な事をはるかに大量に思索したかのように見せようとして懸命である。したがって彼らはその主張を表現しようとして、<b>不自然、難解な言い回し</b>や<b>新造語</b>を、<u>ダラダラとした文章</u>、<u>堂々めぐりを重ねたあげく</u>、<b>何を考えているのかを不明にする複雑な複合文章</b>を使う。
    </blockquote>
    ……ここまで滅多切りにしてくれるとすっきりする。
    この部分を読んだ後に「<a href="http://mediamarker.net/u/kotaro/?asin=4408107107" target="_blank">キラー・リーディング 「仕事脳」が劇的に回り出す最強の読書法</a>」の経験がすっとフラッシュバックしたよ。
    ああそうなんだ、この本には中身がほとんど無いな〜って思ったのは、正にこういうことをしているからだって思ったね。現につまらなかったし……。

    さらにそこから書くための箴言が並ぶ。
    <blockquote>そこですぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。</blockquote>
    著者はこう述べ、文の中に自分の思想をこめる事が何より大事だと説く。
    それが無い文章は、こう言ってまたしてもざっくり切り捨てる。
    <blockquote>彼らに輪郭明瞭な思想が著しく乏しく、その欠陥が目立つのも、<u>語を理解していない結果</u>である。つまり、もともと彼らには明瞭な思想を作り出すこの鋳型、すなわち自らがめぐらす透徹した思索が欠けていて、そのかわりにあるものと言えば、<b>謎のようにもつれた語の網、だれもがつかう美辞麗句、陳腐な言い回しや流行語</b>にすぎないからである。
    </blockquote>
    正直、ここまで言われたらどうにも言い返せない。

    そこまで言ったことが最終的に有名なこの文に返ってくる。
    <blockquote>読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。</blockquote>
    どんなに本を読んでも価値がない。そこから自分なりに考えた「主張すべきもの」を「所有」した文を書くべきだ――
    そういうことなんですね。

    速読、多読、その他諸々の読書術の本を読みましたけど、やっぱり最後は読んだだけの結果が問われるワケで。
    その手段をただ単に楽しみとしてやってちゃダメ。いや、わかってはいてもこう厳かに言われると、身にしみる……。

    ただ、最後までこの本は読者に噛み付くんですよ。
    <blockquote>読み終えたことをいっさい忘れまいと思うのは、食べたものをいっさい、体内にとどめたいと願うようなものである。
    (中略)
    しかし、肉体は肉体に合うものを同化する。そのようにだれでも、自分の興味をひくもの、言い換えれば自分の思想体系、あるいは目的にあうものだけを、精神のうちにとどめる。</blockquote>
    うへ……完全にフルボッコですがな。おみそれしやした……。

    まぁ、それにしても読むということはそれほど難しくない行為なんですよね。人によってピンキリあるわけですけど、文字が読めない人はいない。それなのに苦手な人と大好きな人に分かれる。さらに読んでいる人でも中身がわかってない人がいたり、好みが極端だったり。
    それは多分、この本も含めてから言うとすると、

    ・そもそも読みなれてない。
    ・本当の言葉でない、水増し文章を読んでいる。
    ・専門書を読まない。または読む本に偏りがある。
    ・読んだ後、そのまま終わりにする。

    といったあたりに原因があるんでしょうね……。
    まぁこの本までストイックでなくてもいいけれど、今はこうやっていろいろ声が上げられるのだから、少しくらいは感想を書いてもいいような気がする。まあ、この本にべっとりの感想でなく、他人のバインダーを散々見てみた自分の正直な感想なんだけど。

  • この人は非常に怒っている
    痛烈に批判している
    人間味が感じられる
    一読をお勧めする

  • 本は他人の思考の反復という点が非常に興味深い。そもそも読書ってという思考の原点回帰をさせてくれる一冊。良書。

  • いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、幾度も考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。…我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。5ページ


    我々自身の精神の中にもえいでる思想はいわば花盛りの春の花であり、それに比べれば他人の本から読み取った思想は石にその跡を留める太古の花のようなものである。8ページ

    富と暇の活用を怠り、富と暇に最大の価値を与える生活に意を用いなかった点をさらに咎めるべきである。127ページ

    さらに読書にはもう一つ難しい条件が加わる。すなわち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものでは無いのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。129ページ


    良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。134ページ

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