- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004201427
感想・レビュー・書評
-
1980年に読んでいる。それから約30年たっている。
当時の時代状況を踏まえて書かれているのだが、過去の事としてとらえることができない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は自身を戦中派と呼びますが、丸山真男のように「1910年代生まれで、1930年代の世相を相対化して過ごした世代」のようです。終戦間際に書いた時勢の所見では、大変冷静に戦時下の日本を俯瞰しています。まず、国が経済的利益の追求で始めた戦争を、アジアの解放というきれいごとでカモフラージュしていることに欺瞞を見ています。そして時勢を乗り切るにはアジアの解放を唯一の目的に切り替え、無条件降伏を求められたとしても、その目的を完遂して降伏せよと訴えます。たとえ降伏しても目的を達成することで結果的に戦勝とする、というレトリックなのでしょう。焼け野原の東京を見ながら、すでに戦後の国のあり方を考えていたことがわかります。
また、1980年当時の学生とのジェネレーションギャップを気づきとして、現代が管理社会となることに強い警告を発しています。管理社会に対する警鐘は当時の流行りだったのでしょうか。近代主義的、社会主義的な管理より、物質的に豊になり滅公奉私になるがゆえ人が束縛されることを論じています。今は管理より監視社会の方がホットですね。
表題の「戦後思想を考える」では、終戦後に獄中の三木清を救えなかったことや児玉や岸が放免されたことを挙げ、日本社会と日本人の至らなさを嘆きます。心から落胆しています。当時の汚職にまみれた自民党政治にも同じように嘆きます。理想の民主主義社会の実現が程遠いと思っているようです。
いわゆる戦後責任と呼ばれる何かについて、日本人があえて部分的にしか清算しなかったことは、今となっては歴史の一部となっています。著者のそこに感じる落胆こそが現代において改めて評価や分析の対象となりえるのではないでしょうか。
いくら世間から影響力を指摘されたとしても、革新派から見える戦後は自身の敗北の時代であることを知りました。 -
日高六郎の描く戦後日本の見取り図と問題構成。
真の左翼とでも言ったらいいのか、的確かつ冷静な指摘に驚かされる。
敗戦後の民主主義的なモチベーションが衰退し、経済的条件が社会を支配し、緩やかに管理社会化している。その中で、差別や疎外がますます強くなり、個人が無力化する。社会主義にも資本主義にももはや希望は見出せなくなっている。デモの限界も明らかになる。日本の資本主義が、再びアジア諸国を経済的な植民地化していく。水俣病にしても、マスコミにしても、天皇にしても、財閥にしても、結局戦前-戦中-戦後のある連続性を持っている。
このようなことが、逐一詳らかにされる。
自由、平等、博愛とはなんなのか。われわれはなにを意識しどのような方向へ進めばいいのか。この本の中ではその問いだてが明確にされる。
本の中に答えはない。著者は「これから三分の一世紀の先を見とおす自信をもっていない」とあとがきに書く。この本が書かれたのは1980年。三分の一世紀を経た今日、原発事故やネットの交流などによって再び民衆の政治的関心や運動は上向いているようにも見える。しかし、その問題意識、視野はどれほどのものか。ともすれば自己利益を追求し合うだけの矮小なものになっていないか。
この本は、日本の民主主義と政治、民衆の運動のもつ問題を鋭くついており、左右に関わらず、階級に関わらず、今日でも非常に有効な示唆を与えてくれる名著である。 -
高校生のときに、国語の先生主催の読書会で読んだ記憶はあるが、内容は覚えていない。
-
2