朝鮮民芸論集 (岩波文庫 青 N 105-1)

著者 :
制作 : 高崎 宗司 
  • 岩波書店
3.75
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本棚登録 : 29
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003810514

作品紹介・あらすじ

植民地下の朝鮮に渡り、李朝・高麗陶磁の窯跡の調査や朝鮮の民芸品の収集・研究に精力を傾けた浅川巧(一八九一‐一九三一)。その一連の仕事は、柳宗悦の民芸運動にも多大な影響を与えた。「朝鮮の膳」「分院窯跡考」「朝鮮茶碗」など十二篇を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 2019年8月読了。
    民藝関係の本で比較的に入手しやすいものは可能な限り読んだつもりだったが、この本は朝鮮半島の特に磁器に関する浅川巧の研究や紀行で、「なかなか韓国に行って実物を見る機会もないから後回しにしておこう」ということで読まずに放置していたら降って湧いたようにソウルに行く機会に恵まれた。やはり関心のあるエリアの図書はサボることなく読んでおかないと、チャンスを逃すことになるということを改めて学習した一冊。
    日韓政府間はゴタゴタしているが、実地にソウル市内を歩いてみると別段日本人に対するあたりのキツさのようなものは感じなかった(2019年7月の話です)。浅川巧が朝鮮に渡ったのは1914年、この当時もおそらくは現地の人と日本人入植者の間でトラブルはあったろうが、著者の朝鮮磁器やその周辺の人々に関する目はとても暖かいものを感じる。人や物に忠実な目線で関わりを持っていきたい。

    36ページ
    「何仕事でも終生倦まずに働き通せたらその人は幸福だと思う。人類全体もその人からお蔭を蒙ることが多いであろう。けだし資本の向こうを張る労働でなくて資本があってもそれに自由にされない仕事、またなくても勝手に仕遂げられる仕事でなくては人間に平安を来たらさないであろう。現在の機械工業のおいては職工は年寄れば殆ど廃人同様になる。これは職工ばかりでなく現社会のあらゆる階級において見る現象であって、人は仕事の興味を終生つづけることが出来ない約束が出来ている。然るに従来の匠人らは幸福に仕事をしたように思える。」
    →自由な仕事と資本=仕事を続けていく源泉の利益の問題は職業人にとって永遠のテーマ。

  • 均一化された工業製品じゃなく。
    二本の手がほそぼそと紡ぎだすモノたちの、美しいこと。
    ため息がでる。

  • 凡ての場合、正しき使命をもつものの存在は飾りになっても邪魔にはならない。邪魔になるものは無用のものに限る。(39p)

    疲れた朝鮮よ、他人の真似をするより、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日が来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。(昭和3年3月3日 於清涼里)(45p「朝鮮の膳」より)

    実用の中に本当の美を見出し、本当の美の復活を田舎で細々と使われていたお膳や陶器、箪笥を探し出すことで明らかにし、陶器の破片を拾い蒐めては、昔の窯跡の復活を願い、記録した。その記録を美しい日本語で書き、戦前の朝鮮で出版した。浅川巧(1891-1931)は、日本人として朝鮮の人に慕われている数少ない、そして韓国内の共同墓地に墓がある唯一の日本人として、今年私は大いに興味を持った。

    著書を読んでわかったのは、地道で誠実な人だということである。大きな運動を起こす人でも、リーダー的な人でも無い。しかし、一片の陶器の破片から世界の凡てを見通せる人である。一冊の本から『人格』が匂いたってくる。

    「金海」という文章にビックリする。浅川巧は亀浦駅から川向こうの山をひと目見て、その向こうに窯跡があることを予感したのであるが、実際その場に立って見て、見えるのは広大な洛東江の川の流れと広い平野なのだ。彼はおそらくそこから川を渡り、金海の街中に入り、更に山の奥に入って行く。私の遺跡を捜す旅よりさらに困難な旅を嬉々とやっており、私もいつかこんな旅をしたいと思ったのである。
    2012年9月17日読了

  • 「白磁の人」を読んで浅川巧という人に興味を持つようになりました。
    朝鮮の工芸、窯あとなど色々丁寧に調べてあり、柳宗悦に影響を与えた人物。

  • 朝鮮の民芸品をイラスト付きで解説。‘論集’と言うほど硬い本ではありません。

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著者プロフィール

浅川 巧 (あさかわ・たくみ)1891-1931年。日本に朝鮮半島の工芸品のすばらしさを伝えた先駆者。朝鮮総督府農商工部山林課林業試験場に勤め、朝鮮半島の植林事業に従事しながら、柳宗悦とともに李朝工芸の名品を蒐集し、現ソウルの景福宮内に朝鮮民族美術館を設立した。『朝鮮の膳』と、『朝鮮陶磁名考』は、忘れ去られようとしていたそれぞれの工芸品の正しい使われ方、正しい名称を後世に伝えるために書かれた。彼の地を愛し、朝鮮人からも愛された巧の墓は、今もマンウリにあって現地の人々により守られている。

「2023年 『朝鮮の膳/朝鮮陶磁名考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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