失われた時を求めて(8)――ソドムとゴモラI (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003751176

作品紹介・あらすじ

悪徳と罪業の都市ソドムとゴモラ。本篇に入り、同性愛のテーマがいよいよ本格的に展開される。不意によみがえる死んだ祖母への想い。祖母を失った悲しみの感情に「私」は突然とらえられる(「心の間歇」)。「私」はアルベルチーヌに同性愛の疑いをいだくが…。(全14冊)

感想・レビュー・書評

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  • 第4篇『ソドムとゴモラ』第1部「ソドムとゴモラ I」

    七巻終盤でゲルマント公爵夫妻を訪ねたことを書いたよね、その時実はシャルリュス男爵の同性愛行為を見ちゃったんだよね。
    アパルトマンの中庭でさ、仕立て屋ジュピアンとシャルリュス男爵が出会ったときにお互いに「分かった」みたいなんだ。もちろん「わたし」にも分かったよ。だから二人が入ってったジュピアンの店の中を探れる場所に移動したんだ、もちろんバッチリ聴いたよ!

    …で始まる八巻!それで『ソドムとゴモラ』かーーー( ̄□ ̄;)!!

    『ソドムとゴモラⅠ』では、男性同性愛について「わたし」の考え(つまりプルーストの考え?)が述べられていく。
    プルーストはシャルリュス男爵のモデルになったモンテスキウ伯爵に執着していた(と、澁澤龍彦『異端の肖像』で読んだ)。
    そんなプルーストが語る同性愛。「蘭の花とマルハナバチのような求愛の仕草」だとして、実際に蘭の花とマルハナバチの描写と、シャルリュス男爵とジュピアンの描写を混ぜているのがなんか凄いんだけど。
    いままでもシャルリュス男爵のことを「女らしさが見える」と書いていたんだが、今回改めて「男性同性愛とは、男性の中の女性の心が男性を愛するのだから、心でみれば同性愛ではなくて異性愛だよね」などと言ってます、そうなのかーー。

    ❐社交界のこと
    社交界でもだんだん地位を得ていった「わたし」。ゲルマント大公邸での夜会で上流社会の交流についてつぶさに観察する。
    誰と知り合うか、どの夜会に出るかまたは出てはいけないか。上流階級者たちはかなり辛辣で、自分が認めていない相手や夜会には「出たほうが自分の格を下げる」とはっきりいう。

    ❐スワン氏のこと、ドレフェス事件のこと
    余命数ヶ月のスワン氏は表情にも病症が出てきて衰えも感じるようになった。そして死を前にしてスワン氏のユダヤ人らしさが顔にはっきりとあらわれるようになったという。
    スワン氏のことを語るときには「ドレフェス事件」のことも語られる。明快にドレフェス指示を公言するスワン氏だが、反ドレフェス派との別離も起きている。
    社会を二分したというドレフェス事件だが、人々は政治や民族的なものだけではなくて「自分の家族が反ドレフェス派だから」「ドレフェス派のほうがかっこういいみたい」「恋人がドレフェス派だったから自分もそうしたけど、別れたから反ドレフェス派にする」などと、人間が何かを決めるやり方の心もとなさを感じてしまう。

    □バルベック再訪のこと
    「わたし」は、四巻で花咲ける乙女たちと知り合ったバルベックを再訪する。
    ホテルに着いてブーツを脱ごうとしたときに「わたし」の目に涙が溢れだす。前回来たときの祖母とのやり取りを思い出したのだ。
    この「失われた時を求めて」は、上流階級の上っ面さ、同性愛覗き聞き(作者プルーストが相手にされなかった相手をモデルにした人物)、金持ちぼっちゃんの散財や女性遍歴など、読んでいて困った人たちだなあと思うところもあるのだが、この祖母を思った涙のような繊細で圧倒的な感情もきめ細かに表してゆく。これだから難解な長編でも読み進めていってしまう。

    □バルベックでの交流
    …祖母との思い出に読者も感動していたが、その後の「わたし」はアルベルティーヌを含めて14人の女性と一時の喜びを味わったらしい、この金持ちボンボンの気楽な遊び人めーーー!ヽ(`Д´#)ノ

    □アルベルチーヌとのこと
    アルベルチーヌとのお付き合いは、相変わらず「いささかも恋していないが、官能的欲望に身を委ねるために夜中に呼びつけるんだ」などと言っている。この金持ちの坊っちゃんめ!( ̄◇ ̄メ)
    あるパーティで、アルベルチーヌが女友達のアンドレと「乳房くっつけて踊る」姿をみかける。同席の医師コタールに「彼女たちは官能を味わっているに違いない」と言われて、まさかアルベルチーヌは同性愛者なのか!?と焦る。アルベルチーヌには「もう別れよう。自分はアンドレを愛しているんだ」などと偽の告白をしてアルベルチーヌの心を試してみたり、同性愛者の友達の話を聞いて心配になり一緒にパリで暮らそう!と決意したり…なんか色々空回ってないか。
    なお、このあたりでは実にさり気なく「いまはもうこの世にいないアルベルチーヌ」と書かれているので、アルベルチーヌは老人となった「わたし」よりは早く亡くなったようだ。

    □同性愛
    『失われた時を求めて』では同性愛表記も多い。バルベックでは、同性愛の女性同士が人気のないホテルのロビーで「まるで自宅の寝所にいるような」行為に及んだらしい、なんだってーー。
    シャルリュス男爵もバルベックで静養中。同性愛関係のバイオリニストとのことが語られる。

    シャルリュス男爵のモデルになったモンテスキュウ伯爵とプルーストの関係はこちらに書かれていた。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309400523#comment

  • 「だって恋愛なんてものはね、いいかいきみ、嘘八百なんだよ、ぼくはすっかり目が醒めた。」
    「もっとも、どこへ行っても、人生って同じことなのでしょうね。死んだあとは、もっと具合がよくなるものと期待しましょう。」

    この巻でも決闘のことにふれているけれど語られず(いちばん知りたい)、のちに教えてくれることを待ちのぞみながら、シャルリュスの提示した、いつかの勿忘草にもどってゆく。
    現在と過去のあいたに漂うバルベックのホテルの石鹸の香り。ついにひらかれたソドム。時をおそくして襲われた喪失感。初めてのバルベックであのときにおばあさんが大きすぎる帽子を選んだ意味。そして「私」の非難のすべてが思いだされて涙があふれる。わたしにとっても彼のおばあちゃんはもう他人ではなかった。そんなふうに哀しみの詩が密かにたえず鳴り響き、気づかされたゴモラに魅せられ踊らされる。アルベルチーヌへの想いは凪いだ海のようだけれど、女たちを求めながらも女たちに嫉妬する「私」がかわいらしかった。
    めくるめく社交人士たち(もう覚えられない!)のあいもかわらずに飛び交う陰口と嘲笑とみえすいた敬意にぞくぞく(わくわく)して、心身ともに変わり果ててしまったスワンに時の奔流の飛沫がつめたくしみた。

    プルーストによって語られるこの時代のLGBTQもとても刺激的。受け継いだ遺伝によって準備され、多くの前世をすごしたさまざまな世界を統御している力にも匹敵する力によって惹きつけられている彼ら(ですって)。この不思議な驚異と奇跡が、ランとマルハナバチの交接とともに美しく妖艶に生物学的スマートさも湛え、輝きをはなっていた。痛烈な自虐の痕をこして。
    なにより感心してしまうのは、回想において「私」の想念や哲学が過ぎ去ってゆく年月とともにじゅんぐりに、成長ないし変化していっているさままでがつとめて自然にえがかれていること。
    歳を重ねると、できれば知らずに過ごし気づきたくなかったさまざまなことまでも感知し、ゆえに絶望しそして諦めてゆく。だれかの語る少年少女時代の追憶がさびしくも美しく愉快なのは、それはまじりけのないひかりのはなつ輝きだからなのだろう。
    通常ひとが目を瞠るような愛における真理やなんかはさらっと提示して、ふだんは通りすぎ世界の理の一部として見ないふりをしてしまっているような事柄をも、詩情を游ぐように深くながく思索する、そんな偏屈ともゆえるプルーストの拘りや執着がたまらなくすき。果てしもない哀しみも苦しみ恐怖も、「私」はすべて甘受する。そこからなにがしかの真実をみつけるためみたいに。
    にんげんってへんてこでおもしろい(だいすき、だいきらい!)。うちなる壁が崩れみつけた虚に、海容と潜考すべく生気が流れこみ満たしてくれる。

    「苦痛に耐えている人たちの生活の惨めさは本人には隠されて見えないが、憐憫はそれをしかと見すえ、それに絶望しているからである。」
    それがいまやSNSというかたちで見えてしまう以上、ひとびとの幸福の感度がおかしくなってきてしまっているのもしかたのないことなのかもしれない。
    幸福のかけらに出会えたのなら、それだけで幸福なのだ。そのすべてを、貪欲に求めなければ。その欠片をいくつもあつめれば、puzzleみたいに"幸福" が完成するとおもってしまうものだけれど、それはけっして完成なんてしないもの。
    幾つかのかけらは、きょうもわたしのこころをすこしあたためてくれている。



    「きわめて正常などれほど多くの夫婦がしだいに似てきて、ときにはたがいの長所をとり替えるに至ることに、気づかなかった者がいるだろうか?」

    「私は、自分の知り合いについて自分で考えるべきことを他人からこうして反論の余地なく指摘されるのは、あまり好きになれない。」

    「えてして社交人士は、本というものを一つの面だけ取り払われた立方体のように考えがちで、作者は出会った人たちを大急ぎでそのなかへ「ぶちこむ」のだと想像する。それはもちろん卑怯なやり口で、作家なんてろくでもない連中だ。」

    「社会階層の相違など、いや、個人の相違さえ、遠く離れて見れば、ある時代の均一のなかに埋没してしまうことである。」

    「ロベールもまた、恋をしていないすべての人たちと同様、人間は熟慮に熟慮をかさね、さまざまな長所や相性によって愛する相手を選ぶものと想いこんでいたのだ。」

    「愛する女性のことを考えるとき、もはや愛さなくなる時点でのわが身になって考えようと試みたら、人は現実ばなれした夢想から永久に醒めるだろう。」

    「われわれの心の総体というものは、いつなんどき考察しても、いかに心の豊かさをあれこれ数えあげても、ほとんど架空の価値しかもたない。」

    「 私が祖母を本当に想い出すことができるのは、ひとえに苦痛を通じてであると悟り、そうであれば祖母の記憶を私のうちにつなぎとめている苦痛の釘がもっと私のなかに食いこめばいいとさえ思った。」

    「忘却は、否定以外のなにものでもなく、人生の真の瞬間を再創造できず、そのかわりに型どおりの愚にもつかなぬイメージを提示するだけの、思考の衰退以外のなにものでもない」

    「愛とは(その原因がなんであれ)つねに誤った感情だからである」

    「賢明なのは、私にはこの局面でのみすがたをあらわしたこの幸福のかけらは、ずっと広大で永続的な幸福の一部だと考えておくことであったろう。」

    「「巨大な翼は歩く妨げとなるばかり」」

  • ○人は自分の環境とは異なる身分の人間を相手にするとふだんよりも動揺する。
    ○我々の単なる社交上の付き合いにも友人との関係にも一種の敵意が潜んでいるもので、それは一時的に沈静化していても発作的にぶり返す。
    ○衣装の類似や風貌などに反映する時代精神は、一人の人間の中でその階級よりもずっと重要な地位を占めている。
    ○なぜなら忘却は、否定以外のなにものでもなく、人生の真の瞬間を再創造できず、そのかわりに型通りの愚にもつかぬイメージを提示するだけの、思考の衰退以外のなにものでもないからだ。
    ○過去の現場を押さえられてにやにやする相手に、けっして怒りをぶちまけてはいけない。あざ笑ってそうしているのではなく、こちらの機嫌を損なうのではないかとびくびくしているのだ。笑う者には、大いに同情し、心底からやさしくしてやろうではないか。

  • 「私」に関する感想としては、数多くの登場人物の中で無個性が目立っていた。
    同性愛者の情事を盗み見、盗み聞きする趣味があるのか。
    正直読んでいていい気はしない。
    相手が自分を愛している確信を持てずに冷たい態度を取ってしまうとは、またジルベルトと同じ過ちを犯すのかと苛々した。

    テーマとなっている同性愛に関する感想としては、作者の意図が分からないかった。
    男性同性愛は大胆に描かれているのに、女性同性愛は明白に描かれていないのは何故だろうか。
    仮にアルベルチーヌが同性愛者である場合、「私」との関係は一体何なのだろうか。
    主人公である「私」の名前が一切明かされない為、自然と作者を重ねて読んでしまっていたが、プルースト自身は自ら同性愛者であると認めてはいない。
    しかし、本書で同性愛が描かれた事によって告白したと見なされているようである。
    確かに男性同性愛者がこれ程までクローズアップされている小説は珍しいが、プルーストの私的な人間性が主張されているとは思えない。

  • 折り返し地点を過ぎてここから後半戦。
    これまで少しづつ仄めかされていた同性愛のテーマがようやく前面に出てくる。近代西洋文学で同性愛が正面から取り上げられたのは、これがもっとも早い時期のものだとのこと。
    まあ、それはそれとして、本巻もやっぱり主人公がゲスでクズすぎる。男爵と仕立て屋の「アーーッ!」て所をわざわざ隣の部屋に忍び込んで盗み聞きしたり、セフレと毎日あうのは気分じゃないから都合よく夜中に呼び付けて性欲満たしたり、避暑地に来て「あ、おれ、この夏ヤった女14人だわ」とドヤってみたり、そうかと思えばセフレの怪しい素振りで嫉妬に狂ったり。エレベーター乗るたびエレベーターボーイに2500円もチップ払う金遣いも含めて(プルースト 自身も非常識な額のチップを払っていたらしい)、まじで主人公に感情移入できないクズだわ。
    だんだんと主人公のクズさを読むのに関心が移りつつ、ソドムとゴモラ後編に続く。

  • この巻のトピックは大きく次の要領

    1. 主人公はシャルリュス男爵と仕立屋の男色の現場を目撃(正確には盗み聞きしてしまう)
    2. 大公のパーティーで女好きを装う男爵を眺める。
    3. そのパーティーでスワンから大公もドレフェス派だと聞かされる。
    4. 恋人のアルベルチーヌに袖にされたりして悶々と過ごす。女友達とただならぬ仲ではないかと疑う。
    5. 久方ぶりに避暑地バルベックに滞在する。母とも合流し、亡くなった祖母のことを偲び、罪の意識もちょっと味わう。
    6. アルベルチーヌがやって来るが始終浮気を疑い落ち着かない心持ちで過ごす。
    7. 身分の低い姉妹と仲良くなりお下品に過ごす。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    この物語のテーマでもある記憶。記憶は時とともに変化し、思い込みに化ける。人は変化するものだが、場所や景色も実際に来てみると記憶と異なる…などとつらつら書かれている。

    以前にも会う前に思い描いていた人物とあってから実際に見たイメージが異なる…なんて記述もあった。やはり思い込みと現実の間にはギャップがある。

    主人公が恋人に焼きもちを焼く気持ちもわからないでもないが、何故女友達にまで?普通はありえないですよね。この焼きもちには読んでいて些か閉口。

  • 前半はシャルリュスを通して、男性同性愛の社会と文化を描写。悪意(ホモフォビア)も感じるが、リアリティはある。

    中盤の祖母の死の実感、母の変貌の発見は圧巻の筆捌き。

  • 第8巻。全14巻予定なので、本巻から後半に入ったことになる。
    世に知られている通り、第8巻では同性愛を巡る考察が主なテーマ。疑問や考察は巻末にかなり長い解説が収録されているので、それを読むと当時の世相や同性愛者を取り巻く状況がよく解ると思う。
    また、『私』が死んだ祖母を思い出す場面はかなり哀切で印象に残った。

    ところで、岩波文庫版は割とコンスタントに刊行されているのだが、古典新訳文庫版は一体どうなったのだろう……? 中絶するってことは無いと思うけど……。

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