- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004110620
感想・レビュー・書評
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面白い。ロビンソン・クルーソーの話とか、大学でそのままやった授業なので懐かしくて泣きそう…。
「そもそも社会科学って何なの?人間は自分の意志をもってるのに、どうして科学の対象にできるの?」ということからスタート。岩波版プロ倫の訳者の講義録ということで、読み進められるか不安だったが、語り口が上手く、引き込まれる文章。イメージの湧きやすい比喩もすてき。じっくり読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
学生時代
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「大塚史学」、当方が学生時代のときでさえ既に死語的扱いがなされていたように記憶するが、その後も同様では?
科学の特性の一つとして進歩が挙げられるとすれば、何も「大塚久雄の見方は古い」イコール価値無き考えではないはず。
どんな学問も先人の研鑽の上に成り立つものなのに、どうも社会科学(ことに経済学)は学問としての基本的振る舞いがもしかするとできていないのかもしれないな。
それはともかく改めて同著を読んで思ったのだが、ヴェーバーの方に軍配を挙げたくなるものの、(ヴェーバー自身も認識しているが)ヴェーバーの成果はマルクスの成果(というかその他多くの賢人の遺産)の上に成立している観点である。
つまり同著含めてここには連綿と続く科学の豊饒な果実が成っていると見て差し支えないかと思う。 -
[ 内容 ]
自然現象とちがい、生きた人間の日々の営みを対象とする社会科学において、科学的認識は果して成り立つものだろうか。
もし成り立つとすれば、どのような意味においてか。
この問題に正面から取り組んだ典型的な事例としてマルクスとヴェーバーを取りあげ、両者の方法の比較検討の上に立って社会科学の今後の方向を問う。
[ 目次 ]
1 社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス
2 経済人ロビンソン・クルーソウ
3 ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって―アジアの文化とキリスト教
4 ヴェーバー社会学における思想と経済
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
マルクス、ウェーバーを読む上で参考になると思います。これを読んで、彼らの著作を読まないのは、もったいない。
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人間の「疎外」に立ち向かったマルクスとマックスウェーバーを比較検討した本です。
マルクスは封建社会から分業が成長していった結果、自由を手にしたように見えたが、むしろ人間から大きな力が働いて人間から離れて行き「疎外」が生まれていく。これを解決しなければならないと考えた。
マックスウェーバーは、歴史のダイナミックな過程から文化的な領域、宗教にまでその対象を広げてゆく。その文化的な領域が経済を制約し、「疎外」が発生すると考えたのである。
問題の対象が非常に大きな問題であるために、やや分かりにくい部分もあるが「疎外」に対して異なるアプローチを行った二人を比較検討した良書である。 -
ウェーバーとマルクスって書いてあるけど主にウェーバーの社会科学の方法について。
大塚久雄のウェーバー解釈の特徴は、ウェーバーとマルクスを相反する経済思想家と見るのではなく、両者に共通するものがあるとしている点にある。巷では「マルクスと対峙する」と形容されるウェーバーは、マルクスを批判することによってマルクスの見解を相対化しながら自分の立場に大きく取り入れていったのだとか。また、よくある「ウェーバーは宗教のみで世界の動きを説明しようとしている」というウェーバー批判をばっさり斬り、「宗教に焦点を当てているのみで宗教のみで説明しようとしているわけではない」とウェーバーを擁護し、その社会学における洞察力を高く評価している。
一番おもしろいのは3章の「経済人ロビンソン・クルーソー」のところ。「ロビンソン・クルーソー漂流記」はイギリスの資本主義勃興を象徴するような小説で、ロビンソン・クルーソーこそ「合理的経済人=ホモ・エコノメトリカス」であるとする解釈は本当におもしろい。実際、ロビンソンは無人島で囲い込み(=エンクロージャー)を行い農業や牧畜を行って富を蓄え、時の概念を忘れず、さらに貸借対照表までつけてしまうようなアダム・スミスが想定するような「合理的な」人間だったわけです。また、ロビンソンが貨幣の蓄積にはまったく興味がなかったということも歴史家の歴史解釈と一致する。そうそう。資本主義というのは現代社会に蔓延するような拝金主義ではなくて、禁欲的に労働にはげみ、労働それ自体を目的として献身したがために、偶発的に富の蓄積が得られたというキリスト教の隣人愛に起源をもつ経済システムである(ウェーバーの解釈によれば)ということを忘れるな。