お菓子とビール (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003725054

作品紹介・あらすじ

亡くなった文豪の伝記執筆を託された友人から、文豪の無名時代の情報提供を依頼された語り手の頭に蘇る、文豪と、そしてその最初の妻と過ごした日々の楽しい思い出…。『人間の絆』『月と六ペンス』と並ぶモーム(一八七四‐一九六五)円熟期の代表作。一九三〇年刊。

感想・レビュー・書評

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  • 中年作家のアシェンデンは作家友人のロイ・キアからの伝言を受ける。
    ロイは先日亡くなった作家の巨匠、テッド・ドリッフィールドの伝記を引き受けていたが、後半生しか知らない。
    そのためドリッフィールドの若い頃を知っているアシェンデンから情報を欲しがっていた。

    連絡を受けたアシェンデンは、ドリッフィールドとの交流を回想する。
    アシェンデンがドリッフィールドと知り合ったのはまだ彼が学生の時。ドリッフィールドがまだ最初の妻ロウジーといた頃だ。
    ロウジーはドリッフィールドを知る者たちからは評判が悪い。身分が低く浮気症で飾らず、ついにはドリッフィールドを捨てて別の男と駆け落ちした女。
    ロウジーと別れたドリッフィールドは、芸術界の後見人にして社交界への仲介役ミセス・バートン・トラフォードにより作家としての地位を得て、高齢になったことにより巨匠に格上げされた。
    二度目の妻のエイミは、ドリッフィールドが生きているときは田舎に隠居した巨匠を完璧に演出し、死後は巨匠の未亡人として完璧を装う。

    でもドリッフィールドだって低層階級出の元水夫、風呂に入らなかったりパブで労働者と飲んだくれたり、家賃や家具の代金を踏み倒して夜逃げして自分の起こした騒ぎを聞いて大笑いするのが本質だ。
    だから”巨匠”となった後でも彼が書く作品では社交界の人間より市井の人間の方が生き生きしているではないか。

    だがそんな話はドリッフィールドの”巨匠”としての姿だけを求める人々は聞きたくないだろう。
    だからアシェンデンは1人で回想する。
    美しく魅力的な女性とその夫との思い出、不道徳で解放的で傷つきもしたが楽しかった日々、そしてとびきりの秘密を。

    ===
    題名の「お菓子とビール」は、人生を楽しくする物、という言い回しだそうです。
    そして甘いお菓子とほろ苦いビール、子供のお菓子と大人のビールという人生の機微も感じられる題名です。

    モームは「月と六ペンス」と、短編集を読んだことがありましたが辛辣で突き放した印象があったのですが、
    こちらは辛辣さや皮肉さの底にユーモアと愛嬌がありました。
    したたかな社交界での上っ面と本音、甘く苦い青春の思い出、人生の愉しみ、映像が頭にすんなり浮かぶような流れる物語です。

    最近ヘンリー・ジェイムスを読んだのですが、サマセット・モームとは同じ社交界に所属していたのか、「ヘンリー・ジェイムスならこう言うだろう」なんて出ていたので確認。モーム1874年生まれ、ヘンリー・ジェイムス1843年生まれ、モームのいた頃の社交界ではヘンリー・ジェイムスは真面目で堅物な伝説的(今風にいうとネタ的?)存在だったのだろうか。
    ヘンリー・ジェイムスは幻想譚の中でも直接的な風刺を施し、モームはオブラートで幾重にも包みながらも非常に辛辣な表現です。
    本作の登場人物に対しても、大衆的に成功した作家のロイ・キアに対して、
    「人当たりが良くて謙虚、誰にどうふるまえばいいかを察して、自分を批判する相手にも誠意を見せ、社交界で作家界で認められてきた」などと褒めつつ、
    冒頭でロイ・キアからの電話を「留守をしているときに電話があり、ご帰宅後お電話ください、大事な要件なのですという伝言があった場合、大事なのは先方の事で、こちらにとってではないことが多い。贈り物をするとか、親切な行為をしようという場合だと、人はあまり焦らないものらしい」から始まり、
    「仲間の小説家が世間の評判になっている場合、その作家にロイほど心からの愛想良さを示すものはいない。だが、その作家が怠惰や失敗の成功などのせいで落ち目になった場合、ロイほど手の平を返すようにつれなくできるものもいない」
    「物言いは気が利いくものでもないし、機知に機知に富むものでもない」
    「あんな僅かな才能であれだけ高い地位を得た作家は私の同年代には見当たらないと思う」とまで言っています(^_^;)相当な皮肉ですが嫌らしさは感じず、あまりに作者の筆が進んでいるので、むしろ褒めてるのか?とさえ思えてしまいます。


    ”巨匠”ドリッフィールドに対しても、無邪気な面を持つ彼に親しみを感じながらも、
    「彼は一つの情念を味わい尽くした後は、その情念を起こさせた人にもう関心を抱かないと思うからです彼は強烈な感情と極端な冷淡さを持ち合わせた特殊な人でした」と冷静な目線も持ちます。

    こんな作者がただ愛おしさを語るのがロウジーに対してです。
    ドリッフィールドと楽しい日々を送りながらもあらゆる男と関係し、作家の妻として振る舞おうとしない、輝く肌と魅惑の笑顔を持つ女性。
    「彼女はごく素朴な女でした、彼女の本能は健康的で純真なのもでした。人を幸福にするのが大好きでした。愛を愛したのです」
    「彼女は欲情を刺激する女ではなかったのです。誰もが彼女に愛情を抱いてしまいます。彼女に嫉妬を感じるのは愚かなことです。たとえてみれば、林間にある澄んだ池でしょうか。飛び込むと最高の気分になります。その池に浮浪者やジプシーや森番が自分より先に飛び込んだとしても、少しも変わらず澄んでいるし、冷たいのです」


    語り手が作家の為、ところどころに作者の実体験や考えがそのまま述べられていると思われるところもあります。
    作者が、作家にとって一人称で書くこととは、という考えは以下の通りです。
    初めに「自分の愛想の良い所とか、いじらしい所などを書くならこの手法で結構である。(中略)しかし、自分の間抜けな姿をさらす場合には、あまり具合の良い手法とは言えない」と言います。
    しかしモームがある作家に小説における第一人称を否定され、その真意を考え、色々な小説論を読み結局作者なりの考えを書き続けます。
    「人は年齢を重ねるにつれ、人間の複雑さ、矛盾、不合理をますます意識するようになるものだ。これこそ中年か初老の作家がもっと重要な事柄を思考するのでなく、架空の人物の些細な関心事を書くことに熱中する唯一の弁解である。(中略)
    小説家は時に自分を神のように思って、作中人物についてあらゆることを述べようという気になることもある。また、時にはそういう気にならないこともある。後者の場合、作者は作中人物について知るべきすべてでなく、作者が知っていることだけを述べることになる。人は年と共にますます神とは違うと感じるものだから、作者が彼と共に自分の経験から知ったこと以外は書かなくなると知っても僕は驚かない、第一人称はこの限られた目的にきわめて有効なのである」(P216〜)

    話もよくてモームの喋りも絶好調というような実に素晴らしい小説体験ができました。

    • 日曜日さん
      この小説、素晴らしいですよね!モームの中で一番好きです。最後の最後に自分だけに素敵な秘密を教えてもらったと言う感じ、最高の読後感を思い出しま...
      この小説、素晴らしいですよね!モームの中で一番好きです。最後の最後に自分だけに素敵な秘密を教えてもらったと言う感じ、最高の読後感を思い出しました。
      2018/08/20
  •  56歳のモームが、自分の人生を振り返りながら書いたもののようです。他の作品と同様にここでも、モームの鋭い人間観察に基づく皮肉たっぷりで手厳しい人物評が繰り広げられていきます。みんな俗物ばかりで、聖人君子なんて一人も登場しません。そんな登場人物たちの中にあって、とりわけ奔放で不道徳な女性であるロウジーだけが、ひときわ魅力的に描かれています。

     多くの男たちがロウジーを愛し、ロウジーから安らぎを得た。その中にはかつての「僕」も含まれていたが、若く潔癖だったその頃の「僕」は、何人もの男と平気で関係を持つロウジーのことが我慢ならなかった。そこには嫉妬の感情も混ざっていたのだけれど……

     それからずっと時を隔てて、人生の後半を迎えた今となっては、ロウジーのことが「僕」の大切な思い出になっているようです。だから、階級社会の古い道徳観からしか物事を見ることができないロイやエイミがロウジーの悪口をいえば、「僕」は思わず反発してしまうのでしょう。

     語り手の「僕」にせよ読者である私にせよ、ロウジーには何の悪意もなかったのだと信じたいのだけれど、実のところとても理解しがたいロウジーの行為にすっきりしない気分のまま小説が終わってしまうのかと思いました。ところが、エドワード・ドリッフィールドのもとをロウジーが突然に去った事情の全てを最後の章で明らかにすることで、やはりロウジーは素敵な女性だったのだなあと読者に思わせて小説は終わります。さすがモーム、上手いです。

     ところでこの小説のタイトル「お菓子とビール(Cakes and ale)」の意味が気になって、ネットで少し調べてみました。この言葉は「人生の快楽」、「浮き世の楽しみ」といった意味で、シェイクスピアの「十二夜」の中の「Dost thou think, because thou art virtuous, there shall be no more cakes and ale?(あなたが高潔ぶりたいからって、浮世の楽しみまであっちゃいけないというのかい?)」という台詞に由来するもののようです。古い価値観に囚われて他者の生き方にまで口をはさもうとする人たちに対する皮肉を込めて、作者はこのタイトルを選んだのかもしれません。

  • 亡くなった文豪との回想記。人間として非常に魅力的であった文豪の前妻を中心しとして描かれている。語り手はこの彼女に禁断の恋をするわけだが、階級や規律に厳しかった当時のイギリスの時代の中で、自由闊達、破天荒に生きた彼女の姿が伸び伸びと描かれている。彼女に対しては当然不誠実な面もあるのだが、こうゆう女性に出会ったとしたら、誰もが彼女に惹かれていくのだろう、と思えるくらい一人の女性を魅力的に描いている。歳をとり過去を偲ぶ際には、こうした出会いによって生き生きした過去の自分を思い描けるのは幸せな気がする。

  • これも談話室で教えていただいたもので引用タイトルなんですが、お菓子とビール、という組み合わせに妙なインパクトがあって気になったので初めてモームを読んでみました。原題は「Cakes And Ale」シェイクスピアの『十二夜』からの引用だそうですが、要は甘いものとお酒、どっちも人生をハッピーにしてくれる嗜好品、転じて「人生の愉楽」といったような意味合いの慣用句(?)のようです。良いタイトルだなあ。

    主人公はモーム自身を思わせる作家のウィリアム・アシェンデン。亡くなった文豪エドワード・ドリッフィールドの伝記をその後妻の未亡人から依頼された友人の作家アルロイ・キアから、かつてのドリッフィールドとの交流について資料提供を求められたアシェンデンが、文豪とその最初の妻ロウジーについて回想する。

    ほとんどが回想なので、物語自体は非常に淡々としていて、大きな山場やハラハラドキドキがあるわけではないのだけれど、にもかかわらずこれがなんとも面白い!軽妙な語り口で、肩の力が抜けている感じがなんとも心地よく、そしてどのキャラクターも、一癖あるけれど魅力的で憎めない。

    登場人物にはほとんどモデルがいたようで、ドリッフィールドのモデルと目されたトマス・ハーディを侮辱しているなどと当時は問題になったりもしたそうですが、読んでいる限り、テッドはとても魅力的な人物だし、侮辱どころか主人公はとてもテッドを敬愛していたのだろうなと伝わってきます。アルロイ・キアにしてもしかりで、多少揶揄していたとしても結局キライになれないんだろうなという感じだったし。

    そして何より魅力的だったのはロウジー。娼婦と聖母と少女がいっしょくたになったような女性で、誰もが彼女に恋してしまう気持ちがとてもよくわかる。彼女の言動をふしだらで自己中と言ってしまえばそれまでだけれど、彼女に振り回された男たちは基本的に誰も彼女を恨んでおらず、どころか、彼女の存在こそが「お菓子とビール」であり、そして彼女が人生に求めたものもそれだけだったのでしょう。彼女にもモデルがいて、同性愛者だったモームが唯一心から愛した女性だったと言われているそうですが、この本を読むと、ほんとに大好きだったんだなあって伝わってきてほほえましくなります。

    ロウジーの人生自体はある意味波乱万丈だけれど物語の主題はそこではないので、何か大事件が起こるわけではないのだけれど、読み終わったときにしみじみ、なんか良かったなあ、と思い、良い本を読むって幸福だなあ、とじわじわ思わされる不思議な小説でした。

    • 日曜日さん
      こんばんは!談話室の質問の答え(「ねじの回転」の件)にコメントをありがとうございました。
      こちらをお訪ねしましたらベスト3に私の大好きな「...
      こんばんは!談話室の質問の答え(「ねじの回転」の件)にコメントをありがとうございました。
      こちらをお訪ねしましたらベスト3に私の大好きな「お菓子と麦酒」が入っていて感激しました。最後の最後が素晴らしい小説ですよね! yamaitsu様の本棚、素敵に面白そうな本がたくさん並んでいますね。また拝見させてください。
      2017/03/24
    • yamaitsuさん
      日曜日さん、こんにちは(^^)/
      モームはこの本で初めて読んだのですが、あまりにも面白くてしばらくブームでした。
      「ねじの回転」も大好き...
      日曜日さん、こんにちは(^^)/
      モームはこの本で初めて読んだのですが、あまりにも面白くてしばらくブームでした。
      「ねじの回転」も大好きなので、日曜日さんおすすめのほうの翻訳でいつか再チャレンジしたいです!
      2017/03/27
  • モームが考える愛は出てくるキャラクター個人の尺度や感性で描かれていて、芯がある。だけど美化されているわけでもなく、物語に愛があることが心地良くなる。

    お菓子とビールの中でのメインキャラクターであるロウジーという女性はまるでモーム自身が恋しているかのように絶えず描写され続ける。こういう人のことみんな好きだよね〜という気持ちになる。魅力あるキャラクターで、この人のための小説だとすぐわかった。

    貴族文化とか差別とか色々あるし、読みにくい部分もあるけど、面白い本だと思う!!でも私はモームを贔屓しているからあまり参考にしないでほしい 好きな人はとことんハマるぞ!!!!!!

  • 人間くさく、でも綺麗な小説だなーという印象。
    一本の良い映画を見た後みたいな読後感。

    年配の小説家の男の記憶を通して、
    奔放で魅力的な女性ロウジーを描いた作品。
    このロウジーは、著者モームが人生で最も愛したとされる女性をモデルとしている。

    欠陥も多く、思い通りにならないロウジーとの思い出が、
    主人公にとって、モームにとって、
    そして彼女を愛した他の男たちにとっての
    「CAKES AND ALES」(=人生の愉悦、つまり人生のすばらしいところ)だったという。

    叶わなかったけど、散々だったけど、
    それでも大好きだった人との思い出を
    心の片隅に持ってる読者は、
    切なくても悪くないなあ、人生味があるなあ、なんて思うんじゃないのかな。

    主人公の抱くノスタルジーを通し、
    過ぎていく人生というものを素敵に思わせてくれる、ある意味での前向きさが、
    この小説を好きだなあと思った理由なのかも。

    100年前も今も、人間って変わらないんだなって感じます。
    奔放で自由な人たちの魅力も。
    初めてのモームだったけれど、他の作品も読んでみたくなった。

    主人公の皮肉屋な性格から飛び出す文壇界への批判や、
    イギリスの階級社会の様子も目に止まって興味深い。

    本の中盤までは退屈だと感じて、中々頁が進まなかったので、
    忍耐して読んでください。
    途中から急におもしろくなります!



    P.232
    「わたし、あなたを楽しくさせてあげるでしょ?わたしといて幸福じゃあないの?」

    「すごく幸福さ」

    「だったらいいじゃない。
    いらいらしたり嫉妬したりするなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。
    そう出来る間に楽しみなさいな。
    百年もすれば皆死んでしまうのよ。」

  • 朝起きて、さあ続きを読もう!と思ったところで昨日読み終わっていたことを思い出してがっかりした。それくらい面白かった。語り手の少年時代のみずみずしい思い出と現在の皮肉な視点の混ぜ具合が巧み。甘いお菓子としょっぱいお菓子を交互に食べるようなもので、飽きないし両パートがいっそう引き立って感じられた。

    話の本線とは別に、19世紀末のイギリスの階級意識、上流階級の社交界の雰囲気を垣間見られる点、語り手の展開する文学論議も興味深い。トラフォード夫人のいやらしいことといったら! 彼女のような人をフィクサーと呼ぶのかもしれないけれど。

  • 初読

    序盤のロイへの公平な辛辣さを持った描写を楽しんだ後は
    暫く気がノラないのだけど、中盤以降、俄然面白く一気読み。

    移り変わる時代、社会、人間の心。
    が交差する構成でより浮き彫りになる。

    ロウジーのなんという魅力。
    こういう女性をこういう風に見て愛する事の出来る、
    男、作家、モームのなんというロマンティック。
    ルノワールが描いたようなたっぷりとした情感の、しかも儚げな女性が目に浮かぶ。
    生き生きとした輝くような冒険の季節の思い出をかつて共有した友にウインクし
    1人でバーで飲みながら愛する人生に思いを馳せる。

    お菓子とビール。CAKES AND ALE を愛する人生。
    甘くて苦い。

    これわかって書いちゃうんだ、作家って変な生き物ね、
    な子供を失った後のロウジーの行動。
    私自身とはなんら重なる事の無いはずなのに
    わ、わかる………!と首がもげそうになりました。

  • 手を伸ばせば届きそうな距離にうつくしい異性がいた。さて、どうやって射止めようか。

    偉大なる作家テッド・ドリッフィールドについて思い出そうとすると、主人公の脳裏によみがえるのは、彼の妻ロウジーのことばかり。彼女と過ごす時間は幸福だった。

    ***

    読んでいて気になったのは、主人公の読書観。

    たとえば「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」と聞かれた時の主人公の返答はこうだ。

    「『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

    これはモームの自身の意見なのかしら?わたしが読みたい本と見事に一致していた。

    p39
    「君は判断ミスをしたことがないの?」
    「一、二回はある。ニューマンのことを今より過小評価していた。フィッツジェラルドの響きの良い四行詩を今よりずっと尊敬していたよ。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』は読めなかったが、今はゲーテの最高傑作だと思っている」
    「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」
    「そうだな。『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

    p143
    ティツィアーノの『キリストの埋葬』はもしかすると世界中の絵画の中で最も純粋な美を持つと言えるかもしれないのだが、批評家がこの作品について言いうることは、実物を見てきなさいというだけである。他に言えるのは、作品の経歴、芸術家の伝記なのである。だが人々は美にさまざまな資質-崇高さ、人間的な関心、優しさ、愛情-を加える。これは要するに、美は人を長く満足させないからだ。美は完璧であり、完璧というのは(人間性はそういうものだ)僅かな時間しか人の注意を引き付けないのだ。あのラシーヌの完璧な『フェードル』を観たあとで、「この悲劇は結局何を証明するのか?」と尋ねた数学者は世界で考えられているほど愚かではなかった。パエストゥムにある古代のドーリア式寺院がグラス一杯のビールより何故美しいか、その理由など説明できる者はいないのだ。美と無関係の理由を見持ち出すしかないのだ。美は袋小路である。山の頂上であり、到着したらあとはどこへも通じていない。だから我々はティツィアーノよりエル・グレコに、ラシーヌの完璧な傑作よりもシェイクスピアの不完全な作品に、より多く魅了されるのである。

    p176
    その肘掛け椅子で初めてワーズワースやスタンダールや、エリザベス朝の劇とロシアの小説、ギボン、ボズエル、ヴォルテール、ルソーを読んだのだ。

    p186
    文学の王座にあるのは詩である。詩は文学の極致であり目標である。詩は人間精神の崇高な活動である。詩は美の完成である。散文の作家は詩人が通るときには道を譲らねばならない。詩人に比べると最上の小説家さえ見劣りがする。

    p208
    ヘンリー八世の六人の妃については何でも知っていたし、レイディ・ハミルトンやミセス・フィッツハーバードについては知らないことはほとんどなかった。知識欲は旺盛で、ルクレチア・ボルジアからスペイン王フェリーペの妃に至るまでよく読んでいた。これに加えて、フランス王の愛人たちとなると、アニェス・ソレルからマダム・デュ・バリに至るまですべての女性について詳しい行状を諳んじていた。

    p232
    「どうして他の人のことで頭を悩ますの?あなたにとって何の不都合もないじゃありませんか。わたし、あなたを楽しくさせてあげるでしょ?わたしといて幸福じゃあないの?」
    「すごく幸福さ」
    「だったらいいじゃない。いらいらしたり嫉妬したりするなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。そう出来るあいだに楽しみなさいな。百年もすれば皆死んでしまうのよ。そうなれば何も問題じゃあなくなるわ。出来るあいだに楽しみましょうよ」

    p320
    題名になっている「お菓子とビール」という句は、シェイクスピアの『十二夜』などにある句で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」という意味合いである。従ってそれはロウジー、あるいは彼女がもたらす楽しいものを指すと考えられる。

  • モームは最近の新訳ブームか、文庫本が出るとせっせと読んでましたが、この作品が一番面白かったです。
    モーム自身を思わせる主人公、作家や批評家への鋭い皮肉、故郷に対する懐かしさと失望、憧れの女性との体験と別れ…全てが流れるように書かれていて、読むことの楽しさを実感させてくれます。
    やはりモームが生涯唯一愛した女性がモデルといわれるヒロイン、ロウジーが魅力的ですね。男性なら一度は恋したいと思うだろうし、女性なら一度はロウジーのように生きてみたいと思うはず。
    主人公とロウジーの初めての夜はロマンチックでした。たぶん理想的な童貞の捨て方じゃないでしょうかw

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著者プロフィール

モーム W. Somerset Maugham
20世紀を代表するイギリス人作家のひとり(1874-1965)。
フランスのパリに生まれる。幼くして孤児となり、イギリスの叔父のもとに育つ。
16歳でドイツのハイデルベルク大学に遊学、その後、ロンドンの聖トマス付属医学校で学ぶ。第1次世界大戦では、軍医、諜報部員として従軍。
『人間の絆』(上下)『月と六ペンス』『雨』『赤毛』ほか多数の優れた作品をのこした。

「2013年 『征服されざる者 THE UNCONQUERED / サナトリウム SANATORIUM 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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