社会学の根本概念 (岩波文庫 白 209-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (104ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003420966

感想・レビュー・書評

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  • えーっと、一言で言うと「全然わかりません」。

    印象に残ったのは「因果関係は飽くまでも仮説的にとどまる」という点かなあ。

    「現実の認識過程は、初めに、経験的観察がいろいろと行われ、その後で、解釈が作られるという過程であった。この解釈が成功しない間は、因果関係を求める私たちの気持は決して満たされることがないであろう。しかし、その半面、観念的に推論された行動の経過を仮定しても、それが或る程度まで実際に起こったという証拠がない限り、法則自身がいかに明確でも、現実の行為の認識にとっては、価値のない観念的構成物ということになるであろう」(p18〜19)

    歴史学は「実際に起こったという証拠」から「法則」や「仮説」を考えるものだと思う。法則だけでは「現実の行為の認識にとっては、価値のない観念的構成物ということになるであろう」というウェーバーの言葉は、歴史学にとっていまだに力を持っている言葉だと思う。

    …まあそもそも、ウェーバーとかに社会科学の方法を学んでる時点で、歴史学はその方法を誤ってきたという声が衣笠のほうから聞こえてきそうだが。

  • 何年も前に本書を買ったが、難解で手がつけられなかった。改めて熟読するとなんとなく意味がわかるものの判然としない部分も沢山ある。気が向いたら著者の他の作品も読み、本書に記載されている概念の外堀を固めてみたい。

  • 難しい。
    私は社会学に関する予備知識はまったくない。そのためか、この本に書かれている言葉に関し、通常思い浮かべる定義と本書の定義(社会学的定義)とが異なることに戸惑いもあるし、読み進めるにあたり、何度も戻り読みしなくてはならなかった。
    また、訳者の言葉の中に、「あまり重要と思われない括弧などを省略し・・・」とあるが、それでも、文としてかなり読みにくく、主語を見失うことも多くなかった(この本特有というよりは訳本に多いと感じるが.自身の読解力のレベルにも起因すると思われる.)。

  • 「ところが、社会学による行為の理解的解釈から見れば、右のような集団は、諸個人の営む特殊な行為の過程および関連にほかならない。なぜなら、私達にとっては、諸個人だけが意味のある方向を含む行為の理解可能な主体であるから」 ー 23ページ

    『プロ倫』を書いた人なので当然といえば当然なのかもしれないが、ウェーバーの着眼はあくまでも個人にあることを再確認した次第。よく比較されるデュルケームは個人というよりは環境とか社会組織のほうにより着目している印象があるけれども、どちらが正しいというよりも、理解するべき事柄によってどちらを強調するべきかは変わるのだろう。

    というかプロテスタントって個人主義的なイメージが強いし、実際慣習や思想体系にも個人主義色の強さがにじみ出ているってよく強調されているけれど、そういった認識の強化に『プロ倫』が貢献したところは少なからずあると思うのだけどどうなんだろう。プロテスタントは現在ではあまりにも分化しすぎていて一般的な特徴を挙げるということがとてもじゃないけど困難になってきている昨今、くしくもウェーバーの挙げた「理念型」という概念とともに、プロテスタントの一般的イメージも保存されているような気がしてならない。

    いやウェーバーほとんど真面目に読んでないしプロテスタントに関しても詳しくないのでマジで小並感なんですけどね!(言い訳)

  •  マックス・ヴェーバーが死の直前に、社会学の概念の整備を試みた論文。
    社会学の整備なんて言う位だから、概念の説明がひたすら並ぶ本。しかし、哲学ほど読みにくいわけではなく、マックス・ヴェーバーが社会学上でどのような考えで言葉を使い、どう考えてきたのかが良く分かる。
     分量も少ないし、社会学を勉強しようとする人は、まず読んでみたらいかが?といった内容である。まぁ、それ以外の人は、それほど面白くないかもしれないけどねー。

  • 秩序だとか電灯だとか、慣習・習慣なんかについて色々こまごまと分析してる本。
    分かったような気がしてたけど、読み終わった現時点であんまり覚えてないから明日には確実に全部忘れてる件^^^^^^^^^^^^^^^^
    でもやっぱり社会学は興味深いっぽいわ。

  • ウェーバーの死後に刊行された論文。社会の分類や特性についてのべてある。権力や闘争の考察は興味深いものがある。ただ、ウェーバー自身も断っていることだが、抽象的すぎてつまらない感じがするのは否定できない。また文体上、挿入句が多すぎて読みづらい。これは訳者の所為ではないだろう。ウェーバーにとって、理解可能なのは個人の行為のみであって、これが組合わさってさまざまな社会が構成される。個人の社会的行為は1)目的合理的行為・2)価値合理的行為、3)感情的行為、4)伝統的行為に分けられ、相手を目指す社会的関係とあいまって、習慣や慣習・秩序・闘争が生みだされる。また、社会的関係にはテーニエスもいうように、共同社会関係と利益社会関係があり、それぞれに開放と閉鎖があり、代表権が設定され、権力と支配が構成される。政治関係の根底には暴力があるということも重要な指摘である。それにしても恋愛から宗教・経済・国家までを射程にいれた社会の分析はスケールが大きいと思う。

  • 社会学で使用される用語の概念が書き連ねられているだけ。未完。

  • 読書中。

  • ¥105

著者プロフィール

1864-1920。ドイツ、エルフルトに生れる。ハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律学を専攻し、歴史、経済学、哲学に対する造詣をも深める。1892年ベルリン大学でローマ法、ドイツ法、商法の教授資格を得、同年同大学講師、93年同助教授、94年フライブルク大学経済学教授、97年ハイデルベルク大学経済学教授、1903年病気のため教職を去り、ハイデルベルク大学名誉教授となる。1904年Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitikの編集をヤッフェおよぴゾンバルトとともに引受ける。同年セント・ルイスの国際的学術会議に出席のため渡米。帰国後研究と著述に専念し上記Archivに論文を続々と発表。1918年ヴィーン大学教授、19年ミュンヘン大学教授、経済史を講義。20年ミュンヘンで歿。

「2019年 『宗教社会学論選 【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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