記号論への招待 (岩波新書 黄版 258)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004202585

作品紹介・あらすじ

いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか-。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。

感想・レビュー・書評

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  • 記号論についての基礎的概念を紹介している本

    記号論的なものの見方を久しぶりに確認したが、とてもよくわかるようになっていた。

    先に読んだ「言語学講義」の方には、ソシュールが創始した重要概念が記載されている。
    ・ラング、ランガージュ、パロール
    ・(言語記号の)恣意性、線条性、能記と所記、範列関係と統辞関係、通時態と共時態

    本書では、それを補っていくためのキーワードがさらに様々説明されている。
    ・記号表現(シニフィアン)=知覚可能と記号内容(シニフィエ)=知覚不能:相互依存と非対称性

    ・センス sense 感覚であり意味である

    ・分節と等質性と差異作用。これを規定するのがコード。コードがどのような視点から分節を行うかの動機付けがはっきりしているかどうか二次的。本来、分節は恣意的

    ・イーミック(コード想定あり)=構造相的=音韻論的 phonemic とエティック(コード想定なし)=非構造相的 音声学的phonetic
     -音素を中心に組み立てる音韻論:異なる音がその問題となる言語で「同じ」価値をもつかどうかという視点
     -言語音の調音的、音響的特徴そのものを考える音声学

    ・記号表現:
    ー実現された段階では、受信者によってそれと感知されるようなものであることが必要
    ー受信者が人間であれば、典型的には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、熱感覚、触覚、などといった感覚に訴えるもの
    ―受信者が機械であれば、可能な記号表現の様態は広くなる。知覚可能な範囲外の光線、音波、電流、ある種の化学物質から磁力まで
    ・二重分節:文と語、語と音。一般的には、記号と記号素

    ・記号内容:
    ー指示物か意味か。例:金星と「明けの明星」「宵いの明星」
    ー記号表現と指示物:有契・無契(動機付けがあるかないか)。有契の場合の、イコン(類像)、インデックス(指標)、無契の場合の、シンボル(象徴)

    ・示差的特徴、対立(共通性を踏まえての差異)と中和(予想されている対立が停止している状態)
    ・有徴・無徴(対立が中和された項と予想される対立を保持した項の2項):man woman のうち、man が無徴、woman が有徴
    ・表示義(デノテーション)rose ばら・共通義(コノテーション)rose 愛

    ・統辞論:記号がどのような形で配列されてよいか
    ・意味論:個々の記号において成立する意味作用

    ・基底部規則:基本的な文型を作り出す一連の統辞規則
    ・変形規則:さらにさまざまな文型を派生する一連の統辞規則

    ・記号体系が「固有」の統辞規則を持っているということは、それにしたがって記号が配列されることにより、「外界」とは自立した「嘘の世界」を作りだすことができる。
    ―〈モノ〉的レベル
    ―〈モノ〉的なものによって構成される〈コト〉的なもの、〈コト〉的なものによって構成されるもっと複合的な〈コト〉的なレベル
    ―〈モノ〉的レベル

    ・統辞は時間の流れに沿う(線条性):言語、音楽、
    ・空間的な配置による統辞:地図、写真、絵画

    ・コード:辞書と文法

    ・範列的(パラグマティック)JOHN SEE DOG と統辞的(シンタグマティック)JOHN BILL MARY、SEE HEAR TOUCH、 DOG CAT RAT
    ・文法と辞書の関係:意味的選択制限、イディオム

    ・統辞的単位とテクスト
    ・ミクロ的整合性
    ー相前後する統辞的単位の間のつながりとは、「部分的に同一の情報の反復」:
    ーテクスト統辞的役割:接続詞、時制(過去、現在、未来)、法(現実と非現実)、相(開始、進行中、終了)
    ・マクロ的整合性
    ーテクスト生産者の主体的判断に任せる
    ートピック+展開+結論
    ー叙述+矛盾的叙
    ー「悪事+計略+処罰
    ー起承転結
    ー序破急

    ・主体によるテクストの補完:コンテクスト

    ・フレームとスキーマ
    ーフレーム:関係する人々が平均的に有していると思われる知識を総覧的に示したもの。スロットとフィラー
    ―スキーマ:時間的ないし因果的な関係に基づいて継起する出来事からなるまとまりを表すのに用いられる

    ということで、記号論のとらえかただが、
    もっとも重要なのは、コミュニケーションモデルを組み立てるための道具として記号論を活用することではないかと考える。

    ある伝達内容があるとして、発信者は、コードを参照しながら伝達内容を「記号化」してメッセージをつくる。メッセージは何らかの「経路」を通って受信者に届く。受信者、受け取ったメッセージを、コードを参照しながら「解読」して、伝達内容をメッセージとして再構成する。コードは、伝達において用いられる記号とその意味(辞書)、および記号の結合の仕方いついての規定(文法)である。

    これが記号論的コミュニケーションのモデルだが、これを起点に様々コミュニケーションモデルを考えるというのが、自分の関心事といってよいので、ここからモデルをいかに発展させていくかが、自分なりの理論および教育サービスを提供していくかにつながるなら、それが最も重要な成果といえるだろう。

  • ずっと興味はあったんだけど、なんとなく大学のとき手を出しそびれていた記号論。
    仕事として広告という分野に関わることになったことで改めて勉強し直します。

    面白いのは広告を始めとして「メディア業界」と記号論など学術分野の関係性。
    サービスとして行なっている事象が研究対象であり、批評されつつ、
    その研究結果を一番に取り入れ利用していくのもまた同じ主体だったりするわけで。

    言葉や表現というものの持つ意味には敏感でいたいなと思います。
    すくなくとも態度として。
    言葉や表現そのものだけじゃないか。
    特にいまのトレンドからするとデバイスの変化やそれに伴うサービスの変化が持つ意味(とそれにともなって変化する言葉や表現)に視点を移してた方が良いのかな。

    あと2、3冊読んで頭に視点を叩き込みたいです。

  • 記号論、特に言語に関わる部分について丁寧に解説された入門書。説明には必ず分かりやすい例がついていて、一見難しそうな概念もすんなりと理解できる。
     特に有契的・無契的、有徴・無徴、線条性・現示性、表示義・共示義…などがとても分かりやすかった。この本を読んでいる前後にギリシア旅行をしたが、この本を読んでると、おれはあの遺跡群を記号として捉えられなかったから石ころにしか見えないんだ、とか、旅行中友人とやった「マジカルバナナ」(連想ゲーム?)は、ミクロ的な整合性はあるけどマクロ的な整合性はないのか、いやそもそもミクロ的な整合性もなくて、あのゲームはある語のフレームの中から特定の1つのスロットを選び、そして同じスロットを共有する別のフレームを持つ語を選択するゲームなのか、とかどうでもいいことを考えてしまう。

  • ある本で紹介されていたこともあり、読んでみました。
    「記号」とは何かを示すために、主に「言語」の「記号」性を明らかにしていくことで、説明が進んでいきます。
    抽象的な部分が多く、理解が難しい部分も多いと感じましたが、具体例を交えることで、理解しやすくしてくれている部分もあります。

    おそらく、著者が最も言いたいのは、最終章の「記号論の拡がり」の部分。
    それまでの章は、最終章に向けてのおぜん立てのようにも見えます。
    最終章は、若干「記号論」から離れているようにも思えましたが、読み応えがある内容でした。

    「記号」については、当然のことながら、人間にとっての「記号」を中心に説明しているのですが、実は、動植物も「記号」を利用していることに、気づかされました。
    もちろん、動植物が利用する「記号」は、人間が利用する記号とは異なり、もっとシンプルなものではありますが。

    この本によれば、人間の営みは、ある意味、すべて「記号」である、と言えると思います。
    また、そのような視点を持つことは、物事を捉える上での客観性の確保に、かなり役立つように思います。

  • 924

    池上嘉彦
    1934年京都生まれ。東京大学文学部人文科学研究科(英語英文学専攻)修了。フルブライト留学生として、イエール大学で言語学博士号取得。フンボルト財団研究員としてハンブルク大学、Longman Research Scholarとしてロンドン大学で研究。現在、昭和女子大学大学院文学研究科教授、東京大学名誉教授。ミュンヘン、インディアナ、ロンドン、チュービンゲンの各大学、北京日本学研究センターなどで教授経験。Longman英英辞典、英和辞典の編集に校閲者として参与。著書に『意味論』『「する」と「なる」の言語学』(大修館書店)、『記号論への招待』(岩波書店)など。


    しかし、いずれにせよ、一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるかに関して一つの枠組みを与えられるということである。(その意味で、一つの言語を習得するということは一つの「イデオロギー」を身につけることなのである。)そこで身につけられる価値体系やものの捉え方の枠組みは、決してそこから抜け出せないといった性格のものではない。しかし、われわれがとりわけ日常的なレベルでそれらを「自然」なものとして受け入れている限りにおいて、自らの身につけている言語によって、ある一つの方向づけをされているのではないか。しかも、われわれ自身はそれに必ずしも気づいていないのではないか。もしそうだとすると、この点における言語の働きは、人間という存在にとって「無意識」の働きにもある程度類比できるのではないか。いや、むしろ、「無意識」の方がいろいろな意味でその働きを言語に負っているのではないか。こういった反省にまで進んでいくことになるのである。

    「中世の西欧を含め、過去の多くの文明においては、音楽は神の啓示の ことば として崇められた。」(オーラヴ「音楽の記号論へ向けて」一九八一)

    「建築は何らかの意味の生産に関わる働きを持っていることから、言語のようなものとして捉えられ、 建築言語 の概念が用いられる。ここでは、多様な記号現象を生み出す建築を、記号体系として把握し、それを 建築言語 と呼ぶ。」(門内輝行「建築における表現行為」一九八二)

    読み取られる意味は、別に未来に関係することに限られない。一人の女性の着ている明るい色のドレスに、その女性のはなやいだ気持を読みとったりするのもそうであるし、脱ぎすてられた一足の履物からも、起こったことについていろいろと思いをめぐらすことができる。もちろん、鳥のさえずりに昨晩の自分の成功に対する讃歌を聞きとることもできようし、また捨てられた一枚の下駄に自らの将来を読みとることも可能である。このような場合にはすべて、当事者である人間の判断に基づいて、何かが何かを意味するということ――つまり、「記号現象」――が生じているわけである。

     「迷信」と呼ばれるものも、すぐ分かる通り、ことわざと似た「コード」的な性格を持っている。「四つ葉のクローバーを見つけると幸福になる」とか、「ごはんを食べてすぐ寝ころがると牛になる」、「三人並んで写真を撮ると真ん中の人が死ぬ」などといったたぐいのものである。

     「桃色」は、本来は桃の花のような色合いを「表示義」とした語であるが、そのような色合いを踏まえて性的な連想が「共示義」として生じ、その意味での使用が多くなったために「表示義」で用いても「共示義」の連想が伴うという状況になっている。本来の「表示義」の地位が「共示義」によって脅かされているわけである。外来語の「ピンク」も同じような経過をたどっている。

    写真や絵画の場合は、言語に見られたような「線条性」ということは妥当しなくなり、テクストとしての写真なり絵画が全体として一挙に提示されるという形をとる。しかし、実際には、見る人間の視線は写真なり絵画のいくつかの部分をつぎつぎに走査していくわけであり、その際も、例えば人間と木が写っている場合はまず人間の方に視線が向けられるとか、いろいろな色合いがある場合は例えば赤がまず注視されやすいとか、ある程度の傾向があることも知られている。しかし、写真や絵画の場合は、こういった部分の走査のあとで必ず(物理的に可能な大きさである限り)全体として見てみるということが欠かされることはないであろう。このように全体として提示するという写真や絵画に見られる性質は「現示性」と呼ばれ、言語に見られるような「線条性」と対比されることがある。

    例えば〈黒猫〉に対して迷信的な畏敬の念が抱かれる文化圏があれば、そこでは〈黒猫〉にだけ適用されるようなことばが多くあっても不思議ではない。  しかし、これはあくまで特別な価値づけによって支えられて初めて成り立つことである。例えば〈黒猫〉ばかりでなく、〈白猫〉、〈虎猫〉、〈三毛猫〉等々について、同じ仕草がすべてそれぞれ別のことばで表わされるなどということは、普通の状況では人間の言語がとりそうもないコード化の方向である。

     「機能」を記号内容と見なすということによって、多くの文化的対象を「記号」として扱うことが可能になる。例えば「建築」が記号論の対象として取りあげられる時は、多くはそのような視点からである。「柱」は屋根や上の床を支えるという「機能」を記号内容とする記号であり、「ドア」は異なる建築内空間(部屋)どうし、または建築内空間と外空間の間の通行を許すという「機能」を記号内容として持つ記号である。まったく異質な文化圏の建築物に接すれば、われわれはそのような建築を構成する対象の「意味」を改めて認識させられる機会を持つであろう。

  • 勉強になった☺️

  • 記号とは何かに始まり、記号の中でも最も我々にとってなじみ深い「言語」を例の大半として体系的な解説が為されています。
    記号による理想的なコミュニケーションにおいてはコードの規制が厳密な状態であり、記号表現と記号内容が対称的な状態となります。つまり、一方からのエンコードに対し、反対側からデコードすることで必ず元の記号を取り出すことができる状態です。
    しかし人間の扱う言語はそのような意味で完璧な記号体系ではなく、記号表現と記号内容は恣意的な関係にあることが前提となります。このような場合においては言語のもつコードに人間という「主体」が関与することでコードの規制が緩められ、そこから様々なダイナミクスが生じることが詳細な例とともに解説されています。

    中でも、膨大な記号内容を効率的に取り扱うという面において、受信者の知覚限界による制約をうまく躱すことを可能にしている二重分節のくだりが特に面白いと感じました。

    終章では個人レベルのコミュニケーションから射程を拡大し、文化を記号的対象として当てはめ論が展開されていますが、これは生命現象などにも適用できそうです。
    たとえば、ATGCの塩基を最小単位としての「音」、コドンを「語」とし、コドンとアミノ酸との対応関係を「コード」と解釈すれば、
    たった4種類しかない塩基を組み合わせることで20種類のアミノ酸を表現し、さらにアミノ酸重合の組み合わせにより無数のタンパク質(言語における、文)が表現できていることは、言語における二重分節のような現象であると類推できそうです。

    また記号におけるコード依存、コンテクスト依存の関係も興味深いと思いました。予測変換や翻訳ツールはまだまだ精度が低く、今も四苦八苦しながら文字を変換して打っていますが、翻訳・変換ツールの課題点の本質は言語の持つコンテクスト依存寄りの性質にあるような気がします。

    入門書であるため、基礎的な概念の解説がメインでなんとなく味気ない感じでしたが、これを他分野へと応用した本など有れば今後読んでいきたいと思いました。

  • 2006/07/23読了

  • 記号論はあらゆる学問の基本なので教養として知っておくべき.コミュニケーションやデザインとも関わりが深い.

  • 3.3

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著者プロフィール

1934年、京都市の生まれ。東京大学で英語英文学、イェール大学で言語学専攻。現在、東京大学名誉教授、日本認知言語学会名誉会長。インディアナ大学、ミュンヘン大学、チュービンゲン大学、ベルリン自由大学、北京日本学研究センターなどで客員教授、ロンドン大学、カリフォルニア大学バークレー校などで客員研究員。Longman Dictionary of Contemporary English(3rd ed.),『ロングマン英和辞典』の編集で校閲者。著書に『意味論』『「する」と「なる」の言語学』(大修館書店)、『記号論への招待』『ことばの詩学』(岩波書店)、『〈英文法〉を考える』『日本語と日本語論』(ちくま学芸文庫)、『英語の感覚・日本語の感覚』(NHKブックス)など。言語学研究書の翻訳、論文多数。

「2022年 『ふしぎなことば ことばのふしぎ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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