- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004121510
作品紹介・あらすじ
外来思想である仏教を日本人はどのように受け入れ、継承してきたか。仏教は国家主義や呪術や死者儀礼とどうして結びついたのか。日本人の生活の中で仏教が果した役割を歴史的に明らかにするとともに、今日の日本人の実生活に残っている仏教的な思想を、律・禅・密教の諸系譜、華厳思想、法華信仰、アミダ信仰の諸流の中に位置づける。
感想・レビュー・書評
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日本仏教の概論として、すごくまとまりのよい、行き届いた本である。内容も詰まっている。教科書として使えそうだ、という印象を受けた。ただしクセがある。「厳密な本格的な仏教を主張した人こそほとんど例外なしに、民衆に近づき、民衆の利益を増進した人たちだった」。この視点から仏教史を読み解くので、民衆への社会活動の実践にとぼしい学僧への評価は低い。
日本仏教の4類型を作っている。手短に言うと、理論と実践のどちらに重きを置くのかで分けられる。実践は行や布教だけではない。土木工事を手がけ、貧者・病人・死人の救済する実践なども含んでいる。こちらの方が仏教として重要だとも考えているようである。煩瑣な仏典研究の弊害に陥ることなく、仏教の教えが説く実践の理想的、あるいは極端なありかたを、行基、空也、一遍などに見出している。
著者は、インドの原始的、原理的な仏教の原典を研究することが専門である。その立場からみた日本仏教論なので、仏教の根本的な考え方をゆがめるような傾向には手厳しい。例えば世俗主義の徹底されすぎた浄土思想について、あるいは他宗派攻撃の激しい日蓮宗について、かなり激しく批判する。おなじ鎌倉仏教の中でも、仏教と真摯に向きあい、金や権力に対して潔癖であった道元については、高く評価している。道元は社会奉仕活動はやっていないものの。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の仏教史の全体像を把握したいと思い、購入。
1958年初版ということもあり、字も小さく、一見するといわゆる”岩波新書”の王道っといった感じでやや読みにくい感じがしたのだが、いざ読み始めてみると、「すーっと」まるで自分の体の細部にまで染みわたるように流れ込んできた。今まで知りたかったことが自然と自分の脳裏に刻まれていき一気に読了。筆者の渡辺氏は唯物論に染まらず、霊的視点を踏まえて仏教解説を行った貴重な学者であると、改めて敬意を表する。本書の最後の1文を読んだとき、涙が溢れて止まらなかった。「私が本書において過去現在の日本仏教に対して遠慮ない批評を加えたとすれば、それは、この泥まみれになっている仏教を洗いあげて、再び元の輝きをとりもどすことの急務を痛感しているからに他ならない。」 -
神仏習合に関する本が読みた買ったため購入。
日本における仏教の外観を知るには良い本。
著者はインド仏教が専門のようでその立場から見ている節が多少あるように感じた。
また、各人物、宗派に対して筆者の評価がところどころで語られる。
開かれている、いないであるとか、社会的貢献度であるとか、一般の価値観、概観する立場からいろいろ評価がなされている。
個々の宗派から読めばいろいろと反論したいような箇所はあると思うが、教団外部の学者からはこのように思われていると、
事実を受け取っていくことが大事であると思った。
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日本の仏教を中心とした仏教全般の、いわば豆知識や裏話を盛り込みつつ、日蓮宗と浄土真宗の非仏教性を暴露した本。当たらずとも遠からざる書評だと我ながらおもう。
親から、日蓮宗と創価学会にはかかわるな、と言われたことがあり、その時はよくわからなかった。創価学会はロクデモナイ組織だとその後知ったものの、日蓮宗はよく知らなかった。この本を読んで、まづ、そもそも創価学会が日蓮宗の外郭組織であることを知って膝を打ったのと、日蓮宗の興りを知って、なーるほどなとまた膝をうった。
日本人で檀家や信徒が多いのは浄土真宗と日蓮宗だが、この本の中ではどちらも本来の仏教からかけ離れた、謂わば邪道として扱われている。日本人の宗教観念がわかっておもしろかった。
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日蓮宗は、もとはとある狂信集団がはじまりで、勝手に自らの殻の中に閉じこもって反社会性を強め、法華経という経典を作り出し、どんどん結束を固めていった。インドでは見向きもされなかったが、呪詛などにこっていた東アジアではうけて、さらに開祖日蓮のこゆーい個性とあいまって、日本国内だけでも可也の信者数を得た。そのうちの教師連中がのちに創価学会の母体を創り、政治に進出して公明党をなのり、自民党の金魚の糞になった。 -
インド仏教から日本の仏教がどれだけ変質したかについて書かれている。日本の仏教には辛口。
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日本の仏教の入門書ですが、著者はインド仏教の専門家ということもあり、日本仏教が本来のインド仏教からへだたってしまったことについて、くわしく解説しています。また、日本仏教が形式主義に堕してしまっているという、厳しい批判も見られます。
本書でおこなわれているように、インド仏教からの偏差を見ることも重要ですが、そこに日本人の信仰のありかたを認め、その内実を知るということも、おなじくらい重要なことだと考えます。日本思想史の畑で日本仏教についての研究をおこなっている末木文美士の仕事が、専門家だけでなく一般の読書人のあいだでも広く知られるようになっている現在から見ると、著者の態度はすこし教条的なのではないかという気もします。 -
[ 内容 ]
外来思想である仏教を日本人はどのように受け入れ、継承してきたか。
仏教は国家主義や呪術や死者儀礼とどうして結びついたのか。
日本人の生活の中で仏教が果した役割を歴史的に明らかにするとともに、今日の日本人の実生活に残っている仏教的な思想を、律・禅・密教の諸系譜、華厳思想、法華信仰、アミダ信仰の諸流の中に位置づける。
[ 目次 ]
1 日本の仏教を築いた人々(仏教は外来思想;仏教の受けいれ方;真実を求めて ほか)
2 日本仏教の実態(仏教と国家思想;呪術祈祷;死者儀礼 ほか)
3 さまざまな流れ(宗派の成立;律の系譜;禅の系譜 ほか)
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