時間と自由 (岩波文庫 青 645-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003364598

作品紹介・あらすじ

ベルクソンの哲学的出発を告げた時間論の古典的名著。「意識に直接与えられた」現実を純粋な時間的持続とみなす立場から、自由の決定論と非決定論の双方を"時間の空間化"として批判した。時間意識の緻密な分析を通して具体的現実の復権と真の自由の顕彰を図った20世紀初頭の思想動向を代表する記念碑的労作である。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • これでベルクソンの”四大主著”を読み終わった。一番最初に読んだのが『創造的進化』で次が『道徳と宗教の二源泉』、『物質と記憶』を読んでからこの『時間と自由』だったのだが、ほぼ逆順に読んだことになる。
    今回読んだ岩波文庫版は解説がよく、内容と来歴がとても手際よくまとめられている。その中でベルクソンのことを「永遠の不平家」とか「へそまがりの哲学」と言われているとの紹介があった。後期の著作にはその印象が薄かったのだが、この『時間と自由』にはかなりある。けっこう”激烈”なベルクソンが読める。四大主著の中でもこの『時間と自由』が語り口が最も硬い。
    "人間は、そうするのが不適切なケースでもものごとを空間に仮託して考えてしまう"というのは確かにそうかもしれない。では、時間というものを考えていくと… ベルクソンは、一見素っ頓狂にすら見えるアイデアを真面目に追求していって、結果どうなるか、というところが本当に面白い。いつまでたっても”素っ頓狂”のままなのが「永遠の不平家」「へそまがりの哲学」たる所以だろうか。

  • この手の本に感想というのもちょっと不思議で、本来であれば論文でも書くようなものかなと思いつつ。

    質と量、ひいては空間の緻密な分析に唸るものがあった。
    これにより、持続の概念を導き出し、今までの哲学がテーマとしてきた自由に対する新しい回答を示しているところは、一凡人にはまさしく思いもよらない知のスペクタクルであった。

  • 私の科学万能主義への信仰を最終的に打ち砕いた本、だったと思う。前半の時間概念の構築は非常にスリリングであるが、後半の運命論の論駁はやや冗漫で退屈を感じさせる。しかし、ここまで徹底的に分析することが、当時の風潮をくじくには必要だったのかもしれない。

  • ベルクソンの読書会をしようという話をしていたため、どんなものかと思い読み始めた。わたしたちは普段、時間というものを空間と結びつけることで認識しているが、本来時間とは空間とは別ものである。その本来の時間を純粋持続とベルクソンは呼ぶ。そして空間と結びつけて時間を考えるが故に我々は決定論に陥るが、空間と時間を完全に分離した純粋持続を認識することでわれわれは決定論に陥らない自由について考えることが可能となるという話であった。
    ジュンク堂などのような大きな書店に行くとベルクソンはニーチェとともに生の哲学というコーナーに配置されている。生の哲学ってなんやねん、もう少しましな分類方法があるやろと思っていたが、生の哲学に配置されている意味もなんとなく分かった気がする。例えば、言葉、微分、イデアといった固定的なものを退け、常に動いているもの、変化しつつあるもの(時間と自由においては純粋持続)に本質があるとする姿勢を指して、ベルクソンは生の哲学者に分類されているのであろう。

  • ベルクソンすんごい。
    ちょっとちゃんと読まないと。

  • 刻復習シリーズ第三弾

    『時間と自由』というタイトルだが、『自由と持続』とかの方がしっくりくる気もする。いや、ベルクソン自身に許可をもらっているから別にいいんだけどさ…。
    主題は「自由」…というより「自由意志」かな。機械的決定論に対して、自由意志は存在するのか?存在するならばどういったものか?といったところが中心になっていると思う。

    一章はそれなりにすんなり読める。”感覚は量的なものではなく、質的なもの(だから再現もできない)”とまとめてもよいだろう。ウィトゲンシュタインの私的言語論に近い。
    二章、難しいが主題をつかむとそれなりに読める。”時間は量的ではなく、質的なもの”。より正確に言うなら、私たちにとっての時間は…となるだろうけど。空間=科学的記述=量(意味)、時間=センスデータ=質(意義)という対比かな。
    三章、自由についての論だがもうここら辺まで来ると一気にわからなくなる。
    三叉路で道を選ぶことを「自由」とするのは誤っている。なぜならある時間ある空間は繰り返されることはないからだ…というのはなるほどと思った。『歴史は繰り返さないが、韻を踏む』と言ったところだろうか。
    本論の「持続」もいまいち掴めなかったが、過去↔現在↔未来を感じる「この感覚」こそ持続であり、その流れが「自由」と呼ばれていたのだろうか…?しかし自由を「定義できない」と言ってしまうのは(まぁ言葉という量的なものに時間という質的なものを表せないことはわかるが)、もはや何でもありな気も…。

    時間に対するスタンスは非常に近かったが、自由/自由意志への意見は一回精査する必要がありそうな気もする。
    そして難書らしく、Web上での意見が全くバラバラだったのも面白かった。いつか解説本など読みたい。

  • 11
    開始:2023/4/3
    終了:2023/4/7

    感想
    自由の復権。事後的に分析された行為はもはや生き生きとした感じを失っている。出来事はあらかじめ決まっていない。それなら今を楽しむのみ。

  • こんなことを年が年中考えている哲学者の迫力を疑似体験できた。
    変態だ。

    がゆえに、新しい考え方をたくさんもらえた

  • 『私たちは私たちに対してよりは、むしろ外界に対して生きている。自由に行動するということは、自己を取り戻すことであり、純粋持続のなかに身を置き直すことなのである。』
    空間化された時間に生きる身としては、直観により捉えられた“流れる時間”を意識するのは困難。いつになっても哲学は難しい

  • 時間と自由
    (和書)2009年06月01日 21:24
    2001 岩波書店 ベルクソン, Henri Bergson, 中村 文郎


    カントに影響を受けていないけどカントであると言ったことが解説に書いてあり、柄谷行人が言う事前の立場、事後の立場ということの時間と言うこと、自由の相互性(互酬性)ということの自由などその辺りの要点について書かれているんだろうなって思いながら読んだ。

    文体は非常に読み易い。もっと読みにくいものを想像していたので吃驚した。ただベルクソンの言いたいことや位置づけなどよく分からないという感じ。

    この著者の本はもう一冊買ってあるから読んでみようと思う。

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著者プロフィール

1859-1941。パリ生まれ。フランスの哲学者。コラージュ・ド・フランス教授(1900)。アカデミー・フランセーズ会員(1914)。ノーベル文学賞(1927)。主著に『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)、『物質と記憶』(1896)、『創造的進化』(1907)、『道徳と宗教の二源泉』(1932)など。

「2012年 『ベルクソン書簡集 Ⅰ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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