- Amazon.co.jp ・本 (463ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003411698
感想・レビュー・書評
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J.S.ミルは悪文家として知られ、名著『自由論』もなかなかの読みにくさだったが、本書はもっと読みづらい。翻訳のせいもあると思うが、とにかくかなり苦労して読んだ。
本書でミルは代議制民主主義を最も理想的な統治体と断言している。私たちから見れば、代議制民主主義の欠点も明らかに実感されているのだが、ミルの考える代議制と、現在の日本の代議制の実態とは、相当の隔たりがある。そこを私たちは熟考しなければならない。
第一に、議会制を根本としながらも、ミルは「多数決の原理」を絶対的なものとしてはみない。これはジャン=ジャック・ルソーからは大きな進歩である。ルソーは少数者は、多数決に敗れたときは自分らの考えが完璧ではなかった(=一般意志ではなかった)と諦め、多数者の決定に絶対的に服従しなければならない、と明言した。しかし議会制民主主義の国家がいよいよ実現し、熟成をはじめたとき、ルソーの思い描いた空想的な「一般意志」では割り切れないことがはっきりとしたということだろう。
ミルは少数者を何とか救い出そうとする。少数派の意見も尊重されなければならない。そこで、少数派を代弁する議員に議会は耳を傾け、議論を一層深めて、広い視野から採決を行っていかなければならない。
「(少数派の意見は)数の力には属さない影響力を、人格の重みと議論の力によって獲得する機会をもつだろう。」(P212)
残念ながら日本の国会はそんなふうには運営されていない。昔から、与党自民党は、反対意見などさっさとはねのけて、数の力で強引に採決するのが得意だ。彼らは異なる立場の意見などに耳を貸さない。要するに、癒着している大企業幹部らと結託し、献金等をとおしてみずから儲け、さらに強引な権力をつかもうということしか考えていないのが自民党だ。
ミルはもうひとつ、議会は常に監視されなければならない、と指摘している。もちろん、主権者である国民にだ。ところが肝心なときに、自公政権の印象を悪くしそうな国会の場面をNHKは敢えて放送しないし、もともと日本国民は政治に関心を持たず惚けているアホなので、監視も何もあったものでない。とりわけ最近はマスコミが、本来のジャーナリスト魂を捨てて久しく、もう救いようのない状態である。
ミルは『自由論』でも語っていたように、民主主義は、主権者である国民が、まずは知性を高め、政治的責任を負いつつ、代議制をとおして政治に参加しなければならないという前提を持っている。
この点も、日本の現状はまるでダメダメである。
もしかしたら、こういう傾向は他の先進国でも見られる傾向なのかもしれないが、日本の場合は、特に、民主主義思想が国民のなかに根付く前に形ばかりの民主制度が、金権腐敗の自民党によってどんどん変容させられた経緯がある。
それはともかく、本書ではミルが当時のイングランドの政情について分析・記述している部分も多く、そのへんはよくわからなかったものの、捨てがたい、優れた主張がなされた部分もあって、やはり『自由論』に次いで読まれるべき名著なのだ。しかし、もう少し読みやすくならないものかな。 -
読みづらい。。。内容的にもさほど大きな感動や得るものはなし。リップマンやカーなどの古典は読み手の知的好奇心を刺激するが、ミル自身の文章の問題か、それとも多くの読者が指摘するように、やっぱり訳者の訳の問題か、ちょっと読むのが苦痛の本だった。
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解説に「ミルの文章はけっして名文ではなく、論理も明快ではない…。息のながい文章のなかに、いろいろの挿入があって、全体の意味がつかみにくいばあいがある。訳文の生硬さのいいわけではなく、読者のご注意をおねがいしておきたい」(p451)
とあるが、まったくもってその通りである。僕がこの本の意味がわからなかったのもやむをえない、というべきだろう。
しかし、
「団体がどんな個人よりよくできることは、熟慮である。」(p123)
という文章は、現在でも傾聴すべき価値があると思うのである。