生物から見た世界 (岩波文庫 青 943-1)

  • 岩波書店
3.87
  • (124)
  • (140)
  • (137)
  • (14)
  • (4)
本棚登録 : 2781
感想 : 157
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (166ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003394311

作品紹介・あらすじ

甲虫の羽音とチョウの舞う、花咲く野原へ出かけよう。生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす"環世界"の多様さ。この本は動物の感覚から知覚へ、行動への作用を探り、生き物の世界像を知る旅にいざなう。行動は刺激に対する物理反応ではなく、環世界あってのものだと唱えた最初の人ユクスキュルの、今なお新鮮な科学の古典。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人や、虫やカタツムリや犬、それぞれ、持っている世界が違う。その違いは、感覚器の違いによるものもあるが、経験や興味で変わっていくこともあり、同種の生物だとしても、やはりそれぞれで構築した独自の世界があるというのが、とてもおもしろいと感じる。
    それぞれ違う世界で生きている、という前提で生きていると、孤独感が薄れていく気がするとともに、自分の世界も、他者の世界も、それぞれ大切にしなければ、と思う。

  • それぞれの生物が見ている世界は同一の環境ではなく、それぞれの生物が主体として作りだす"環世界"であるという考え方。

    すごく新鮮で面白かった。
    生物が捉えてる環世界について、いろいろな実験が挿絵付きで紹介されていてとても興味深い。
    生物学的な評論なのかな?と思ってたんですが、生物学的もさることながらかなり哲学的な視点が強めでした。
    すごく面白い理論でした。
    分かりやすかったし楽しかった!

    生物って本当に面白いなあ

  • ちょっと思い浮かべてみてほしい。
    ごくごく普通のリビング・ダイニングがあるとする。
    テーブルには皿とコップがある。天井からはペンダントライトがぶら下がっている。部屋の一方にはソファと肘掛け椅子がある。別の一方には書き物机と丸い回転椅子がある。奥には本棚だ。
    人にはダイニングチェアもソファも丸椅子も「座るもの」として捉えられる。皿とコップは食器、床は歩く場所、本棚は読書と関連するもの。
    同じ光景が犬にとってはどうだろう。皿はおいしいものをのせるものでお裾分けがあるかもしれないから「食べ物」の範疇だ。足つきの椅子は飛び乗って座ることも出来る、座る道具だ。ソファは寝やすいからちょっと上等の座るもの。だが丸椅子はまったく別のグループだ。飛び乗ろうとしてもくるくる回ってしまうから、こんなもの、「いす」とは関係ない。ダイニングテーブルも書き物机も等しく意味のないもの。本棚も無意味。単なる「背景」と一緒である。
    蠅だったらどうだろう。彼にとってはここで意味のあるものは、皿とライトしかない。他の情報は区別できず、また区別することに意味もない。
    人・犬・蠅が同時に同じ光景を見ていても、三者がそこから抽出してくる情報はずいぶん異なるものになる。

    ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは19世紀から20世紀にかけて生きた、生物学者・哲学者である。若い頃は異端でありすぎたためか、大学に属することなく、フリーで研究を続けた。60歳を過ぎた頃、ようやく名誉教授としてハンブルク大学に迎えられる。ローレンツなどの動物行動学者やあるいは哲学者に影響を与えた人物である。
    本書は彼の思想のエッセンスを短い14章にまとめたもので、冊子に近い薄さである。だが含まれるイメージは多様で刺激に満ちている。
    目からウロコが落ちる、世界がまったく違って見える、といささか大げさな言葉を当ててもよいほどだ。

    動物はそれぞれ、違う知覚体系を持ち、同じ環境にあっても、見ている部分はまったく異なり、別の「環世界」を持っているというのがユクスキュルの主張である。
    本書でもっともよく引用される挿話はおそらく、ダニの事例だろう。森に住むダニは視覚も聴覚も持たない。通りかかる動物の汗に含まれる酪酸を感知し、木から飛び降りて動物の体温を感じたら、皮膚の毛のない部分に移動し、食い込んで血を吸う。ここには嗅覚と温度感知と触覚しかない。木々の緑も小鳥のさえずりもダニには関係がない。しかしそのことを豊かさがないと言うのは的外れだろう。彼らはそうして生きてきたし、またそうして生き続けていくのだ。

    ユクスキュルが使った「ウムヴェルトUmwelt」という言葉に「環世界」という訳語を当てたのは、本書の訳者であり、著名な動物行動学者である日高敏隆である。主体を取り巻くものを指すのだが、客観的な「環境」そのものを指すというよりは、主体が認識する「世界」であり、主観的なものである。イメージとしては、それぞれの主体が、周囲にそれぞれのシャボン玉を持っているようなものだ。シャボン玉は主体の見えるもの・感じ取れるものを囲い込む。主体が移動するとともにシャボン玉も移動する。

    彼の思想は、純粋に、動物行動学としても役に立つ見方だろう。あるいは動物福祉を考える際の参考にもなろう。またさらに、自分の感覚とは何か、自分の感覚が捉える世界とはどれほど確固としたものかという哲学的な広がりも持ちうる。

    人間と他の動物種が同じ環境にいるときであっても、人間が見ている世界と他の動物種が見ている世界は明らかに違う。
    それはつまり、環境からのインプット(環境をどう捉えるか)も、それに対するアウトプット(環境にどう反応するか)も異なるということである。
    我々が「見て」いながら「それとは認識していない」世界。
    いやはや世界は広く、深く、そして多様であるのだ。

  • 「環世界」という言葉に既視感があり、手にとった一冊。

    この言葉に初めて遭遇したのは、『目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)』 という本を読んだときだったかと思います。

    環世界は、人間だけでなく、他の生物も当たり前のように持っています。

    人間の視点、ハエの視点など、様々な感覚知について、端的にわかりやすく書かれているこの本は、確かに一部古い学説が掲載されておりますが、それでもワクワクさせられる一冊でした。

    自分の見えている世界が全てではない、ということに気づいた後の、もう一歩の好奇心を、満足させてくれる、軽やかな読み応えのある一冊でした。

    今年も読書の秋がやってきました。
    今年は、古典に触れてみようかと思います。

  • これは科学哲学ならぬ生物哲学とでも言えば良いのだろうか。いわゆる「客観的な世界」というのは人間の環世界が形成させたものであって、イヌにはイヌの受容器官に基づく環世界が形成されているし、ハエはハエの受容器官に基づいた環世界の中で生きている。そして環世界を異にする生物同士は、決して同じ時間と空間を共有している訳ではないのだ。内容は造語がやや目立つものの、説明はシンプルで図説も豊富。読書が持つ役割の一つに読み手の世界観を広げるというのがあるけど、これほどまでに自らの世界観を広げてくれる本は他に無いと言っていい。

  • 2022.01.04

    自らが置かれている客観的な「環境」は主体にとって重要ではなく、主体が意味づけを行って捉える環境=「環世界」こそ重要である。
    すべての主体に共通した環境は存在しない。環世界が重なることで世界はできている。
    たしかに、大学で建築を学んでいた時に、学年が進級するにつれて帰り道に見るいつもの街並みがより詳細に見えてくることがあった。建物構造や窓の種類、材料、斜線制限など、建築学生の環世界と言って過言ではないだろう。
    同じ人間であっても、その人の人生の蓄積によって世界の見え方は違うのだろう。この共通認識を持ち得なければ、ダイバーシティは実現しないのではないか。

    環境問題やSDGsを考えるにあたっては、環世界という共通認識の普及が必要不可欠のように思う。そうでなければ、自己満足の環境保全に終わってしまう可能性もあるのではないか。

    落合陽一さんがTwitterで紹介していたので積読していたところ、年始に森田真生さんの『数学する身体』に引用があり、この度読むことができた。
    とても面白い本でした。

  • 普段、我々が五感で感じている世界は、絶対的にそこに存在しているものと思っている。しかし、他の生物とって同じような世界が存在しているわけではない。それぞれの生物には、それぞれが感じる世界(環世界)しかありえないのである。ユクスキュルはマダニやヤドカリなどの具体的な生物を例に挙げて、それをわかりやすく説明してくれる。

    人はついつい他の生物を擬人化してしまう。他の動物にも我々と同じように世界を見て、同じように感じていると思ってしまう。それが他の生物や世界、宇宙を理解する上での弊害となっているのではないか、ということに気付かされる。

    もちろん、ゾウリムシが人間よりも単純な環世界をもっているということは誰でも理解しているだろう。しかし、人間に見てているものが世界の全貌であって、ゾウリムシはその一部しか見えていないのだ、などと考えてしまうと、本質を見失う。人には感じられないが、ある動物には感じられるという事象はいくらでもあるのだから。

    もし人間よりも複雑な環世界をもつ生物がいたとしても、人間にはその存在を知ることすらできないだろう。ゾウリムシが人間を認識していないのと同じように。

  • 生物はそれぞれ固有の感覚と運動器官を持つがゆえに、それぞれに異なる「環世界」を現出、知覚し、その中を生きている。概念としてはジェームズ・ギブソンはじめ様々な現代の知見からすれば真新しくはない(古典にそんなことを言うのも理不尽だが)けれども、実際にさまざまな生物(ダニ、クラゲ、ウニ、ヤドカリ、ナメクジ、ニワトリ、イヌetc..多岐に渡る)を挙げて紹介される生物と環世界のあり方の多様さが面白い。序章の概念的な話は後回しで飛ばしても、二章以降を読む価値があると書いている方がいたが、とても納得したところ。

  • 最初から難しい単語でグイグイくるからついていくのがやっとだったけど、この本を読まなければこの視点には全く気がつかなかった。驚きと感動。

  • 人間にとって見えて認識している環境(世界、空間)と、生き物から見て認識しているそれとの間には甚だしい乖離がある。その理由は主体にとって価値や意味があるものが異なり、センサーの役目をする器官も異なるからという理由を説明した古典的な名著。
    序章と一章は最初は理解できなくて読み飛ばしてもよいです。二章から後ろは短編なので好きなところから読むと取っつきやすい。あとで序章と一章を読めばなるほどと書いてある意義が納得できました。

全157件中 1 - 10件を表示

ユクスキュルの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レーモン クノー
ルース・ベネディ...
J・モーティマー...
遠藤 周作
ジェームズ・スロ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×