心の病理を考える (岩波新書)

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著者 : 木村敏
  • 岩波書店 (1994年11月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004303596

心の病理を考える (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 難しいかなって読み始めはすこしゆっくりだったけど、返却期限もあって読み進めたらどんどん入り込んでいってしまった。
    大分ヘビーだったけど、言っていることはわかりやすいし、おもしろい。それまでの著作が多くひかれていて、木村敏の心への考え方がある程度まとまって記されているのかなと感じた。その一端をつかめた感じ。他の著作も読み進めて生きたい。
    癲癇/分裂病/鬱病の時間についてはそれまでに聞いたことがあって、理解できたしおもしろかった。

    分裂病は「あいだ」(生物体と環境との接触面・境界面であり、生きるという行為の行われる場所)の病理だという結論に到達するまでに、人間の生に関する考察が多岐に渡り行われており、自分の生についても考えられたし、なんだかすっきりした。(こういう捉え方もあるのねーってかんじ)

    人間の進化についての論及、「モノ」と「コト」についての議論は難しくて未消化な部分あり。「コト」だけが感じられない時の例は適切なのだろうか・・・。
    左脳の発達により、自己意識と言語機能を得た人間は生きる主体である身体を疎外してしまう。もっと動物(遺伝子運搬装置)としての面を意識してもいいのかもしれないな。
    分裂病については実際の症例が浮かびづらかったので、もっと現実的なところを学んでからもう一度読み直してみたい。

    わからなかったところ
    P148 間主体性の根拠についての考察がなされず、共通の実感として示されている。これはこれでいいが、そのあとに自分たちが連綿たる生命現象の中の一部であることが示されているので、それじゃ生きとし生けるものすべてとの間に間主体性が発揮されるのかなと感じる。もちろんそういう経験もなくはないが、主観が他の主観を認識できるということと間主体性があることとはすこしずれたことなのかなと感じられる。
    →P154…他人の身体が生きていることは、本能的に・直感的に了解される
    人間(自分と同じ種)の形をしていることは前提である。
    →外国人や異世代の人を前にした時には、一定の関係性をつくらなくては間主体性は働かないということ??

  • 内容ほぼ忘れた。

  • なんかめっちゃ哲学的なんだけどー。
    哲学って暇な人がやる学問というネガティブなイメージが先行しちゃって飛ばし読みしてしまった。

  • この筆者の著作の中では平易な内容のほうなのだろうけれど、あいかわらずあまりにも一般的に使われることのすくない術語を多用されるので、はっきりいって、了解困難。そして、この本を読んで幸せな気持ちになる人もいないと思う。

  • 木村敏の考えたことが自伝以上によくまとまっているのではないかと思う。講演みたいな感じで少し詳しく取り上げているという感じ。
    ヴァイツゼッカーや西田幾多郎など人名へのレファレンスが多くて、立ち位置を掴みやすい。
    生命論や進化論には少しついていけない面もあったが、現象学的精神病理学は手に馴染んでいて分かりやすく説得力があったという印象。
    引き続き折にふれて読んでいきたい。

  • 難しくて・・・

  • この前後にドストエフスキーの罪と罰を読めば、落ちる可能性大な一冊。気分が落ちてる時は読まないように。

  • 著者自身の精神病理学の変遷をたどった本。

    精神病理学の方法には、自然科学的アプローチと、人間の「生き方」に定位して精神病理の現象を考察する現象学的アプローチの二つがある。ただし前者が圧倒的な多数派であり、著者自身の立場でもある後者の方法を採る学者はきわめて少ない。だが、科学主義、客観主義のもつ限界を指摘する役割を果たす現象学的アプローチは、けっしてなくなってはならないと著者は主張している。

    著者はまず、現象学的精神病理学の歴史の概観をおこなっている。フッサールの現象学に基づいて患者の意識内容の厳密な記述をめざしたヤスパースのあと、ハイデガー哲学に依拠するビンスワンガーとM・ボス、ベルクソンに依拠するミンコフスキーといった実存分析の立場が現われる。著者も彼らに近い立場に立って、ハイデガーや西田幾多郎の哲学の影響の下に独自の精神病理学的考察を展開した。

    その後、生物がたえず環境との緊張関係を乗り越えつつ、両者の相即関係を維持し続けているという洞察に基づいて、生命一般の「主体」を根幹に据えたヴァイツゼッカーの医学的人間学が登場し、彼の影響の下にテレンバッハやブランケンブルクらの注目すべき研究が続いた。そして著者もまた、実存主義的な立場から生命論的な立場へと理論的な深化を遂げることになる。

    著者は、「ゾーエー」(zoé)としての生命と「ビオス」(bios)としての生命を区別する。「ビオス」は個体の有限の生命である。そして、個々の「ビオス」を実現させる連続する生命が「ゾーエー」と呼ばれる。著者は「ビオス」をニーチェの「アポロン的原理」に、「ゾーエー」を「ディオニュソス的原理」になぞらえている。著者は、両者の「あいだ」ないし「裂隙」が、私たちの主体によって生きられるアクチュアリティを生み出すと考える。この「裂隙」が生み出すアクチュアリティの病が、「種の一員としての個体」と「個としての個体」との「裂隙」を自然な仕方で処理することを妨げるとき、統合失調症の症状が生じる。これが、著者の生命論的な精神病理学の到達点である。

  • 全部読んでいないのだけど最初からすごくおもしろい。以下メモ。

    認識にはトピカとクリティカがある。トピカは世界の全体を捉える方法であって、クリティカは部分を分析的に見る方法である。統合失調症の患者はトピカが「健常人」とずれる。その人に向かって、クリティカに訴えるように説得するのは無意味である。

    ドパミンD2受容体の亢進は統合失調症と平行して起きる現象ではあっても、原因などではない。

    原因は何かといえば、それはそうならなければ生きづらいということに尽きる。つまり、むやみに薬などで症状を抑えてしまうのは時には暴力的ですらある、と。

    なるほど、確かに、人間はトピカによる認識が大きいような気がする。無意識的な働きによる認識というのと対応できるだろうか?続きを読まなければ!

  • 木村敏の時間と自己の続編?
    より分かりやすく書かれていて、しかも新しいところが追加されてるみたいだった。ちくまから出ている論文を読んでみようかな。

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心の病理を考える (岩波新書)の作品紹介

心を病むとはどういうことか。精神分裂病者に共通して感じられる独特の不自然さの意味を解明すべく、フロイト以来の精神病理学をたどり、「間」「主体性」「時間」等の概念を駆使して、現象学的に精神病理を捉える。心と身体、生命論と精神病理、進化論と人間の存在との関係など、長年の思索と研究の成果を分りやすく語り、分裂病の本質に迫る。

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