心病める人たち: 開かれた精神医療へ (岩波新書 新赤版 122)
- 岩波書店 (1990年5月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004301226
感想・レビュー・書評
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過去、精神病棟で行われていた恐るべき対応の真実、そこから変わることなく大きくなっていった日本の精神医療の過程などが”ひらかれた精神医療”を目指し奮闘する著者の実体験を交えて語られます。
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戦後の精神を病める人々が
社会でどの様に扱われて来たかという
昨今のメディア等では公にされなくなったと思われる問題を教えてくれた。
20年程昔の話ですがこの様な本が社会を改善して来たのだと思われます。 -
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日本の精神医療の遅れと社会の精神病者に対する差別、偏見への義憤、著者が実践する開かれた病院づくり。 -
これは私が大学2年の時に出会い「PSWになろう!」という気持ちを確固たるものにした,思い出深い著書です。
出版されたのは,もう20年も前になるので,法律の名称や,精神障がい者を取り巻く環境は大きく変わってきましたが,今でも新鮮に読める本です。私自身もPSWとしてのアイデンティティを失いかけた時,よく読み返していました。 -
職場の友だちに借りて読んだ一冊。
勤務先の精神病院についての描写もあり、興味深く読んだ。
開かれた、とは地域の人々に開かれているという意味。
確かに自分の年代であっても、昔の方が普通に生活の中で精神疾患をもつ方々と触れ合っていたと感じる。
「凶悪犯罪→精神科通院歴あり」のようなパターンが妙に目立つ近年、精神障害者が地域で受け入れられるためには困難も多いことだろう。
勤務先の病院でも、既に何十年と入院生活を続けている患者が相当数存在している。
この本が出版されて18年もの時を経ているにもかかわらず、未だ開放の現状はこの本に書かれているものと大差ない。
制度が変わっても、政治が変わっても、一度人々の心底にこびりついた偏見は根強い。
今後の医療・福祉を担っていく自分たちには決して他人事ではない課題であると思う。
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精神障害者・精神病院に関する話。
少し古いものなので、現在はどうなってるかが気になる。 -
なんだろうか、著者の文章には、深い深い人類愛がにじみ出ている。
こういった文章を目にしたのは、しばらくない。
この新書は、バブル期の日本で出版されたもので、30年近く経過している。
にもかかわらず、著者の問題意識は、何十年経った今も、輝き続けている。
おそらく、人間の本質を問題にして、日本の根本的な問題に対して、提起し、闘ったからだろう。
その問題意識とは何か?
日本では、人間は社会の主役ではない。
日本のシステムを維持するための要員でしかない。
自分がなぜ、その社会にいるのか、何をしているのか、
なぜ生きているのかも、よくわからない。
以上のことに関して、著者は闘った。
現代日本人は、言いたいことは、言えない。
言いたいことも、よくわからない。
主体性そのものが、何もない。
自らを、植民地化している。
自分の人生を、"誰かに"預けている。
日本のシステムが、個人否定全体主義で、
所属(どこを卒業したのか、どこに勤めているのか)が、
自身のアイデンティティーになっている。
引用します。
「従来の精神病棟で見られた数多くの制限や規則や禁止事項は、ほとんど廃止した。
制限や規則などというものは、精神病院では作り出したらキリがない。それらをキリもなく
作っておいて、守る方、守らせる方、双方で必死なるなんてつまらないことだ。だから私たちは、
はじめ規則も禁止も作らないでおいて、どうしても必要となった事柄だけを患者たちと
話し合って決めることにしようと思った」
この文章を見て、こう思わないだろうか。
これって、今の日本じゃないか???
そう、今の日本社会は、巨大な精神病棟になってしまった。
毎日、毎日、規則と禁止事項を作る日本社会。
あの問題に対しては、こういう規則と禁止事項を作ります。
これをエンドレスで行うようになってしまった。
それで、社会が良くなっただろうか?
住みやすくなっただろうか?
人がイキイキと暮らしているだろうか? -
読みやすい。今も社会的入院やその背景は変わっていないと思う。
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ライムスター宇多丸師匠の父上の著書。
師匠の文章の上手さは父親譲りだったのかと思うほど読みやすく良い文章。
閉ざされた精神医療を偏見の無い開かれた医療にするため奮迅した著者の様子が読める。
著者が群馬県太田市に三枚橋病院を開院したのが師匠が生まれる前年のこと。
さぞかし苦労したのだろうな。 -
精神病患者について知りたくて読書。
23年前の本。現在の日本の精神病患者を巡る状況や三枚橋病院などが氣になる。
この問題は非常に難しい。治療という名の下の隔離なのか、地域化させてフォローをしていくのか。後者が理想であることは間違いないが、当事者になってみると…、だろう。
序の章で紹介されている著者の幼少時の体験がその後の活動へ大きな影響を与えたようだ。私の世代だと聴覚などのハンディキャップがある同級生などは周辺にいたが、心病める人はいた記憶がない。
健常者、身体的なハンディキャップを持つ人、そして、心病める人たちが一緒に生活する社会こそ、社会性が身につく、それこそがノーマリゼーションだというゼミの担当教授の言葉を思い出す。
確かに現代日本では、子を持つ親は怖がって近づかせないことは容易に想像がつく。心病める人やハンディキャップを持つ人たちを排除した社会で子どもは育っている。
イタリアやアメリカなど先進国の事例が紹介されており勉強になる。食うに困るような国では彼らは生存することができない。しかし、豊かになった国では、生存することができ、それが社会問題となる。難しい。
出生前に判明すれば強制堕胎するとか、出生直後に間引きしている国も少なくないと思われる。
見た目も、普段の言動や行動も普通に見える精神が幼稚ながストーカーで突然凶行に及ぶような人間、攻撃性が強く迷惑行為を繰り返す人間たちに対して罰則が厳しくなってきている。しかし、彼らを隔離する、あるいは、処刑するなどが抑止力になっていないことは明らかだ。罰則強化よりも法を犯す前に、予防として治療させるような方向へ向かっていくのだろうか。ストーカー傾向を持つ人間は前段階で周辺が何かしら氣づくと思われるからである。
読書時間:約1時間10分
本書はバンコクのサンブックスで購入しています。