- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003365625
作品紹介・あらすじ
ルーアンの新聞に「日曜語録」として連載されたのを皮切りに、総計5000に上るアランの「プロポ」(哲学断章)。「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとするこの独特の文章は「フランス散文の傑作」と評される。幸福に関する93のプロポを収めた本書は、日本でも早くから親しまれてきたもの。
感想・レビュー・書評
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案ずるより産むが易し。難解さが驚くほど無い哲学断章...というか、いっそエッセイか。
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“性格”と“宿命”を毎日欠かさず読んでいる
涙が出そうになる -
どうしても
無人島に1冊しか本を持っていけないなら
この本を持っていきます。
高校時代に初めて読んでから
何度も何度も読み直しては読み直すたびに
新しい発見や気付きがあります。
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世界的に知られたアランによるエッセイ。
「幸福」をテーマに、2〜4ページの断章が本書には90ちかく収録されている。
内容は平易で、哲学的な内容ではあるが非常に理解やすい。説教臭くもなく、押し付けがましくもない。
あと、とにかく文章が美しい。
アンドレ・モーロア(19世紀フランスの小説家)をして「これは、私の判断では、世界中でもっとも美しい本の一つである」とのことだが、確かにそう思う。その魅力を減らすことなく伝えている訳も素晴らしい。
アランの言いたいことを自分なりに簡単にまとめてみる。
・「幸福」とは、自分でつくりだすものだ。ドアを開いて待っているだけでは幸福が訪れることはない。
放任された気分は、すぐに悲しみや苛立ちに変わってしまう。
・「幸福」を自分の外に求める限り、いつまでもそれには辿り着かない。幸福とはつねに、今の自分の中にあるものだから、それを見出すために努力しなければならない。
・そもそも人は自分の「感情」をコントロールすることなどできない。みんなそれができると勘違いしているから必要以上に長く悲しみに浸ってしまう。
例えば指先を紙で切ってしまったとき、人はそこにある種の必然性と原因を認めることができるから、痛みを受け入れる。これが悲しみになると、その原因はすべて自分の内側から出てきたものであると思うから、原因について長く考えたり悲しみに抗おうとする。
そうではなくて、今目の前にあることに集中したり、運動したり音楽を聞いたりすることで、悲しみは和らげることができる。
どれも自明で、普遍的なことであると思う。
だけども、我々は往々にしてこれらのことを忘れてしまう。自分の感情は自分で管理できると考えがちだ。
だから本書の内容を肝に銘じておかなければならない。
そして、アランがここまで一般的なことを述べているにも関わらず、薄っぺらくも押し付けがましくもないのは、やはり文章の美しさと心地良いリズムがあるからだと思う。
読了して終わり。ではなくて、定期的に読み返して自分の骨にしたい本だと思った。 -
修正なしのプロポらしいので、重複する部分が気にはなるが、より作者が言いたかったことが強調されてて逆にわかりやすいのかな?
自分なりのまとめ(超訳)
・イライラしたらウジウジ考えず、筋肉を動かす
・楽観主義は努力のなせるわざ。意思によるもの。
・幸福を持っていないと、人に幸福は与えられな
い。でも、一人だけで留めていたらその幸福を忘 れてしまう。だれががつっついてあげなければ、心は麻痺してしまう。
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アバタロー氏
1925年出版
《著書》
アランはペンネーム
1868年生まれフランス哲学者
1906年新聞にプロポと呼ばれる今でいうコラムを掲載
5000を超えたプロポから幸福をまとめたもの
アリストテレス、プラトン等の影響
《感想》
幸福論3冊を比較
影響を受けた人がヒルティ同様にストア哲学の人達の考え
ヒルティと違う点は神ではなく理性的な人間の中に見いだそうとしていたこと
理性を重んじる合理性、人間性の尊重のヒューマニズムという、合理的ヒューマニズムの考えで、20世紀のフランス思想に影響を与えた(wiki参考に自分まとめ)
・1920年代の歴史
第1次世界大戦後、世界経済はロンドンからNYに、文化はシュルレアリスム
・ヒルティ(1891年):キリスト教、ストア哲学
・ショーペンハウアー(1851年):厭世主義
・ラッセル(1931年):現実主義、平和主義
《内容》
・メンタル
想像力や情念にとらわれない
解放されたければ行動する
・生活
傍観者ではなく自分で行動する
・人間関係
最大の敵は常に自分
・処世術
礼儀作法、自ら率先する -
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00085202 -
タイトルから幸福であるにはかくあるべしみたいなのを勝手に思っていてこれまで敬遠していたが、池田某の紹介で、こんなに簡明に哲学をしているこのひとの哲学は自分のスタイルとよく似ているといっていて、読んでみることに
原題は論というよりかは断章を意味しているようで、アランというひとがひとり哲学するその残滓のようである。しかし、彼もまた「わたし」とはなんだ、「善い」があってしまうという哲学に魅入られた考えるひとで、まるで生きているかのような文体がそこにはある。
生きること死ぬことというのは本当に普遍的なもので、二度の戦争の最中というのをひょっとすると忘れてしまいそうなほど今も変わらない、考えるひとの流れの中にある。
哲学は誰かがこう考えたをたどるものではなく、自分という唯一無二の最大の謎が、生きて死ぬというこれまた最大の不条理を表現していくことだと思う。