- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004301288
作品紹介・あらすじ
小説とは、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式である。しかし、短篇小説の芸道化がすすみ、魅力ある作品がますます生まれにくくなっている現在、これから小説を書こうとする人に向け、短篇小説とはどのように書かれるべきか、その手法と書き方について、岩波文庫の古典作品から厳選し、噂の「文学部唯野教授」が大上段に語る10講。
感想・レビュー・書評
-
何十年ぶりかで再読。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作家・筒井康隆氏が短編小説について思うところを論じ、氏が傑作だと思う短編小説を紹介する読書案内のような本でした。読みやすい文体で、こういう作品もあるのかと参考になりました。
-
筒井先生が常に新しいことにチャレンジしている動機みたいなのが垣間見える本。
他に何の応用もきかない短編小説を理想とする、という。
自由な形式で書くということは、作法がないとか好きなように書くというよりも、無意識に創作を規定する内在律をいかに脱し、オリジナルのものを作り上げるかということだ。
といってるんだと思う。たぶん。 -
日本の小説の世界につねに揺さぶりをかけつづけてきた著者が、海外の短編小説をとりあげて読み解くとともに、現代において短編小説がどのように書かれるべきか、あるいは読まれるべきかという問題について考察をおこなっています。なお2023年現在、増補版が刊行されているようです。
とりあげられている作品は、ディケンズ「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」、ホフマン「隅の窓」、ビアス「アウル・クリーク橋の一事件」、マーク・トウェイン「頭突き羊の物語」、ゴーリキー「二十六人の男と一人の少女」、トーマス・マン「幻滅」、ローソン「爆弾犬」の7編で、ほかにモームの短編小説観をめぐる議論が収められています。
現代の日本では短編小説の「お稽古ごと化」が進んでいると指摘する著者は、ほんらい小説とは自由な文学形式であり、本書でとりあげられている作品においても、それぞれの作者が試みた自由な文学的創作の工夫が見られることを明らかにしています。そのうえで、現代の日本において小説を書こうとするひとに向けて、これらの作品のアイディアや工夫をそのまま利用するのではなく、その自由な精神を学ぶのでなければならないと論じられます。
著者の小説観が強く反映された内容を期待していたのですが岩波文庫に収録されている古典的な作品をとりあげているためもあってか、思ったよりもオーソドックスな「講義」となっています。とはいえ、最終章のローソンの短編は、語り口もそれまでとは打って変わって、多少著者の作品をこよなく愛好する読者に向けた内容になっているようにも感じられます。 -
面白く読める書評集。増補版を入手したので処分。
-
いい塩梅の指南だと思う。気にするな、しかしやはり学びなさい。小説の面白さを話しつつすごいんだけど乗り越えてがんばれっていうスタンスが良かったと思う。答えなんて無いっていう本来の答えに気持ちを落ち着かせてくれる。
-
ディケンズ「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」
ホフマン「隅の窓」
アンブロウズ・ビアス「アウル・クリーク橋の一事件」
マーク・トウェイン「頭突き羊の物語」
ゴーリキー「二十六人の男と一人の少女」
トオマス・マン「幻滅」
ローソン「爆弾犬」 -
「短編は人生の瞬間を切り取ったようなもの」という価値観に疑問を投げ、小説というものは自由に書いていいものだという基本に戻り、あえて有名でない短編を分析していく。
-
筒井康隆先生が欧米の文豪、作家の短編をとりあげて
分析・解説している。
しごくまじめな短編の講義なので
筒井ファンは物足りないと文句言ってるだろう
ということを筒井先生はよ〜くわかっていて
ラストに紹介しているオーストラリアの作家
ローソンの「爆弾犬」はえらく面白い
スラップスティックである。
映像化してる人、いるんじゃないかな。
短編好きとして学びの気持ちで読んだが
単純に面白かった。