ヒロシマ・ノート (岩波新書 青版 563)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 946
感想 : 64
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  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150275

感想・レビュー・書評

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  • (2023.06.02)
    [題名]『ヒロシマ・ノート』
    [著者]大江健三郎
    [出版]岩波新書
    [動機]岩波新書のガイド本で、
        多くの文化人がお勧めに書いていた。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702263

  • 3.59/734
    内容(「BOOK」データベースより)
    『広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。』

    『ヒロシマ・ノート』
    著者:大江 健三郎
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    新書 ‏: ‎186ページ
    発売日 ‏: ‎1965/6/21

  • この本自体は60年代半ば、戦後20年が過ぎようかという頃に書かれたもの。戦争の記憶も今より遥かに鮮明で、冷戦や日米安保、学生運動の只中を生きた人々のエネルギッシュさにまずは驚かされた。

    その一方で、戦後20年にして既に戦争の記憶の継承が問題となっていたこと。特に広島で被曝した人々は、最初の数年を幸運に生き延びたとしても、いつ原爆症を発症するかは分からずにいた。それでも、ある日唐突に自分の命の終わりを告げられる恐怖におびえながら「悲惨な死にいたる闘い」を続けた人々の途切れない営みによって、現在の我々は、あの時に広島で何が起こったかを知ることができる。
    戦後77年を迎え、戦争を知る世代からの直接の継承が、本当の意味で限界を迎える日はそう遠くないだろう。
    だからこそ、戦争の悲惨、核の惨禍を繰り返さないことばかりを願いながら死んでいった先人たちの存在について、これまでのどの時代よりも真摯に知ろうとする必要があるのだと思う。

    そして、灰谷健次郎の『太陽の子』にも共通するが、この本を読んで強く感じたのは「心の傷」こそが最も寄り添われづらく、寄り添うことに努力を要するということだった。
    戦争体験だけに限りらないが、身体に残る傷は目に見えて、(こういう言い方はしたくないが)周りの人がそれに気づき、寄り添うことにそれほどの困難はない。
    しかしこの本や『太陽の子』にあるように、健康体で、見た目にはまったく他の人と変わりない人間が、ある日突然に自ら命を絶つことがある。拭い去れぬ戦争の記憶、いつ自身の身体に原爆症の症状が現れてもおかしくない不安。これらの恐怖は一人の人間の生きる希望を奪うのに十分で、それでいて他人の目には映らない。もしそれを知っても、権力そして世の多くの人は寄り添おうとせず、反対に心無い批判の声を浴びせる。
    今で言えば自己責任論、その人の心が弱いだけ、同じ状況から立ち直った人を知っている、などなど。正直に言って、そういった意見の全てを否定することはできない。自分にはない経験による、目に見えない心の傷である以上、自然にその痛みに寄り添える人の方がむしろ限られた才能の持ち主だとさえ思う。
    しかし、自然には寄り添えない他人の内面に対してなんとか寄り添おうと努力をすること、これはどんな人にでも可能なはずだ。それすらもせずに無関心を決め込み、勝手な誹謗中傷をしてしまえる鈍感な人間にはなりたくない。たとえ結論としてその人の傷に寄り添うことができなくとも、寄り添うための努力は惜しまない人間でいたい、いずれはそうなりたい。
    戦争について知ろうと読んだが、それだけでなく学ぶことの多い本だった。

  • 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」

    広島の原爆を、当時の戦争を、少しくらい知っていないと読み進めるのには苦労するかもしれない。

    ただ、それでも多くの方に読んで欲しい。そんな本です。

    ウクライナとロシアの戦争の真っ最中。

    核戦争の危険性が、ほんの2ヶ月前までは薄れていた、嘘でも今より平和な空気感で満たされていた時代から一変した、そんな「核の今」だからこそ。
    読んでおくべき一冊。

    戦争直後。占領下の時代、原爆の悲惨さを書いた書籍の出版が、米国より発刊禁止になる。
    理由は、「反米的思想である」、その一点。

    ただただ惨劇を伝えようとした。
    事実のみを淡々と。

    今のウクライナとロシアの報道を見ていても、色々と感じてしまう。

    そこに真実はあるのか? いや欺瞞が紛れてないか?
    そこに事実はあるのか? いや疑念を入れてないか?

    思想や理念を越えたところで、物事を取り込める冷静さや柔軟さは、自己として持っていたい。
    そんな今日この頃。ですね。

    「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」
    この言葉が、読後に一番頭に残った本日です。

  • 中学生の頃、サンタクロースからのプレゼント。通学バスの中で読んでいたが、とにかく難解ですぐ寝てしまい、この新書が床に落ちる音で目を覚ましていたことばかり覚えている。

  • 文章が難解だったので、結構読みにくかった。大江健三郎が描く原爆への恐怖とその破壊がもたらす絶望感がしみじみと伝わってきた。

  • 【電子ブックへのリンク先】※スマホ・読上版です!

    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000085111

    ※学外から利用する場合は、「学認アカウントを・・・」をクリックし、所属機関に本学を選択してキャンパスIDでログインしてください。

  • ●●感想
    1963年8月の第九回原水爆禁止世界大会は、政治的な対立もあり分裂したという。このような活動には、どうしても政治、政党、団体の力が必要なことは理解できるが、本線と全く別の次元でこのような対立が開催直前まで続いていたと読むと、まったく空しく感じてしまう。
    日本人でありながら、知ろうとしてこなかった広島について、何かきっかけをと思って手に取った本だった。原爆被害の概略についてなど、一般的な記述はなかったが、十分に考えさせられる内容のあるもので、次にまた同じテーマの本を読もうと決意している。

  • ヒロシマ・ノート (岩波新書)

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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