コリャード 懺悔録 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003381410

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  • カトリック教会おそるべし。懺悔(告解)というやつは洗脳のための強力なツールだ。

    1619-22年に主に島原地方で布教したスペイン人のドミニコ会士コリャードが著したとされる、日本語による告解の範例をまとめた一種のマニュアル本。17世紀初頭にはるばる極東の島国へやってきて、言葉の壁を乗り越えて組織的な布教をし、弾圧されながらも信者をがっちり獲得していったのだから改めて感心してしまう。

    中身は教義宣言と告解とに大きく分けることができる。当時の日本語の口語の姿をよく伝えているので、国語的な史料としても価値があるようだ。300年前のふつうの日本人が語りかけてくるのだ。懺悔だから基本的に悪いことばかりを話しているせいもあるだろうが、やや戦国時代の荒々しい気風を残す気もする(堕胎の乱暴さとか)。

    六番の御掟(邪淫なすべからず)の告解がやっぱり一番長いw。いつの世も変わらぬ人の業に思いをいたす。間引きや夜這いの風習も伺われる。

  • ここで言う懺悔はカトリックでコンペション=告解と呼ばれるものだろう
    これは1919年~22年(江戸天和)の間日本で布教活動をした
    コリャードがローマで出版したものだそうだ
    原本はラテン語と日本語の対訳で書かれている
    日本の信者が告解した内容を克明に記録したもののようで
    当時の人間模様や考え方がキリシタンの影響で変化していく様子が分かる
    風俗やモラルが現在とまるで違うことを生き証人伝えられたように
    現場の声を聞くことができる
    同時にドミニコ会によるキリシタンの布教がどんなものであったか
    その掟や務めや善悪観によって日本人の暮らし振りを変えてきたか
    年に一度ぐらいは告解をしなければならない義務を覚悟したと言う懺悔も
    記録されていてその心の格闘と矛盾が面白い
    神父からの質問もあったようで
    「ゼウスと申すは何でござるか?」と聞かれ
    「万事が叶い給うすべての源、森羅万象を作り始めもない果てもないご尊体」
    と答えている

    一神教の依存感覚と一つの答えゆだねてしまえる安心に魅力を感じたのだろう
    人魚姫が人間に恋をして心の表現である声を肺呼吸と二本の足と引き換えに
    売り渡してしまった場面を彷彿とさせるものがある

    懺悔を公開していいかと言う問題を考えると
    コリャードを初めローマのカトリック教会や
    そのことに触れようとしないこの本を訳した人達の
    日本人を人間扱いしていない本音と本性が見えてくる
    気付いてさえいない無意識の差別が学問や宗教に根差しているのだろうか

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