自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

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著者 : 池田潔
  • 岩波書店 (1963年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (171ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004121411

自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 権利を主張する前に義務を果たせ,なんて言葉を聞いたことがある.
    それと似たような言い方をすると,自由であるためには規律が守られなければならない.言論の自由だとか表現の自由だなんてことが言えるのは,それを規定する決まりがあって皆がそれを守るからである.

    自分で考えてみて思ったが,規律によって自由を規定するというのはなんとも不思議な感じを受けた.

    本書では,著者のイギリスでの学校生活経験をもとに,イギリス人の人格形成とか規律を守る心構えが,学校生活のどういった部分で行われていくかについて書かれてある.あと,中学高校といった多感な時期の教育に,教える人その人が学生の人格形成に重要な役割を果たすことについて考えさせる本だった.

  • 今回『自由と規律』を読み、その感想としてまず抱いたことは次の通りである。つまり、私は高校時代に真なる自由というものを謳歌できているのかという疑問である。なぜならば、私が3年間を過ごした熊谷高校は、その校訓の一つとして「自由と自治」というものを掲げているからだ。その高校では一般の高校と違い、制服が存在しない。学生は各々自由な格好で通学することができる。休み時間の過ごし方も自由である。たとえば、昼休みに抜け出し、近所のコンビニや駄菓子屋、レストランへ行くことも可能である。授業においても担当教員が不在の場合は、その時間は各自図書館学習(通称カクト)と呼ばれるものになる。その時間は勉強している学生もいれば、友達と麻雀に興じる学生、はたまた近所のレストランに行く学生などがいた。いうなれば、その時間は何をしようが自由なのである。高校時代私は、このような自由な校風の下自由気ままな学生生活を送っていた。しかし、ここで一つ疑問なのは、私は自由の裏に必ず存在する責任というものを意識していたかどうかという点である。「自由=無秩序」と考え、自由をはき違えていたのではないかという疑問である。そのことを示唆するエピソードを紹介したい。
    私の母校熊谷高校の最寄駅、熊谷駅前には源平合戦で活躍し、熊谷市の名前のゆらいにもなった熊谷次郎直実の銅像が鎮座している。毎年熊谷市では、うちわ祭りという祭りが夏に開かれるのだが、それが開催されるたびに我々学生はその銅像に登るという悪習が存在している。その銅像は重要文化財に指定されており、登ことはおろか触ることさえ法律で禁止されている。しかし、我々はその法律を無視し登ってしまった。我々の言い分としてはこれが伝統だから、自由だからなどが当時はあったと記憶している。今思うと非常に恥ずかしいことであるが、直実像に登った際私の先輩の一人が警察に捕まってしまった。この後警察、学校関係者に怒られたのは言うまでもないが、ここで問題なのは自分たちの蛮行に対する後始末を人任せにしてしまった点である。つまり、祭りの実行委員会、周辺住民、警察などの関係諸機関に対する説明責任を我々は負わなかった。謝罪にさえ行った記憶がない。すべて校長先生をはじめとする、先生方に任せてしまったのだ。高校入学時の担任から「自由ということばの裏には必ず責任ということばがついてまわるのだよ。」と言われていたにも関わらず、我々は自分たちの蛮行に対する責任を放棄してしまった。確かに中心となって扇動した応援団は謹慎し、それなりの責任を果たしたと言えるが、自分の蛮行に対する責任を人任せにしてしまった点は今でも申し訳ないと思う。
    このエピソードに見られるように、私は高校時代「自由」ということばをはき違え、それに対する責任を負わなかったように感じる。「自由=無秩序」という考え方が私の中にはびこっているように感じる。真なる自由とは規律によって担保されるという本書の主張は、私に衝撃を与えた。仮に「自由=無秩序」、つまり規律が存在しない状態だと我々人間はどのように行動するのか。おそらく自由の名のもとに暴走してしまうであろう。自分の利益のみを追い求め、数多くの蛮行を働くに違いない。なるほど、自由経済の世界においてもその自由を規制する法律、諸機関があることもうなずける。
    我々の自由に対して規律が必要なことは理解した。では、その規律を守らせるには、その規律を教え込むにはどうしたらよいのか。その方法はひとえに正解とは言えないが、私が思うのは次のようである。つまり、自由の裏に必ず責任ということばが付きまとうことを理解させるほかない。思うに日本の事なかれ主義においては、先生、親など規律を教えなければならない人が非常に過保護である。子供が悪さをすれば親同伴で謝罪に来る。自分が好き勝手にやったことに対して自分で責任を負う。この点がもうすこし強調されてもいいと思う。自分の行動の後始末を自分でつけることで、やってはいけないことを学ぶのではないかというのが私見である。

  • ゼミナールで使用。
    これを読むと、日本の規律って…

  • イギリスのパブリックスクールについての考察。ただ著者自身が通っていたのは戦前であるため、現在は色々と変化しているものと思う。

    ただの教育論というだけではなく、イギリス人についての深い見識があり、非常に興味深い。私自身も高校で寮生活をしていたこともあり、大変懐かしく感じた。

    「自由」の前提として「規律」がある。その「規律」を少年時代に身に付ける。現在でも必要とされる金言と思う。

  • 彼等(学校教師)は、文字通り少年達と起居を共にし、その訓育を一生の天職と心得てこれに安んじた生活を送っている。…もとより物質的に報いられるところは薄い。しかし彼等には他に待つものがあると。幼い魂に生命を吹き込み、そこに眠る善なるものを目覚めさせる歓びである。

  • 読み始めたときは、古めかしすぎはしないかとも思ったが、小泉信三さんの推薦文もあったので、安心しながら読んでいった。昔のイギリスでの話ではあるが、大人になって自由を獲得するために、パブリックスクールではまず規律を学ぶ、という。とても厳しい規律を。そしてイギリス人はスポーツマンシップを愛するという。昔のイギリスの学校の様子が目に浮かんでくるようで途中からはのめりこむように読めた。最後の方はよく分からなかったが、半日程度で読めた。

  • 1963年(改訂前49年)刊。英国中等教育の雄パブリックスクールの実像(ただし、戦前期)を体験談的に叙述。自由な校風の高校を卒業した我が身からすれば、対極で、少し(いや、かなり)窮屈だなぁと感じたのは否めない。特に夕食抜きの寄宿舎の食事は…。加え、スポーツ重視はともかく、絵画等の芸術的才に恵まれた人物、自由な発想を愛し或はそれを持ち合わせた者への不遇は深く同情してしまう。教育内容を見るに、確かに議論の術には長けるかも。だが、分析や批判、更に改良・改善精神の練磨には不十分?、とも感じた。手放しの礼賛は困難。

  • 260603 新

  • イギリスの冒険小説なんかを読んでいると、ドヤ顔で「俺、パブリックスクール卒だから」と語る人物達が登場する。パブリックスクールって何?

    大雑把に言えば、エリートを養成する全寮制の中高一貫教育校の事なんだね。

    就寝時には冬でも窓を開けておくなんてことが書いてある。七つの海を渡り、植民地で原住民を使役する根性を養う為かな?

    昔のイギリスのエリート教育はこのパブリックスクールで終了。どんな大企業の跡取りでも実業はOJTで。

    勿論、大学もあるけど、純粋な学問の場。貴族や実業家の次男坊の嗜みだったり、まじめな貴族が自らに課すノブレス・オブリージュだったんだねぇ。

    こういうのを読んじゃうとねぇ。文系の(一部の)学問が『一族に一人もインテリがいない田舎の人々の憧れに付け込んで、次男坊に学歴という名のノシを売り付ける商売』に成り下がった罪深さを感じるなぁ。

    「父ちゃん、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、兄ちゃん、兄嫁が、額に汗して働いてぇ、おらを都会の大学さ行かしてくれたぁ」と意気揚々と入学してみたら、有閑階級のお遊びだと知った田舎の秀才クン達の、驚愕、挫折、罪悪感(+コンプレックス)は如何ばかりのものか?・・・と思わずにはいられない。

    とっくに自分じゃ気付いているが、引くに引けない家族の手前。

  • 著者の池田潔は、三井財閥の最高指導者で日銀総裁を務めた池田成彬の二男で、第1次世界大戦直後から満州事変直前の時期に、17歳で渡欧し、英国のパブリック・スクールのリース校、ケンブリッジ大学、独ハイデルベルク大学に、通算11年間学んだ。
    本書は、英国の伝統的精神がいかにして育まれるのかを、著者のパブリックス・クールでの3年間の経験を踏まえて綴ったもので、1949年の発刊以来読み継がれるロングセラーである。
    著者によれば、英国のエリート教育は、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学における「紳士道の修行」と、その前過程のパブリック・スクールにおける「スパルタ式教育」の両面から語られなくてはならないという。そして、それは、自由かつ豊かなオックスブリッジの生活と、極めて制限された、物質的に苛薄なパブリック・スクールの生活とに対比されるが、それは、英国人が、「よい鉄が鍛えられるためには必ず一度はくぐらねばならない火熱であり、この苦難に耐えられない素材は、到底、その先に待つさらに厳酷な人生の試練に堪えられるものとは考えられないからなのである。叩いて、叩いて、叩き込むことこそ、パブリック・スクール教育の本質であり、これが生涯におけるそのような時期にある青少年にとって、絶対必要である」と考えているからに他ならないと語る。
    そして、パブリック・スクールの生活では、「共同目的の貫徹」、「他人と異ならないこと」、「規律への服従」、「感情の抑制」、「忍耐の精神」、「奉仕の精神」の重要性を徹底的に叩き込まれると同時に、「規律を前提とした自由」と「自由を保障する勇気」を学ぶのだという。
    一方、こうした制度は、「少なくとも旧家といわれるような家庭では、長じてその男子の入る三段階の学校は生まれる前から既に決まっているといってよい。・・・今から百年後二百年後母校のクリケット競技場で、彼等の子々孫々がやはりバットを振りまわしているであろうことは、明日の太陽が東から昇ると同じく、彼等の夢疑わないところなのである」という因襲による階級社会でこそ成り立ち、また、それ故に、その特権の裏返しである「ノーブレス・オブリージュ」の精神が生まれ得ることも事実である。
    翻って現代日本は、親の出身校や職業に係らず子供の将来にはあらゆるチャンスがある、格段にオープンで平等な社会で、本書で述べられたことは完全には両立しえない文化・社会でもある。
    階級社会や民主主義の是非にも考えが及ぶ作品である。
    (2010年5月了)

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自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)の作品紹介

ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は、英国型紳士修業と結びついて世界的に有名だが、あまり知られていないその前過程のパブリック・スクールこそ、イギリス人の性格形成に基本的な重要性をもっている。若き日をそこに学んだ著者は、自由の精神が厳格な規律の中で見事に育くまれてゆく教育システムを、体験を通して興味深く描く。

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