新哲学入門 (岩波新書 新赤版 5)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004300052

作品紹介・あらすじ

哲学とはなにを解明しようとする学問なのか。近代哲学の行きづまり状況はいかにして打破されるべきか。従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって独自の哲学体系を構想し各方面に波紋を投じている著者が、認識、存在、実践の三つの側面から、私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みる。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の哲学の入門書。認識論、存在論、実践論の3部で構成されている。

    第1章では、著者の「四肢的構造」論が解説されている。著者はまず、意識対象・意識内容・意識作用という三項図式を取る近代的認識論の枠組みの問題点を指摘し、現にあるがままの知覚風景的な場面から出発しなおすべきだと説いている。その上で著者は、知覚的現相には「個別的・直接的でレアールな所与を、それ以上のイデアールなあるものとして覚知する」という機制がそなわっていると論じる。それ以上の「あるもの」は「所識」と呼ばれ、「所与」と「所識」という二肢構造に基づいて、哲学的判断論を再構築するための道筋が簡潔に示されている。

    一方、こうした覚知をおこなう主体のほうに目を向けてみると、私たちが何らかの判断をおこなうとき、文化的・社会的に同型的な判断主体として振舞っていることが確かめられる。そのつどの個別的・具体的判断をおこなう主体は、共同主観的な主体を僭称しつつ、判断をおこなっているのである。つまりここにも、具体的・個別的でレアールな主体である「能知」と、共同主観的でイデアールな主体である「能識」という二肢構造が認められるのである。対象の側の「所与-所識」と、主体の側の「能知-能識」の連関を説くのが、著者の四肢的構造論である。

    第2章では、こうした著者自身の存在論に基づいて、従来の存在論の再検討がおこなわれる。とりわけ、世界には客観的な合法則性がそなわっているという理解がどのようにして成立したのかが論じられている。

    第3章では、本格的な実践論に向けての導入として、著者自身の役割存在論の骨子と、行為の妥当性や価値、さらに人格が、どのようにして説明されるのかが論じられている。

  • [ 内容 ]
    哲学とはなにを解明しようとする学問なのか。
    近代哲学の行きづまり状況はいかにして打破さるべきか。
    従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって独自の哲学体系を構想し各方面に波紋を投じている著者が、認識、存在、実践の三つの側面から、私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みる。

    [ 目次 ]
    緒論 哲学とは? そして本書は
    第1章 認識するとはどういうことか(意識の存立構造 判断と態度決定 真理の成立条件)
    第2章 存在するとはどういうことか(現相の存立構造 事象と因果法則 実在の成立条件)
    第3章 実践するとはどういうことか(行為の存立構造 実践と価値評価 正義の成立条件)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 1988年に出版された同書のアンコール復刊を手に取りました。本書ではまず哲学とはどういう学問なのかという著者の見解が示された後に、認識論、存在論、実践論の大きく3つのテーマが取り上げられています。ただ著者も冒頭に述べているように、1番のウェイトは最初の認識論に割かれていて、そこでは廣松氏の代名詞とも言える共同主観的な視点からの認識論が展開されています。

    その意味で本書のタイトルは「新哲学入門」となっていますが、廣松理論入門という方がふさわしい気はしました。認識論では、カメラモデルと呼ばれる知覚論、すなわち「意識対象–意識内容–意識作用」という三項図式がこれまで当たり前と思われてきましたが、著者はそれを否定し、一体化した「所与−所識」構造の中で所識がいかにして生まれるのかを共同主観という概念から解説します。たとえば広場に柵が張り巡らされていたとします。我々がその柵を見たときに、柵という「所与」だけでなく我々はそれに意味を感じ取ります。その意味は人によって千差万別であり得るのですが、その意味は一定の枠内におさまる可能性も高く、例えば「この柵は私有地との境界線でこの柵を乗り越えることは法律違反になるのかもしれない」といった「所識」です。これは現代の先進国に生きている人であれば共有している価値観であって、いわゆる共同主観になります。

    廣松氏の理論や哲学そのものにあまり触れたことがない人は著者の独特な言葉遣いなどに苦戦するかもしれませんが、それこそ頑張って読み進めて行くと、著者との「共同主観」が徐々に形成され、チンプンカンプンだった言葉遣いも徐々に理解できるようになります。認識論はとても興味深く読みましたが、存在論、実践論はやや物足りなく感じましたので星4つとしました。

  • 独特の言い回しが癖になる。
    認識観は同著者の「哲学入門一歩手前」とかぶる部分が多い。
    後半の2章、存在観と実践観が少し新鮮。
    難解そうなのに、さっぱりということはない。
    ユーモアさえ感じる。
    霊魂とかに真面目に取り組んでいるからだろうな。
    最期は、哲学者は革命家たれ的なことが書かれてあり、過激だった。

  • 読み始めた頃は、無理して難しい言葉を使っているような感じがして読みにくかった。
    中盤を過ぎると何となく慣れてくる。
    ただ、章毎に書かれきていない感じがしてもやもやが残る。

  • 配置場所:摂枚新書
    請求記号:100||H
    資料ID:58704144

  • 先に同著者の『哲学入門一歩前』を読み、この本の第1章を飛ばし第2章から終わりまでを読んだ。

  • 2011 7/4 序論と1章途中で挫折。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
    とある勉強会のために途中まで読んでいた本・・・だけど結局、欠席したこともあり今回はここでいったん置く。
    機会があればまた手に取る。
    よって評価は今回はなし。

  • 物理学を理解していない人、哲学が好きな人でなければ、決して分かりやすくない。
    廣松渉の本の中では、分かりやすい方だという趣旨で分かりやすいだけかも。

    本書と廣松渉の講談社の「哲学入門」の両方読んで、何も感じるところがなければ、他の廣松渉の本を読まない方がよいという意味で、 廣松渉入門だと思ってもいい。

    現代物理学の到達点は、物の認識を事として理解しようということだと知れば、いっきに理解が進むかもしれない。
    物理学を勉強する人が、微積分の形式だけに捉われることがないように、あるいは微積分の形式が哲学的にどういう意味があるかを知るのに読むとよいかもしれない。

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