- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004150855
感想・レビュー・書評
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「ユーモアというのはむつかしい」
『ユーモアのレッスン』に引き続き手に取った本書のあとがきには、ほとんど同じ嘆き節の感想が綴られていた。
確かに“ユーモアの定義”と題した一章は、古来それを見究めてやろうと挑むも、猛者達の議論百出その正体を見ずと言った有様で、かえってその姿があやふやになる。
けれど、本書の異彩はエスプリと比べる事にある。
一章を割いたアンドレ・モロアの講演で彼が、さる婦人から教わったユーモアとエスプリの違いを紹介する。
「私が〈私はでくの坊です〉といえば、それがユーモアです。もし私が〈あなたはでくの坊です〉といったら、それがエスプリなんです」
これを序章にエスプリとユーモアの差異と類似が語られ、人間にとって笑いとは何か、また文化歴史がどう作用するのかに及び、われわれがエスプリとユーモアを身につける意義が説得力を持って結論づけられる。
これを通して読者はそのノウハウを得られるとまではいかないかもしれない。
しかしその本質には、かなり近くまで迫れる。
そしてそれを何としても身につけていく事が人生を豊かにしていくものである事は理解できると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2015.5.28途中で中断。結局、ユーモアとは何なのかよくわかりませんね、という結論はよくわかった。それが何なのかを言葉による表現に求めること自体が違うのかもしれない。ユーモア、エスプリ、笑いなど、全体として言えることは、囚われないこと、自由な視点、着眼、発想なのではないかという気づきは得た。スポーツに似ている気がする。あと、この本で語られるユーモア、エスプリは、私の考える、というか日本で言われるユーモア、エスプリと違う気がした。なので、ユーモアやエスプリに囚われず、その根底に流れる本質、世界の見方だけ抽出して自分のものにしたいと思う。西欧の文献から多くの引用を用いて、ユーモアとは何か、エスプリとは何かを解明しようと試みた一冊。
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タイトルにあるような言葉を言葉で理解しようとしても、結局最後まで正しいニュアンスが解っていないような心細い感じが残ってしまう。
ただ、本来の意味が、普段日本で使っているような意味ではないことは解る。 -
ユーモアとは何か、エスプリとは何か、を解き明かそうとしてくれてるらしい本。笑いというものは言葉で語れるんだろうか、と疑問を持ちながら手に取りました。
引用が多いです。いろんな国のいろんな人が笑いについてこんなに考えていたんだなぁと思うと面白い。目玉として扱われているっぽい、アンドレ・モロアの講演は読み応えありました。
面白い本だったけど、どう面白い本だったと言えばいいのかわからない。興味深く読めました。
「彼はこんな面白いことを言っていた」から提示される例文は、身構えているからかあんまり笑えなかったんだけれど、声に出す笑いがなくても胸にしみいる気がしました。……と言葉にしているとやっぱり違う気がする。笑いの言語化ってむずかしい。
何かへの笑いと攻撃はたまにとてもよく似ていて、それが怖くなることもあったのだけど、「苦しいとき、生きるための休息として捉えることもできる」というようなことが書かれていて、ああそうだなぁと思いました。二面性を持つことが確かな以上扱いは難しいと思うけど、たとえば自分が苦しいとき、自分だけでもエスプリやユーモアで休ませてやることができたらいいんじゃないかなーとか、そんな事を考えました。 -
1969年という時代を鑑みれば情報不備もしかたない、フランス文学大家の「お笑い解説本」。エスプリがフランス語に依存したジョークであることを知り抜いた戦前からの大センセだけに「一応説明はしておくけど、伝わんねーだろーなーしるぶぷれ・鯖びあん・こまんたれぶー」が文の端々に垣間見えます。
刊行から約四半世紀。
ユーモアのほうはだいぶ日本人でも通じるようになりましたけれど、エスプリのほうは「すました皮肉」ていどにしかいまだ認知されていない、ヨーロッパ式お笑いセンスは相変わらずイマイチな日本です。
書き言葉のお笑いに興味のあるかたなら、ジョークに関するまじめ(?)なエッセイの古典として。 -
斜め読みのみ。