- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004304456
感想・レビュー・書評
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現代史と言いながらも、この本が出版されてからもう20年以上たっている。
しかしこれ以上最近の本があまり出版されていないようだし、今でもよく読まれているこの本で、少しでもユーゴスラヴィアだった国の勉強をしようと思う。
ヨーロッパの火薬庫と言われるバルカン半島にあったユーゴスラヴィア。
いくつもの民族が混在し、いくつもの宗教がそこにあり、それぞれの歴史を抱えていた。
人口が多いのはセルビア人とクロアチア人。
なので最初のユーゴスラヴィアは、セルビア人がリードしていた。
ヨーロッパの列強の都合でくっついたり分割されたりしていたこの地域の人たちは、とりあえずまとまって、社会主義国家となった。
ほかの東欧諸国とは違って、ソ連型ではない社会主義を選んだユーゴは、ソ連の影響を受けることなく、大国と同盟を組むこともなかった。
ソ連型ではないというのは、経済を国家が管理するのではなく、国民(労働者)が経済を自主管理する社会主義システム。
これは、ソ連型と違って、実はとてもうまくいった。
うまく行き過ぎて、経済発展したスロヴェニアやクロアチアが、独立を主張したのだ。
本来社会主義の国は、豊かなところも貧しいところも平らに均して富を分配するはずの物。
だけど、貧しいところに自分たちの富を分配したくないのが人の常。
独立して豊かな暮らしを求めるスロヴェニアやクロアチアと、置いてきぼりにされるマケドニアやモンテネグロの間でバランスをとろうとしたのが、セルビアだったのだが。
宗教的にも使用する文字的にもソ連に近いセルビア人だが、非ソ連型の社会主義を選択していたためソ連の保護はない。
カトリックの国やムスリムを支えるヨーロッパ諸国は、問題のすべての責任をセルビアのせいにする。
民族主義を盾にセルビア攻撃を主張するドイツ。
じっくり解決の道筋を探そうとしていたイギリス、フランス。
早期解決のために空爆を急ぐアメリカ。
まあ、大国の論理はいいよ。誰かを悪者にする理由なんていくらでも付けられるんだから。
でも、それまで多民族国家として、多様な文化背景を持った多様な人たちが分断されてしまったこと。
家族が、友人が分断され、殺し合いをするということ。
これはどう理屈をつけても納得できないだろう。
同じ民族、同じ宗教、同じ文化を持った人とでなければ同じ国民になれないのだとしたら、その国はなんと窮屈なことか。
人が作った国境にどれだけ意味があるというのか。
目の前にいる大切な人との間に引かれた見えない線。
国が分裂してしまうのはしょうがないとしても、何とか憎しみの連鎖を断ち切って、平和な国土を取り戻してほしいと強く思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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漫画『石の花』とともに読むのがおすすめ
(『世界史読書案内』津野田興一 著 で紹介)
・1941年から45年のユーゴスラヴィア。複合多民族国家の典型ともいえるこの国は、WW1か大戦後の民族自決原則の適用を受け、南のスラヴ族の寄せ集めとして誕生した。スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人など。「七つの国境線、六つの共和国、5つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と揶揄される、世界に類を見ない複雑な構成を持つ国。社会主義国でありながら自主管理をおこなってソ連に対する独自路線を貫き、非同盟諸国のリーダーでもああった国。ここからは、「国家とは何か」「民族とは何か」「社会主義とは何か」「宗教と国家の関わりについて」など、様々な問題のケーススタディを導くことができる。
(『石の花』の紹介)
民族、国家、宗教、言語……。独自の社会主義連邦の道を歩んできたユーゴの解体から三〇年。暴力と憎悪の連鎖が引き起こしたあの紛争は、いまだ過ぎ去らぬ重い歴史として、私たちの前に立ちはだかっている。内戦終結から現在にいたる各国の動向や、新たな秩序構築のための模索などについて大幅に加筆。ロングセラーの全面改訂版。 -
数年前に新婚旅行でクロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪れる前に、予習として読んだ本を再読。
火薬庫、というのは外部の人間だとすれば、セルビアを悪玉と決めつけるのも外部の人間である。 -
「今はもうどこにも存在しない国」というのが何となく魅力的に思えて、その複雑さを少しでも紐解いてより理解を深めたいと思ってこの本を手に取ったんだけど、激ムズ〜。
どこの国でいつ誰が何を理由に何をしたというまさに5Wが入り混じっていてめちゃくちゃ私の小さな脳みその理解を阻んだ。
「国民性」とか「民族性」とかって何なんだろうなとは思うようになったかもしれない。例えばLGBTなんかを含めて、性別に関してはかなり自由が認められつつある社会になっていると思うけど(なっていてくれ)、民族に関してはそういう自由は未だない。「日本に生まれたんだから日本人だろ、日本語もしゃべってるし」。日本に限って言えば確かに海に囲まれいて国境も分かりやすいし、同じ文字体系を使用しているし、そこまでの問題にはならなかった。しかしユーゴスラヴィアはそうではなかった。
もちろん日本にも色々な民族がいて、人によっては話す言葉もまるで違っていて、そう簡単に括ってしまうのがあんまり良くないなとも思っていて───。
ぶっちゃけ正解をまだ誰も知らないこと、っていうこは世界には意外とたくさんあって、この本に書かれていることもそのうちの一つなんだと思う。誰もが早くその正解が見つかることを望んでいるのに、そう簡単にはことは進まなくて。
でもそんないっぱいある問題を、こうやって考えている、という姿勢を、これからも保ち続けられるといいな。 -
対立や分裂は、最初から歴史的背景や民族性が原因というより、政治状況や経済格差が、より民族意識を強固にしてしまうことで生まれるのかな…と読んだ。
複雑で把握しきれなかったところが多い。本当に知らないことばかりだった。 -
ユーゴスラヴィアという国は、自分が生まれた時にはすでに少しずつ国々の独立により解体し始めていた時期であり、物心がついた頃にはすでに存在しない国だった。
だからこそ気になって読み始めたが、本の内容が濃く、自分の予想以上にユーゴスラヴィアを取り巻いていた環境が複雑すぎて、理解に時間がかかりながら読みきった。
6つの共和国、5つの民族、4つの言語などなど、一期間だけといえど、ユーゴスラヴィアという1つの国として存在出来ていたことが読めば読むほど衝撃であった。
日本から想像のつかない事実を読むことは非常に興味深かった。 -
ユーゴスラヴィアは東欧にある、いや、あった国だ。
ユーラシア大陸の文化圏が重なるような地域で、
ややこしい地域だという知識しかない。
この新書は19世紀からのその国の揺れ動きを丁寧に追ってくれている。
これは一重に読者の力量不足ではあるが、
正直読んでも何かが分かるという程分からず
「やはりややこしい」という認識にはなる。
大きな帝国のせめぎ合いよりも
むしろ前景にはセルビア人、クロアチア人、ムスリムの3つの
アイデンティティのもつれ合いがある。
はっきり言ってこれを簡略に示すということは
歴史を無視するようなものだろう。
ただ一つ読み終えて気づくのは
タイトルに著者の気持ちがあることだ。
すでに存在しない国名を掲げることで
儚くも確かにあった共存の面影を残そうとしているのだ。
ただの無念さではない。歴史は過去のものだが今を生きる人間が読むものだ。
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クロアチアの歴史教科書が、統一国家の建国によってクロアチアの「国家性」を奪われたとしているのは特徴的である。(p.62)
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国家性の剥奪というのはそれほど特異なケースではないだろう。
ただ、国家性が必要不可欠であるかは外野からは常に疑問が提示されてしかるべきだろう。
この熱の差異も余計に関わりが難しい。国民国家とは難儀な発明だ。
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この「ユーゴスラヴィア人」という民族概念は、自主管理社会主義体制のもとで既存の民族を越える新たなユーゴ統合の概念として、共産主義者同盟によって提案され、導入された。旧ソ連における「ソ連人」と同様の概念であった。(p.163)
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国民のアイデンティティから積み上げて国家になるパターンはおそらくもっとも現代的なものだ。
むしろ、国から枠組みを作ってそこの中にいる人間を抱え込んで命名する方が古い。
そのバリエーションとして主権者による主権者の自己規定がモダンなんだろう。
極めて近代的である。自由・平和・愛どれも古くなってしまった。 -
●帯に「結合と分裂の全過程」とあるように、ユーゴスラヴィアの諸地域がいかなる過程を経て、現在に知られるような状況になっていったかを事細かに叙述した本。
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ユーゴスラビア現代史との表題だが、1800年代からの歴史が描かれている。ただ人名・地名に馴染みがなくすんなり理解するのは難しかった。
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2018年7月21日に紹介されました!