千利休―無言の前衛 (岩波新書 新赤版 104)

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  • / ISBN・EAN: 9784004301042

感想・レビュー・書評

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  • 年末に古本屋で手に入れた本である。1990年の発行である。勅使河原宏監督の「利休」の脚本執筆を契機に書かれたらしい。24年後に読んだ。その面白さに正直ビックリした。

    赤瀬川原平は前衛芸術家らしい。「超芸術トマソン」(ちくま文庫)という著書がある。「無用なものだけど、素晴らしいもの(三振ばかりする4番バッターのゲイリー・トマソンのように)」を観察する路上観察学を立ち上げる経緯が書かれているらしい。その延長線上に誰かが言う。
    「ひょっとして、むかし、歪んだり欠けたりした茶碗をさ、利休たちが"いい"なんて言い出した気持ちと、同じなんじゃないかな」
    そんな時に奇跡的に映画の脚本の依頼が赤瀬川にやってくる。

    この前、縁あって茶室建築の企画展の図録を読んだ。一つ一つの竹の節にまで専門用語を付けた小難しい世界が茶の世界である。しかし、赤瀬川は日常の言葉で、その本質らしきモノをグイと表現する。

    ふつうはものみな成熟すれば、肥大していくのが地球上生物、及び生物組織の常態である。動物も、植物も、家族という組織も、政党も、企業も、宗教も、大学も、いずれも成熟するごとに大きくなって、また大きくなることが成熟と見なされている。
    しかし成熟即縮小という逆作用が、ICチップスを極点とする工業生産にはあるのであり、日本がそれを最も得意としている。そしてその発端が、安土桃山時代、千利休に主導された美意識に発生している。(略)
    コンパクト化というのはどこの国でも努力していることだし、組織の少数精鋭という考え方はどこの軍隊でも考慮に入れている。しかしその縮小が美意識となって、各種文化にまで達している例は、ここだけのことではないか。
    先進国では育児制限が日本よりはるかに進んで、人口増加率がゼロを割ってマイナスに入っているところがヨーロッパにはある。しかしそれは近代になって、人々が地球世界の有限の壁に突き当たってからのことである。人類社会の増大が物理的な壁を見せつけられて、もはや増大→破滅という結果を思い知らされてからの合理的努力なのである。
    おそらくその有限の壁を持つことにおいて、極東の島国日本は先進国であったのだろう。だからあの時代、西欧的増大の波に触れたとたんに、この現在を予知するかのように、縮小のベクトルを美意識として持ったのである。(71p)

    これは、もしかしてアベノミクスの果てしない資本の増大に対するカウンター政策として、未来を示唆しているのではないか、とふと思った。

    慶州の両班村に千利休の一番端の部屋に、利休的な茶室の原型があると、赤瀬川原平は発見する。もちろん証明はしていない。前衛芸術家はそんなことはしないのである。私は十二分に可能性はあると思った。

    両班村の足軽の部屋に「躙(にじ)り口」があった。そういえば、現代建築の普通の韓国の家にも玄関ドアが地面から一段上がった処にあるのが少なくない。ずっと疑問だったのだが、そうかオンドル床のためだったのだ。足軽の部屋の場合は、さらに暖房効果を高めるために小さく戸を作っている。茶室の躙り口はそのためではない。千利休の発明だと考えられている。

    韓国の日常的な飯茶碗の一つが利休の目に止まり、井戸茶碗になったのだろうと赤瀬川は言う。土だけでは無い、韓国の陶工の「よく言えば大らかな、悪く言えばいいかげんな気持ちで」作った茶碗でないとその味が出ないらしい。

    さらに言えば、足軽の部屋の中の紙張りも、茶室に活かされる。土壁の「塗り回し」である。

    さらに言えば、土壁の下の方だけ腰張りを張る。これも韓国の部屋の名残りだろう。

    韓国の紙はピッタリとは貼られない。しかしそれには理由がある。土壁は絶対に伸び縮みがある。隙間が出来る。だから、遊びを作っているわけである。
    「韓国での工作の大雑把と思われる神経の中には、そのような合理性が含まれていたわけである。」

    赤瀬川原平は「文明は西へ移動する」という説を紹介している。メソポタミアから発した文明はイギリスで栄えたあとに、アメリカに渡る。それはやがて太平洋を越える。一瞬日本を通過したあとに、赤瀬川は韓国だと書いているが、実は中国に移動しようとしているのではないか。24年後に読み、私はそう思う。しかし、それは赤瀬川の意図を越え、私の予想も検証されることなく、あと10数年後の話になるのだろう。
    2014年1月26日読了

  • 子どもの持っていた国語の問題集で取り上げられていた本で、ちらっと読んだら面白そうだったので借りてみた。
    著者の赤瀬川さんは昭和12年生まれで、2014年に亡くなっている。戦前(太平洋戦争を基準にすると)生まれの方とは思えない、軽やかで読む者を楽しませてくれる文章だ(マンガ歴史シリーズを何冊も読んだエピソードなどかなりいい)。
    茶道というと構えてしまうが、赤瀬川さん自身が素人だったので、その目線でお茶の世界に一緒に連れて行ってくれる。
    1989年に出版された本なので、バブルというか日本が絶頂期にあったんだな〜感は、言葉の端々に醸し出されているけれど。2019.2.13

  • 赤瀬川原平が野上弥生子原作の秀吉と利休を映画化する際に脚本を頼まれ日本史の基本のきの字も知らない著者が単なる歴史としてでは無く人間としての利休へと肉薄していく様を描いた作品である。
    芸術新潮で初めて拝見した日本を代表する前衛芸術家、赤瀬川原平。その特集を読むほどにどんどん興味が湧き早速その著書をと図書館で手に取ったのがこの千利休 無言の前衛
    赤瀬川が前衛芸術家ということは理解していたが果たして利休は?と言うのが読む前の正直な印象だった。利休と言えば安土桃山時代に秀吉の元に仕え、茶の湯と言う文化を作った何処と無くお堅い人という印象が強かったからだ。現代で言うとお茶は何処か畏まって決まりごとが多く肩が凝りそうなイメージもそれを助長しているかもしれない。しかし、元々あったお茶を飲むというただの行為を禅の思想に基づき、道へ、更には芸術へと昇華した点では当時最も前衛的であると言うのも頷ける。また、利休本人は常に新しい試みを模索しており自分の死後その思想或いは感覚的な部分がゴッソリと抜け落ち茶の湯が形骸化してしまうのでは無いかと考えていたほどである。そんな利休と赤瀬川原平が時を超え会合する様は実に興味深いものである。是非、原作と映画どちらも観てみたい。

  • あぁこれ学生時代に出会いたかった。そうしたらその後の学究の方向性が全然ちがうものになっていたかもしれない。

    前衛芸術が「美の思想や観念といったものをダイレクトに日常感覚につなげようとする営みである」って。そうだったのか。

    本題の利休についての考察もおもしろいが、前衛芸術とはなにかという「寄り道」部分の深い洞察力に脱帽。

    次は「超芸術トマソン」読まないと。

  • 白洲正子の男友達の会話から赤瀬川原平を知り読んだ一冊。想像に反してとても面白かった。
    映画「利久」の脚本を依頼され、前衛芸術家が自らの作品や視点と交えながら、千利休と密接な関係となる秀吉、そしてそれぞれの茶道またその時代に関して解いていく。着眼点やまとめ方、また現代に即した例え話も面白い!

    現代人の想像する利久はか細く繊細優美なイメージだが、実際は漁業組合長のようなずんぐり無骨な男性だったそう。ただお茶を点てるときは女性のように繊細で美しい所作だったそう。
    何世代も前の一休和尚を心の柱とし、禅の思想を大切にした。一休和尚のゆかりのある大徳寺の山門の金毛閣を寄進したことで、お礼とし古渓の計らいで利久木像も作られる。
    しかし秀吉の利久弾劾のいいがかりでこの木像も貼り付けにされているしまう。利久自身にぐうの音を吐かせたいのだか、面と向かっては負けてしまう。彼に対する尊敬と反発、思い入れと駄々っ子的な感情で本気か冗談かわからない秀吉の木像の張り付けというやり方らしい。
    この関係性が他の章でも面白い。


    赤瀬川原平の観察眼で世の中が見れたらこの世界はとてつもなく幸せなんだと思う。

  • (2014.11.19読了)(2005.04.30購入)
    【黒田官兵衛とその周辺】
    「利休にたずねよ」山本兼一著、を読んだついでに、読もうと思っていたら、赤瀬川さんが亡くなられたという新聞記事が目に入ったので、追悼の意味も込めて読みました。
    あとがきに「この本は資料としては何の価値もない。自分なりの利休を書いただけだが、それは利休の思想がこの世に生きているからこそ書けたのだと思う。」と書いているように、利休に興味ある人よりは、赤瀬川さんに興味がある人向きの本といえそうです。
    この本を書くきっかけは、野上弥生子著「秀吉と利休」を原作に映画の脚本を書く仕事をしたことということです。
    お蔭で、京都や堺へいったり、韓国へいったり、歴史の勉強ができたり、結構いいことがあったようです。茶室の原形は、韓国の両班村にある屋敷にある身分の低い使用人の部屋にあることを発見したとか。茶室の躙り口などはそっくりだったと。
    路上観察の話、手洗いの蛇口洗いの話、などは、面白いのですが、それが利休とどう関係するの、というところです。

    【目次】
    序 お茶の入り口
    Ⅰ 楕円の茶室
    一 利休へのルート
    二 縮小の芸術
    三 楕円の茶室
    Ⅱ 利休の足跡
    一 堺から韓国へ
    二 両班村から京都へ
    Ⅲ 利休の沈黙
    一 お茶の心
    二 利休の沈黙
    三 「私が死ぬと茶は廃れる」
    結び 他力の思想
    あとがき
    参考文献

    ●大徳寺(9頁)
    利休の建立した大徳寺の山門に、利休の木像が置かれている。利休の立体像としては唯一のものだ。
    現在ある木像は二代目で、最初の木像は秀吉の命によって京都堀河の一条戻り橋たもとで磔にされた。(12頁)
    ●一休(13頁)
    一休さんとは、応仁の乱以来荒れ果てていた大徳寺を復興した人なのだ。
    ●ハリガミ(41頁)
    ハリガミというのは駐車禁止に関するもの、犬の糞に関するもの、ゴミの出し方に関するもの、以上の三つが横綱である。
    ●利休の美意識(45頁)
    ズレたもの、歪んだもの、欠けたもの、見捨てられたもの、そういう人々の意識の外側にあって、人びとの恣意を超えて鮮やかなもの、それが彼らの美意識の先端にあったのである。
    ●懐石料理(60頁)
    懐石料理というものは、利休たちの茶の湯の世界が究められていく過程で生まれたものだ。つまりお茶を飲むために、その事前運動として料理を食べる。
    ●利休の切腹(73頁)
    切腹の理由について、昔からさまざまな理由が推察されている。利休木像の不敬、秀吉の唐御陣への批判、利休がガラクタ同様の茶器を不当な高値で売っていたという売僧としての行為、利休が茶頭としてだけでなく秀吉の側近として権力へ近づいたことへの実務官僚石田三成らの嫉妬、利休の娘を秀吉が所望したのに断ったこと、そのほかにもいくつか説はあるだろう。
    ●オリジナリティ(84頁)
    利休はいつも、人まねではない創造力、オリジナリティこそ大切なものだと説いている。
    ●井戸茶碗(136頁)
    日本の茶の湯で珍重されている井戸茶碗とは、日常の中で見捨てられた価値の蘇生したものである。
    そもそも井戸茶碗というのは、韓国ではごく日常の飯茶碗である。
    ●松の木(147頁)
    松はそれ自体が、生まれながらにアシンメトリーであり、その形態が日本人のずれや歪みを愛でる美意識を教育してきたのだろう。
    ●手洗い(179頁)
    欧米では小用のあとそう厳密に手を洗うことはない、という話を聞いた。その代り食事の前には必ずきちんと手を洗うという。日本の場合は食事の前だからといって厳密に手を洗うことはない。その代り小用のたびごとに手を洗うのである。
    ●男性(214頁)
    男性一般には遊興はあっても文化はないのだ。

    ☆関連図書(既読)
    「軍師官兵衛(一)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2013.11.30
    「軍師官兵衛(二)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.03.20
    「軍師官兵衛(三)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.07.10
    「軍師官兵衛(四)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.10.10
    「軍師の境遇」松本清張著、角川文庫、1987.07.25
    「黒田如水」吉川英治著、講談社文庫、1989.11.11
    「黒田如水」童門冬二著、小学館文庫、1999.01.01
    「信長の棺」加藤廣著、日本経済新聞社、2005.05.24
    「集中講義 織田信長」小和田哲男著、新潮文庫、2006.06.01
    「秀吉神話をくつがえす」藤田達生著、講談社現代新書、2007.09.20
    「利休にたずねよ」山本兼一著、PHP文芸文庫、2010.10.29

    著者 赤瀬川原平さん
    1937年3月27日、横浜生まれ
    子供時代は大分や名古屋で過ごした
    武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大)は中退した
    20歳ごろから無審査の読売アンデパンダン展などに絵画やゴムチューブを使った「反芸術」的な作品を出展。
    1960年、前衛美術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」の結成に参加した
    1963年、千円札模型作品を発表し、後に裁判となる
    1963年、故・高松次郎、中西夏之氏と「ハイレッド・センター」を作り、東京五輪のさなかに白衣姿で銀座の路上を清掃するパフォーマンスなどを実施した。
    1979年、尾辻克彦の筆名で発表した『肌ざわり』が中央公論新人賞を受賞
    1981年、『父が消えた』で芥川賞を受賞
    1983年、『雪野』で野間文芸新人賞を受賞
    2014年10月26日、敗血症のため死去
    画家、作家、路上観察家、エッセイスト、写真家など多彩な顔をもつ
    宮武外骨、3D写真、老人力などのブームの火付け役でもある
    ☆赤瀬川原平の本(既読)
    「桜画報大全」赤瀬川原平著、新潮文庫、1985.10.25
    「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平著、岩波新書、1990.01.22
    「猫の宇宙-向島からブータンまで-」赤瀬川原平著、中公文庫、2001.04.25
    (2014年11月19日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    利休の創出した佗び・寂びとはどのような世界なのか。冗舌な権力者・秀吉との確執の中から無言の芸術・縮む芸術を考案し、斬新な発想と柔軟な感性で桃山時代を前衛的に生きた芸術家―映画「利休」のシナリオ執筆を契機に、その精神性を現代の諸相の中に浮上させる。ジャンルを超えて活躍する著者が日本文化の秘奥に挑む超エッセイ。

  •  最近赤瀬川センセイづいちゃってるな。とうとう岩波新書まで。月に3冊ずつ発行される岩波新書、昔は今月はどれにしようかなと必ず1冊ずつは読んでいたものだ。1冊180円の頃か(いつの話だよ)。それが最近はしばらく読んでない。このブログを初めてからほぼ3年にして初めての登場では...、ということはさすがになくてちゃんとここにあった。
     それはともかく赤瀬川原平が岩波新書書いてるとはねぇというのは偏見だろうか、あるいは岩波も柔らかくなったということか。しかも千利休ときた。タイトルからしてまっとうな芸術評論かと思いきや、いやこの著者だからそうは思わないが、自由奔放な論旨展開に、おおそう来なくてはと膝をたたく。それでいて赤瀬川という人を知らずにまじめな千利休論を期待して読んだ人にも納得いくであろう評論に達しているところがなかなかすごい。まったくただものではない。
     なんといっても白眉はIII 利休の沈黙の章だろう。あまりに小市民的な新聞紙の畳み方、蛇口の洗い方、財布の紙幣の並べ方、それらがいちいちうんうんとよく理解できてめちゃおかしい。してそれだけなら読み捨てエッセイにしかならないのが、ちゃんと利休論につながっていくすごさ、いや凄さ。

  • トマソン・路上観察で有名な赤瀬川原平さんの茶の湯に関する解釈。
    利休の茶の湯が実は古典もモダンも超越した「前衛芸術」であったことがわかる。
    利休の「もてなし」へのこだわりが強く心に残っている。
    マンガ「へうげもの」と同時期に読んでいて、利休を色々な角度から見れてとても楽しめた。
    随分前に読んだので、わすれかけ。もう一度読み直したい。

  • 千利休の「茶の思想」を、「超芸術トマソン」の赤瀬川原平が、彼のいつもの言葉で平明に解き明かしていく過程には、しなやかで自由な精神のみがなしうるきもちよさがある。原平さんの思考回路が、ダイレクトに与えてくれる快感だ。

  • 千利休がこんなにも身近に感じられるのは、赤瀬川さんのキャラクターによるものかもしれない。利休の選択の基準がこの本を読んでやっとわかった。

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著者プロフィール

赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)
1937年横浜生まれ。画家。作家。路上観察学会会員。武蔵野美術学校中退。前衛芸術家、千円札事件被告、イラストレーターなどを経て、1981年『父が消えた』(尾辻(★正字)克彦の筆名で発表)で第84回芥川賞を受賞。著書に『自分の謎(★正字)』『四角形の歴史』『新解さんの謎(★謎)』『超芸術トマソン』『ゼロ発信』『老人力』『赤瀬川原平の日本美術観察隊』『名画読本〈日本画編〉どう味わうか』。また、山下裕二氏との共著に『日本美術応援団』『日本美術観光団』『京都、オトナの修学旅行』などがある。2014年逝去。

「2022年 『ふしぎなお金』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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