キリストにならいて (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003380413

感想・レビュー・書評

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  • これをガラシャ婦人がお読みになっていたのかと思うと涙しないわけにはいかない。

  • 現世にあるものはすべて、被造物であって無価値だから信仰、そして来世にのみ希望をおくべき、という話

  • キリスト教という枠組みを超えて、広くひとの心に響く書。

  • 知恵がない私は、この本を再三再四熟読しなければならない。知恵は謙譲にある、ということを忘れると愚行に陥ってしまう。そのことを忘れないように、何度でもこの本を読みたいと思う

  • 禁欲主義的生活の教科書みたいな本。神の子でありながら、十字架にかけられたキリストというものが、後世でどういう思想に成長していったかがよく分かる。気になったところ抜粋してみる。
    「自身をまず平安に保て、そうすればはじめて他人に平和をもたらすことができよう。温厚な人は、学問を積んだ人よりむしろ益するところが多い。激情の人は善をさえ悪に転じさせ、またたやすく悪を信ずる。しかし、善良で温厚な人物は、すべてを善に転じさせる。(コリント一・一三の五)」(p73)
    「(キリスト)わが子よ、もしお前が私と一緒に歩もうと願うならば、このような心構えをもたねばならない。お前は喜ぶのに対してと同様に、悩みを受けるおりにも、嬉々(いそいそ)としいなければならない。また満ち足りて裕福であるのと同様に、乏しく貧しくあることを喜びとしなければならない。」(p133)
    「他の人は、世間からもてはやされようが、お前のことは誰一人口にのぼせず、世に聞こえない。他の人たちには、あれやこれやと、いろんなことが委任されるというのに、お前のほうはなんの役にも立たないものと判断される。こうしたことがおこれば、お前の天性は、ときに烈しい悲しみを覚えようが、もし何もいわずに黙々としてこれを忍びおおせるならば、それは立派な徳とされよう。」(pp195~196)

  • 解説:大沢章、呉茂一、原書名:DE IMITATIONE CHRISTI(Kempis,Tbomas a)
    霊の生活に役立ついましめ◆内なることに関するすすめ◆内面的な慰めについて◆祭壇の秘蹟について聖体拝受についての敬虔な勧告

  •  修道士としての心得を説いたものであるが、現代においても人生訓、処世訓として通用する内容となっている。例えば注意深く行動するように、度を過ぎた人付き合いは良くない、反省する時間を持つこと、などはよくある処世訓かもしれない。また、何かをするときに他人の評価を気にしてはいけない、自分の行動ではなく他人の行動ばかりに目を向けてやたらに批判をしてはいけない、というのはSNSなど個人での情報発信が容易になった現代にこそ必要な戒めだろう。

  •  この『キリストに倣いて』は聖書に次いでもっともよく読まれた作品とされている。書かれている内容は神の愛なき人生、すなわち富や地位といったものを頼みにする人生というのは空虚なものであり、ただ神の愛を感じている人生がもっとも実り多い人生だというのである。色々と作品内において述べられているが、結局のところ言いたいのはこのことである。

     いうまでもなく本作品はキリスト教信徒へと書かれたものだが、キリスト教信徒ではない私もこの作品を味わうことができた。そもそも本作品において書かれているのは、古今東西の賢者が口を揃えて言っている内容である。外界を頼らず、ただ内界を大事にせよ、と。このことはエピクテトス然り、ショーペンハウアー然りが彼の幸福論において述べられていることである。神の愛というのは結局世界への愛、感謝というものであり、ひいては自己への愛というものであるのだろう。無論この自己への愛というのはエゴイズムとは似て非なるものである。

     実際のところ多くの人間が不幸、というか疲労してそうな顔をして毎日を生きている。よく現代社会のストレスとかという言葉が聞かれるが、それは何も現代社会に限ったことではない。結局なぜこれほど人が不幸なのかと言われれば、自分の幸福の土台を自分自身においておらず、地位や富に置いているからである。だが幸福の土台を自分自身に置くというのはやはり難しいことのようだ。神への愛、という言葉を聞くと現代日本においては胡散臭い眼で見られることだろう。だがそれは幸福において欠かせないものなのであり、幸福な人間はみなやはりこの神の愛を持っている。ただその名称・呼び名が違うであろうが。とはいえ、神の愛は感じようとして感じられるものなのか、という私は疑問に思っており、それは大いに先天性に依存しているものではないか、と私は考えている。言い換えれば神の愛を説いたところで、それを全く感じてない人は結局は一笑に付して終わりであろう。仕方のないことかもしれない。ただ私は神の愛を感じている珍しい人間の一人であり、それで満足するべきなのかもしれない。

  • ちょっと厭世的過ぎる気はするが、心を和らげてくれるのも確か。

  • キリスト教について知るだけでなく人としてどのように生きていくべきかについて諭してくれる本。ルドルフ・シュタイナーお勧めの本。

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著者プロフィール

1380年~1471年。ドイツで生まれオランダのデヴェンテルで学ぶ。修道院で写字生となり、後に司祭となった。神秘神学の著述家として多くの著作を残している。

「2019年 『イミタチオ・クリスティ キリストにならいて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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