自由と規律: イギリスの学校生活 (岩波新書 青版 17)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (171ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004121411

作品紹介・あらすじ

ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は、英国型紳士修業と結びついて世界的に有名だが、あまり知られていないその前過程のパブリック・スクールこそ、イギリス人の性格形成に基本的な重要性をもっている。若き日をそこに学んだ著者は、自由の精神が厳格な規律の中で見事に育くまれてゆく教育システムを、体験を通して興味深く描く。

感想・レビュー・書評

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  • 良い本。

    昔のイギリスのオックスフォードやケンブリッジといったパブリックスクールでどのような教育が行われているか。
    自身の大学での体験も交えて描かれている。

    所々、日本の教育との違いに驚きや発見があり、自由や規律について考えさせられるフレーズがある。

    今読んでも目から鱗で発見があるということは、同時に日本の教育制度が未だに立ち遅れてると感じる側面があるということだ。

    子供が正しい事を言った場合に、先生が臆面なく謝るという場面があるが、

    日本でこれをやったら先生の言うことを聞かない生意気な生徒だ。となるだろう。

    教師の言葉や教育の精神のような物も幾つか引用されてるが、どれも素敵な言葉である。

  • 権利を主張する前に義務を果たせ,なんて言葉を聞いたことがある.
    それと似たような言い方をすると,自由であるためには規律が守られなければならない.言論の自由だとか表現の自由だなんてことが言えるのは,それを規定する決まりがあって皆がそれを守るからである.

    自分で考えてみて思ったが,規律によって自由を規定するというのはなんとも不思議な感じを受けた.

    本書では,著者のイギリスでの学校生活経験をもとに,イギリス人の人格形成とか規律を守る心構えが,学校生活のどういった部分で行われていくかについて書かれてある.あと,中学高校といった多感な時期の教育に,教える人その人が学生の人格形成に重要な役割を果たすことについて考えさせる本だった.

  • 今回『自由と規律』を読み、その感想としてまず抱いたことは次の通りである。つまり、私は高校時代に真なる自由というものを謳歌できているのかという疑問である。なぜならば、私が3年間を過ごした熊谷高校は、その校訓の一つとして「自由と自治」というものを掲げているからだ。その高校では一般の高校と違い、制服が存在しない。学生は各々自由な格好で通学することができる。休み時間の過ごし方も自由である。たとえば、昼休みに抜け出し、近所のコンビニや駄菓子屋、レストランへ行くことも可能である。授業においても担当教員が不在の場合は、その時間は各自図書館学習(通称カクト)と呼ばれるものになる。その時間は勉強している学生もいれば、友達と麻雀に興じる学生、はたまた近所のレストランに行く学生などがいた。いうなれば、その時間は何をしようが自由なのである。高校時代私は、このような自由な校風の下自由気ままな学生生活を送っていた。しかし、ここで一つ疑問なのは、私は自由の裏に必ず存在する責任というものを意識していたかどうかという点である。「自由=無秩序」と考え、自由をはき違えていたのではないかという疑問である。そのことを示唆するエピソードを紹介したい。
    私の母校熊谷高校の最寄駅、熊谷駅前には源平合戦で活躍し、熊谷市の名前のゆらいにもなった熊谷次郎直実の銅像が鎮座している。毎年熊谷市では、うちわ祭りという祭りが夏に開かれるのだが、それが開催されるたびに我々学生はその銅像に登るという悪習が存在している。その銅像は重要文化財に指定されており、登ことはおろか触ることさえ法律で禁止されている。しかし、我々はその法律を無視し登ってしまった。我々の言い分としてはこれが伝統だから、自由だからなどが当時はあったと記憶している。今思うと非常に恥ずかしいことであるが、直実像に登った際私の先輩の一人が警察に捕まってしまった。この後警察、学校関係者に怒られたのは言うまでもないが、ここで問題なのは自分たちの蛮行に対する後始末を人任せにしてしまった点である。つまり、祭りの実行委員会、周辺住民、警察などの関係諸機関に対する説明責任を我々は負わなかった。謝罪にさえ行った記憶がない。すべて校長先生をはじめとする、先生方に任せてしまったのだ。高校入学時の担任から「自由ということばの裏には必ず責任ということばがついてまわるのだよ。」と言われていたにも関わらず、我々は自分たちの蛮行に対する責任を放棄してしまった。確かに中心となって扇動した応援団は謹慎し、それなりの責任を果たしたと言えるが、自分の蛮行に対する責任を人任せにしてしまった点は今でも申し訳ないと思う。
    このエピソードに見られるように、私は高校時代「自由」ということばをはき違え、それに対する責任を負わなかったように感じる。「自由=無秩序」という考え方が私の中にはびこっているように感じる。真なる自由とは規律によって担保されるという本書の主張は、私に衝撃を与えた。仮に「自由=無秩序」、つまり規律が存在しない状態だと我々人間はどのように行動するのか。おそらく自由の名のもとに暴走してしまうであろう。自分の利益のみを追い求め、数多くの蛮行を働くに違いない。なるほど、自由経済の世界においてもその自由を規制する法律、諸機関があることもうなずける。
    我々の自由に対して規律が必要なことは理解した。では、その規律を守らせるには、その規律を教え込むにはどうしたらよいのか。その方法はひとえに正解とは言えないが、私が思うのは次のようである。つまり、自由の裏に必ず責任ということばが付きまとうことを理解させるほかない。思うに日本の事なかれ主義においては、先生、親など規律を教えなければならない人が非常に過保護である。子供が悪さをすれば親同伴で謝罪に来る。自分が好き勝手にやったことに対して自分で責任を負う。この点がもうすこし強調されてもいいと思う。自分の行動の後始末を自分でつけることで、やってはいけないことを学ぶのではないかというのが私見である。

    • zyozenさん
      K高生って結局プライドだけ高いけど、実力が伴わないアマちゃんなのかもしれないね。
      K高生って結局プライドだけ高いけど、実力が伴わないアマちゃんなのかもしれないね。
      2010/12/01
    • browningm1837さん
      改行求む 
      改行求む 
      2010/12/28
  • 私情を捨てて正しい判断を下すには勇気が必要。自分に不利な判断を下されても、面子にこだわることなく判断に服すことは勇気を必要とする。自由は規律を伴い、自由を保障するものが勇気である。

  • 「彼等は、自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知るのである。」

    上流階級のイギリス人の気風と彼等の精神の土壌であるパブリックスクールについて知れる本。手放しで賞賛することはせず、でも親しみと敬意の筆致で書いていて100年くらい前の本だけど良かった。(イギリスのことだから、今も大方変わりはないんだろうなと思わせる)
    自分の知ってるイギリスものとして、ずっとハリポタとSPY×FAMILYが頭の中に浮かんできた

  • イギリスのパブリックスクールの生活を描写。
    イギリスの国民性、紳士、スポーツマンシップをよく理解できます。限りなく★4つに近い★3つです。

    1.この本をひと言でまとめると
     紳士の育て方

    2.お気に入りコンテンツとその理由を3から5個程度
    ・ある特定の条件にある特定の人間が、ある行為をして善いか悪いかはすでに決まっていて、好む好まないを問わずその人間をしてこの決定に服せめる力が規律である。そしてすべての規律には、これを作る人間と守る人間があり、規律を守るべき人間がその是非を論ずることは許されないのである。(p61)
      ⇒服従の精神を知った。是非を論ずることが許されないことに権威・伝統のようなものを感じる。

    ・かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ(p89)
      ⇒子供の教育に必要な考え。自分の子に教えていきたい。

    ・勉強時に怠けるのが悪いのと同じく、他人の寛ぐときに一人勉強することは悪い(p95)
      ⇒メリハリが大事。決められた時間内でやるべきことはやりきる規律が必要ということ。

    ・本当に語学を身に着けるんだったら地獄の火を通して叩かなければ駄目(p125)
      ⇒語学は本気にならないと身につかないと思い知らされた。著者はいい先生に巡り会ってる。

    ・自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気である(p157)
      ⇒自由は自発的でなければ得られない。

    3.突っ込みどころ
    ・今でもイギリスでは「自由と規律」の精神は残っているのだろうか?
    ・規律自体を「なぜ?」を思うことも重要では?思わなければ作る側の人にもなれないのでは?
    ・現代では通用しない考え方もあるのでは?

    4.自分語り
    ・自由と規律の考え方は著者の言うとおりで、子にも教えたい。
    ・教育には勉強だけでなく運動を教えることも重要。子供の教育を考えるのに有用な本と感じた。

  • 著者池田潔氏(1903年−1990年)は、戦前、イギリスのパブリック・スクールであるリース校に留学した。その後ケンブリッジ大学、ドイツのハイデルベルグ大学で学ぶ。リース校在籍は、1920年から1923年ごろであろうか?校長先生とのエピソード、ノブレス・オブリージのエピソード、LとRを矯正してくれた先生のエピソード、プリーフェクト制度、スポーツマンシップのエピソードなど、非常に興味深い。「自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知るのである。」というのは、本書の名言である。

    <目次>
    パブリック・スクールの本質と起源
    その制度
    その生活
     (一)寮
     (二)校長
     (三)ハウスマスターと教員
     (四)学課
     (五)運動競技
    スポーツマンシップということ

    <メモ>
    学校の特約店ではない理髪店へ行ったとき、校長先生に遭遇したこと(60)
    「まだ貴方には紹介されたことがないのに、突然、話しかけて失礼だが・・・。私が校長を勤めている学校に、やはり貴方と同じ日本人の学生がいてね。もし逢うような序(ついで)があったら言伝てしてくれ給え。この店にはリースの学生は来ないことになっている、と。
    この店で髪を刈ることが悪いことなのではない。ただリースの学生のゆく床屋は別に決まっていて、リースの学生は皆そこに行くことになっている。あの日本人の学生は入学したてで、まだそれを知らないらしい。何?知っていた?君は知っていたかもしれないが、あの学生は知らなかったに決まっている。知っていたら規則を破るようなことはしないだろうから。
    悄然として立ち去ろうとする後から、小声で、ここは大人の来る店だから心付が要る。これを渡しておき給え。何?自分で払う?一週間分のお小遣いではないか。そして突然大きな声で、子供はそんな無駄費いをするものじゃない。

    ノブレス・オブリージ(74-75)
    ピーター・ブレナンの自叙伝の一節であるが、たまたまハロー校で博物学の教師を勤めていた彼が、夏休みを利用して教え子である某伯爵の一人息子と自転車旅行に出ている。宣戦布告のニュースをきくと、二人はそのまま、旅先から自転車を走らせロンドンに駆けつけ、従軍志願者の長い行列に並ぶ。彼は無事に通るが、少年は16歳を20歳と詐ったのを見破られ拒ねられる。ぐるっと廻って、また、行列の尻尾につく。三度目に遂々業を煮やした曹長がわざとそっぽを向いている中に、勇躍、関所を通り抜けてしまう。それから四年半の後、一人は片脚になって帰り、一人は遂に還らない。

    プリーフェクト制度(103)
    パブリック・スクールの生活が規則正しく運営されてゆくことを助けるものは、プリーフェクトの制度である。プリーフェクトとは、最高学級に属して人格成績衆望いずれも他の模範となり、そしていずれかの種目の運動競技の正選手をしているものの中から、校長によって選ばれ、校内の自治を委ねられた数名の学生である。決して学生によって選挙されたり、任命に際して校長が教師に意見を聞くこともない。校長の権力はそのように強いが、同時に校長はここの学生をそれほどよく知り抜いているということにもなる。

    自由と規律
    学校の運営には参与出来ず、既定の校則には絶対服従を要求され、宗教と運動は強制的に課せられ、外出はほとんど許されない。自分自身の時間もなく、映画観劇の娯しみもなく、服装は不断の点検を受け、髭剃を怠ることすら販促であり、質量共に甚だしき粗食に甘んじ、些細な罪過も容赦ない刑罰をもって律せられるー彼らは自由をもたないのであろうか。彼等イギリス人の謳う自由とは如何なるものであろうか。
    すべてこれらのことは自由の前提である規律に外ならない。自由と放縦の区別は誰でも説くところであるが、結局この二者を区別するものは、これを裏付けする規律があるかないかによることは明らかである。社会に出て大らかな自由を享有する以前に、彼等は、まず規律を身につける訓練を与えられるのである。
    パブリック・スクールにあっても、基本的な自由は与えられている。正しい主張は常に尊重され、それがために不当の迫害をこうむることがない。如何なる理由ありても腕力を揮うことが許されず、同時に腕力弱いがための、遠慮、卑屈、泣き寝入りということがない。あらゆる紛争は輿論によって解決され、その輿論の基礎となるものは個々のもつ客観的な正邪の観念に外ならない。私情をすてて正しい判断を下すには勇気が要るし、不利な判断を下されて何等面子に拘ることなくこれに服すにも勇気を必要とする。彼等は、自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知るのである。

    スポーツマンシップ(168)
    彼我の立場を比べて、何かの事情によって得た、不当に有利な立場を利用して勝負することを拒否する精神、すなわち対等の条件でのみ勝負に臨む心がけをいうのであろう。

    2013.08.20 「パブリックスクール」に関する文献を探していて見つける。
    2013.09.16 読書開始
    2013.09.20 読了
    2014.10.24 「橘宏樹さんの『現役官僚の滞英日記』」の記事で紹介

  • イギリスのパブリックスクールについての考察。ただ著者自身が通っていたのは戦前であるため、現在は色々と変化しているものと思う。

    ただの教育論というだけではなく、イギリス人についての深い見識があり、非常に興味深い。私自身も高校で寮生活をしていたこともあり、大変懐かしく感じた。

    「自由」の前提として「規律」がある。その「規律」を少年時代に身に付ける。現在でも必要とされる金言と思う。

  • 著者の池田潔は、三井財閥の最高指導者で日銀総裁を務めた池田成彬の二男で、第1次世界大戦直後から満州事変直前の時期に、17歳で渡欧し、英国のパブリック・スクールのリース校、ケンブリッジ大学、独ハイデルベルク大学に、通算11年間学んだ。
    本書は、英国の伝統的精神がいかにして育まれるのかを、著者のパブリックス・クールでの3年間の経験を踏まえて綴ったもので、1949年の発刊以来読み継がれるロングセラーである。
    著者によれば、英国のエリート教育は、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学における「紳士道の修行」と、その前過程のパブリック・スクールにおける「スパルタ式教育」の両面から語られなくてはならないという。そして、それは、自由かつ豊かなオックスブリッジの生活と、極めて制限された、物質的に苛薄なパブリック・スクールの生活とに対比されるが、それは、英国人が、「よい鉄が鍛えられるためには必ず一度はくぐらねばならない火熱であり、この苦難に耐えられない素材は、到底、その先に待つさらに厳酷な人生の試練に堪えられるものとは考えられないからなのである。叩いて、叩いて、叩き込むことこそ、パブリック・スクール教育の本質であり、これが生涯におけるそのような時期にある青少年にとって、絶対必要である」と考えているからに他ならないと語る。
    そして、パブリック・スクールの生活では、「共同目的の貫徹」、「他人と異ならないこと」、「規律への服従」、「感情の抑制」、「忍耐の精神」、「奉仕の精神」の重要性を徹底的に叩き込まれると同時に、「規律を前提とした自由」と「自由を保障する勇気」を学ぶのだという。
    一方、こうした制度は、「少なくとも旧家といわれるような家庭では、長じてその男子の入る三段階の学校は生まれる前から既に決まっているといってよい。・・・今から百年後二百年後母校のクリケット競技場で、彼等の子々孫々がやはりバットを振りまわしているであろうことは、明日の太陽が東から昇ると同じく、彼等の夢疑わないところなのである」という因襲による階級社会でこそ成り立ち、また、それ故に、その特権の裏返しである「ノーブレス・オブリージュ」の精神が生まれ得ることも事実である。
    翻って現代日本は、親の出身校や職業に係らず子供の将来にはあらゆるチャンスがある、格段にオープンで平等な社会で、本書で述べられたことは完全には両立しえない文化・社会でもある。
    階級社会や民主主義の是非にも考えが及ぶ作品である。
    (2010年5月了)

  • 教育とはどうあるべきか。
    この本は1949年に出版された。
    当時の日本は終戦後の主権が剥奪さていた時期だったと思います。
    それを考慮した内容だとしても英国の教育は手本の一つとして考慮されるべき事項が多いと思われる。
    教育というものが国民性を形成する重要なメソッドだということがはっきり理解できる。
    もちろん日本の良いところもあるが、教師の権限がなくなっていき、学生が秩序なき自由を謳いだす。
    教師とは人を押してるという点で誰よりも他の意見を聞き、自分の信念を貫けねばならない。
    とても難しいことですが。
    表面的に平和な世の中に疑問を持つのは何も最近のことだけではない、と感じた。

  • ゼミナールで使用。
    これを読むと、日本の規律って…

  • 昭和24年に書かれた本なのに、現在と本質的な問題が変わっていないことに驚き。
    論理的な議論よりも面子とかの方が勝ってしまうのは、日本人の変わらない特性なのか?
    自由の前提には規律があるという考え方は、うちの社員にも理解させたい。

  • 2023年度【国際学部】入学前知トラ「課題図書」推薦作品

    OPAC(附属図書館蔵書検索)リンク
    https://opac.lib.hiroshima-cu.ac.jp/opac/volume/171537?locale=ja&target=l

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00149595

  • ちょっと難しい。

    イギリスの教育的文化を垣間見れて面白い。
    だけど、一文一文が長くて読み取るのに苦労する。

    全体的に理解するのが難しいが、勉強になる。

    特に最後の運動競技、スポーツマンシップの項は、イメージがし易くて為になった。

    良きタイミングで見直したい。


  • 高校時代に読んだが再読。
    ブラック校則が話題の昨今、考えさせられること
    多数。

    文語調の声に出して読みたい
    美しい文章も特徴的。

  • いかにして、英国が今に至る国となったのか?その国民性、教育、思想とは?日本人とは異なる考えを相対的にエピソードを踏まえてわかりやすい。ノブレスオヴリージュの考えとはどこからやってくるのか。自由を謳歌する前に徹底的な規律を叩き込まれる。

  • 自由とは規律を伴い、自由を保障するものが勇気である。

  • ボストンコンサルティング御立さんのオススメ本

    教訓:自由を謳歌するには、規律が必要条件になる、という厳然たる定理がある

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著者プロフィール

大阪商業大学総合経営学部教授

「2023年 『激動する世界経済と中小企業の新動態』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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