シュンペーター: 孤高の経済学者 (岩波新書 新赤版 273)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302735

感想・レビュー・書評

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  • シュンペーターの生い立ちから人となり、基本理念などが丁寧に解説されており、網羅的にシュンペーターを理解するのに役立つ。
    企業者を単なる経営管理者と区別し、経済成長にとってイノベーションと信用創造に特別の役割を認めた炯眼に感服する。
    好況・不況が定常状態からの平衡のズレによって説明されており、技術屋にも理解しやすい理屈だ。ただ経済学と物理学は何のアナロジーもない別物であることを改めて思い知った。

  • 5章構成。前半はシュンペーターの生い立ちと、ケインズやワルラスといった著名な学者たちとの比較。ドラマチックかつ情熱的に描かれていて、読みやすい。
    後半は理論の紹介。特にⅣ章(1)の経済理論とⅤ章の哲学とシュンペーター理論の現在、が超絶面白かった。

  • シュンペーターがその著書「経済発展の理論」の中でイノベーション(新結合)を提案してから約100年が経過した。イノベーションの概念を初めて明らかにしたということ以外は、シュンペーター自身については、あまり良く知らなかったが、この本で、シュンペーターの生涯やその理論の発展、そして彼の理論の生まれた時代背景などを知ることができた。
    経済発展にとって、イノベーションの重要性がより重視されるようになった今日では、100年前のシュンペーターの慧眼には驚かされるものがある。
    なお、ある程度経済学(または経済学史)の知識がないと理解しにくい部分がある。

  • 経済学の入門的な講義を受けると、ケインズの対比として表れるシュンペーター。彼の人生とケインズの学説との対立、彼が掲げる理論で構成されている。正直なところ、シュンペーターは資本主義は静的ではなく動的なものである、ということぐらいしか理解できなかったが、彼の人生経験と徹底的ともいえる思考があったからこそ成し得たというのがわかった。

  • シュンペーターの人生と思想をまとめた本。

    「人生」部分に半分、「思想」部分の半分のページが割り振られている。個人的にシュンペーターの思想の今日的意味を考えるために購入したが、本書はその用途にはお勧めできない。

    どうも、タイトルに「シュンペーター-孤高の経済学者-」とあるように、その思想の妥当性や意味よりも、シュンペーターという個人に焦点があたっている。20世紀初頭から終盤にかけて、彼がどのように育ったのか、彼を取り巻く環境はどのようなものだったのか、彼は何を思い、何を感じながら生きたのか、といったことはこれでもかというくらい書いてあるが、21世紀である現在の現象に彼の思想を適用してみる、というような部分は一切ない。

    本書はシュンペーターを、「政策と学問は別」とし、現実のゴタゴタした現象とは一定の距離を置き普遍的な事象に集中した人間と解釈しているので、上記のような形になったのかもしれない。いずれにせよ経済史、またはシュンペーターという個人そのものに興味がある人以外には、あまりお勧めできない。

    さておき、最後に、シュンペーターの思想をまとめると
    「新古典派は均衡状態を現実経済のベースとするが、実際の経済は均衡状態にない。常に均衡状態に向かいつつも、その過程でイノベーションが起こり、不均衡が拡大し、再び均衡状態に向かうというプロセスを断続的に繰り返すものである。イノベーションは、企業家が資源をこれまでとは全く異なる方法で繋げること、すなわち「新結合」によって、実現される。」
    となる。

    効率的市場仮説やらリアルビジネスサイクルやら、ワルラス以来の均衡理論に基づいた現代経済学がことごとく反駁され、全くとは言わないまでもあまり役に立たないところを見ると、シュンペーターの上記思想は妥当であることが分かる。
    ただし、じゃあその「新結合」ってどうやって起こすの?という部分に関して、21世紀の現代、シュンペーターの理論が役に立つことも、またない。彼の思想が、経済学よりも経営学に引き継がれているのは、これが原因だろう。

  • 【読書】オーストリアの経済学者であるシュンペーター。以前から勉強したいと思っていた経済学者。本書で指摘するシュンペーター経済学の今日的意味。経済にとって最も重要なものは、技術革新、新製品による新市場の創設、コスト低下による供給曲線のへのシフト。シュンペーターの思想を理解するには、彼が生きた時代背景を知ることが有益。しかし、自分なりに彼の思想を理解するにはさらなる経済学の知識が必要であり、もっと勉強が必要。

  • 本棚にあったので何となくパラパラと読む。シュンペーターの思想と理論をある程度理解している層向けに、その背後にあった人となりや時代のうねりを理解する本として書かれている。その辺ちんぷんかんぷんなので序盤からまったく置いてけぼりを食らった。
    ただやはりシュンペーターを語る際にはケインズが不可欠であり、ケインズとの対比によって説明されてしまうということは、つまりそういうことであり、何が言いたいかというとケインズは学者としても政治家としても20世紀の偉人だったんだなということである。

  • ュンペーターの生涯とその理論をわかりやすく解説しています。前半部分が伝記、後半部分が理論の説明とだいたい2部構成になっています。たしかに、当人の生きた状況や環境を知ったほうが理論も理解しやすくて、この構成はとても良いと思います

    シュンペーターと聞くと「イノベーション」とか「企業家」とかという言葉がすぐ思い出されて、経営学より実務よりの経済学者なのかなあ、と勝手に想像していました。でも、前半部分を読むとあまり実務的ににおいがしない。典型的な学者といった印象で、あれれ、とちょっと戸惑ってしまいました。それも、後半部分の理論を読んではっきりしました。

    シュンペーターの感心はあくまでも、経済学の本流の均衡理論の動態的研究なんですね。需要と供給が均衡して利潤ゼロ、はい、おわり。という静態的状態から、どうやって経済が発展していくのか、ということの原理を模索していた。そこで供給曲線が非連続的にシフトする原動力がイノベーションであって、イノベーションの担い手こそが企業家だということのようです。そうしたイノベーションによる供給曲線のシフトが景気循環をも生み出すことになる。なるほど、イノベーション・企業家と景気循環とがイメージの中ではつながらなかったのだけど、実は非常にシンプルでかつ密接な関係だったのか。

    途中、マルクス経済学との関係のあたりはあまりよくわからなかったのですが、イノベーション、企業家、景気循環とった主要な言葉の意味するところは、なんとなくわかったかなーと。いや、わかったとはいわないまでも、いままでのおかしなイメージが払拭されただけでも大収穫でした。

  • 著しく遅読な私であるが、この本は二日で読みきることができた。
    先ずなにより、シュンペーターは、ケインズのような「政策論」を著しく嫌ったようである。それは彼の著書の中にも現れている。彼は「政策」と「学問」は別であると、いつも豪語していた。

    彼はワルラスを敬愛していたとよく伝えられるが、敬愛すると同時に、失望もしていた。彼の均衡理論は極めて「静学的」であったため、シュンペーターは経済学において常に「動学」を重要視していたことからも、ワルラスの均衡理論はその殻をぶち壊すものであった。彼は起業家の「新結合」が資本主義を発展させると考えていた。

    また彼はホブソンやレーニン、ヒルファディングと同様、帝国主義にも言及をしていた。シュンペーターはドイツの「前近代性」や「後進性」に焦点を当て「健全な資本主義の元では帝国主義は起こりにくい」と考えており、それがレーニンやヒルファディングの考えるものとは違う、と考えた。
    しかしながら、宇野理論は正しくこの通りなのである。帝国主義段階は、「自己を純粋化させる方向ではない。」としているし、シュンペーターは「本来ならば、自由経済を志向する者たちは、帝国主義的政策を希望しない。」としている。勿論関税その他の規制は、直接的に恩恵を受ける企業しかうるおわない。これは宇野理論でも、「市場とは別に価格が設定されるから、利潤は極大化される。」としている。これはシュンペーターの予言通りではなかろうか。

    シュンペーターは常に「冷静な観察者」足りえた。彼の理論はマルクスのそれと似通っているところが少なくないが、マルクスも資本主義を仔細に研究した。そこに同根性を見出すのに、興味がわくところである。

  • 20世紀最大の経済学者と言われるケインズと同じ時代を駆け抜けたシュンペーター伝。「不況はお湿り」と喝破し、技術革新というイノベーション(新結合)による正常な適応過程ととらえた。資本主義が資本主義たらしめているものは「企業者の新結合の遂行」と答えた。
    古典派経済学者のみならずケインズも「静態的経済学」を重視したのに対してシュンペーターは「動態経済学」を重視する。これは彼がオーストリア学派のワルラスから受けた影響が色濃いものである。
    ケインズが登場するまでの経済学者マーシャルが「経済は樹木のようにゆっくりと成長する」としたのに対して、真っ向から反対をしたのもシュンペーターである。彼はマーシャルの理論を外的要因の攪乱にさらされているが、一定速度で連続的に進行する。シュンペーターのイノベーションは「生産的諸力の結合の変化」という定義が存在し、五つに分けている。
    すなわち新しい財貨の生産、新しい生産方法、新しい販路の開拓、原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得、独占の打破に見られる新しい組織の実現 である。

    しかし、一度創造された企業をたんに循環的に経営していくようになると企業者としての性格を失うと考えており、真の企業者(現在のようなものではなく、19世紀後半の資本家階級であり、個人が存在し、時代の変革をもたらす成功をする)は発展においてのみ現れるというのである。この考え方は「動態利潤説」と呼ばれている。
    シュンペーターはこれ以上利潤が生まれない一般均衡理論の状態において、技術革新が発揮され、新製品が登場すれば新たな利潤が発生する。それをみた他社が同じように新技術を導入するようになる。この過程において新技術を導入しなかった企業は撤退に迫られる。この新技術が多くの企業に導入されると新製品の価格は下落し、好況は不況に向かうと考えたが、その不況の時こそが新技術導入の成功の果実を得られる時と考えたのである。そして再び新技術が登場することによって好況へ向かうであろう、シュンペーターはそのように捉えた。

    しかし、「現実にはイノベーションは単に古いものから取って代わるのではなく、平行して現れるため、必要とする生産手段を何らかの旧結合から奪い取ってこなければならない」とする。シュンペーターは人口増加や貯蓄の増加は発展を説明しないと考えたが、これは数量の変化ではなく生産手段の転用を重視したのである。そして、生産手段の転用は銀行の信用創造にあると考えたのである。つまり銀行家こそ「真の資本家」であり、資本家の所得である利子はイノベーションに成功した企業者が獲得した利潤から支払われるとかんがえる。この意味で利子もまた動態的現象なのである。

    資本主義社会において”不況は適当なお湿り”と発言したシュンペーターであるが、その一方で”資本主義は成功するがゆえに崩壊する”と述べている。その理由を
    ①実業者階級の成功が全ての階級に対して新しい生活水準を実現し、逆に実業者階級の社会的・政治的地位を崩してしまう
    ②資本主義的な活動が合理的な地位を広めたために、生産工場内の忠誠心・上下の命令服従関係が破壊され、リーダーシップが有効に働かなくなった
    ③実業者階級が工場やオフィスの仕事に専念することが敵対的な政治上の制度や知識階級を出現させる
    ④結果として不平等と家族財産の文明は世論に対してのみならず、資本家階層に対しても支配を失おうとしている
    というものである。
    ①については、今でこそ大企業が経済を大きく占めているが、19世紀の後半ではまだまだ小規模企業が大多数である。しかし、技術革新を繰り返していくにつれて企業規模は拡大し、次第に独占・寡占に向かってゆく。こうした企業の形の変化は技術革新を常に必要とし、それは個人の力から離れてゆくと見たのである。端的に言うと企業が恣意性を排除した官僚的な性質を帯び始めると考えたのかもしれない。
    ②は資本主義といえども政治的には無力であり、誰かに守ってもらわなければならない。しかし19世紀の社会において資本主義が発展し、企業が巨大化すると合理性というものが頭をもたげるために、旧来の貴族に代表される金持ち(ブルジョアジー)による支援という枠組みが非合理的なために崩壊してゆくというものである。

    このようにシュンペーターは経済学を展開しながらも拡大してゆく資本主義に対して、これまでの革新が個人の手から離れて暴走するかもしれない世界に一種の警鐘を鳴らしていたのかもしれない。

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