南京事件 (岩波新書)

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著者 : 笠原十九司
  • 岩波書店 (1997年11月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004305309

南京事件 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 読まなくちゃいけないんだろうな、と思いながら読んで、やっぱり気分が悪くなった。

    第二次世界大戦での日本の戦死者数は軍民合わせて310万人だそうだ。一方、中国は1000万人以上。フィリピン、シンガポール、インドネシア、ベトナムなどのアジア諸国を加えればその数はさらに跳ね上がる。しかも国土が戦場になったこれらの国では、民間人の死者が軍人よりずっと多い。彼ら、彼女らはこうして殺されていったのだ。どんなに悲しく、無念だったろう。

    彼らを殺したのはぼくらの祖父たちだ。どうしてそんなことができたのか、ぼくにはわからない。わからないからなおさら恐ろしい。あの時代、あの世界に生まれていたら、ぼくも彼らと同じように殺したのだろうか? 

    怖いからこそ読まなければ、と思う。ぼくひとりの力は限りなく小さい。でもこの時代に生まれ、本を読んだぼくは、殺さない。それだけが頼りだ。

  • 南京事件について全く知らなかったので読んでみた。
    陰鬱な気分になる記述がたくさんある。特に私は女なので、女たちの受けた凄惨な被害を知ってショックだった。

    日本軍のもともと持っていた性質が、幾つかの条件により増幅されて、南京事件に至ったんだなと思った。
    「行き当たりばったりな計画」「兵隊を酷使して疲弊させるトップ」「中国人への蔑視」といった要因があった。

    条件が揃えば、人間はどこまでも残虐になれると思った。
    だからこそ、事件を反省して、二度と同じ状況が生まれないようにしないといけない。
    そのためにも、この本を多くの人が読んで、南京事件について知って欲しいと思った。

  • 1997年刊。◆宇都宮大学教授たる著者が、南京事件(第二次上海事変を含む)を、多数の引用文献を利用して論じたもの。著者の書籍や引用文献は幾つかは既読で、その意味で新味に欠けた。が、丁寧な叙述と読みやすさはお勧めできる。また、南京事件の実相以外にも興味深い事実がある(暗澹となる事実でもある)。①日本軍の補給・兵站の軽視(補給部隊が到着せずに南京進撃をごり押しした松井石根)。②山本五十六が南京渡洋爆撃を新型爆撃機の実験場とし、航空機予算獲得の方途とした点。③南京事件の現場フィルムを毎日放送でかつて放映した点。
    ④軍事を外交の延長と思わず、メディアの威力も軽視した軍人のありよう(南京占領時に外国人記者が活動していたことを放置。にもかかわらず、皇族の南京入城をスムーズに進めるためだけに残兵掃討を続け、海外世論を味方につけることに失敗した点。こんな方法は上部層の自己保身と名誉欲以外の何者でもない)。⑤駐華独大使トラウマン和平工作を日本側から進めておきながら、突然踵を返すかのごとく前言を撤回する日本の外交策の拙劣さと、これに加担した近衛首相と広田外相(広田の責任は軽いとの意見を見られるが、本書からはそうは思えない)。

  • 本書の目的意識は、南京事件の個々の目撃例は「木」であり全体像の「森」は目撃できていないというところからスタートしている。「歴史学研究の方法」によって「木」を検証しながら総合的に「森」を明らかにしようとするものであり、「本書では、東京裁判や南京軍事法廷の「判決文」とは異なる「歴史書」として、南京事件の原因と経過およびその全体像の叙述を試みる」と「序」で述べられている。


    ここからは南京事件が起きた原因・要因を本文中から挙げていきたい。

    ・海軍航空隊南京渡洋爆撃の成功(南京占領・南京事件の素地という歴史的位置づけ、海軍による事変拡大の責任)。
    ・松井石根上海派遣軍(のち中支那方面軍)司令官の越権行為をしてまでも南京を攻略するという野心。
    ・「支那膺懲」のための戦争であるという国民意識。
    ・拡大派の一撃論のような強硬論が支配的になる。
    ・中支那方面軍は一時統一指揮するものとされ一般の方面軍が有するような部門を持たなかった(軍法会議により軍刑法違反を取り締まる部門や軍隊の軍紀風紀を取り締まる部門もなかった)。
    ・武藤章中支那方面軍参謀副長の野心(独断専行で南京攻略戦を発動する方針であるとまで述べ、参謀本部に追認させる自信もあった)。
    ・上海全域を制圧後、上海派遣軍の士気低下、軍紀の弛緩、不法行為の激発(参謀本部はこのような上海派遣軍を南京攻略へ駆り立てれば、軍紀を逸脱した不法行為・残虐行為が激発する可能性を懸念)。
    ・拡大派の下村定参謀本部第一部長が御前会議にて独断で南京攻撃を示唆(反対がなかったという意味で既成事実づくりに成功)。
    ・下村作戦部長と中支那方面軍司令部とがぐるになって、参謀本部命令と命令系統を無視して南京攻略作戦を「下剋上」的に進めた。
    ・「南京一番乗り」と称される、疲弊した上海派遣軍を挑発して第10軍と争わせ、第16師団を南京進撃へけしかける、武藤参謀副長らが採用した手段(特に第16師団の場合は、華北以来の恵まれない経緯、武藤による挑発で南京進撃へ駆り立てられたことのフラストレーションなどが中国軍民に対する敵愾心のかたちで爆発)。
    ・上海派遣軍の兵站の弱さ、「南京一番乗り」の煽り(糧秣の現地調達主義)。
    ・中支那方面軍の妻子を残しての予備・後備役兵の不満、憤り(上海戦で帰れると思いきや南京攻略戦に駆り立てられた。不満のはけ口としての性的暴行は黙認)。
    ・仲間の犠牲がふえるに比例して中国人にたいする復讐心、敵愾心も強まったことも手伝って、残虐行為に慣れ、民衆に危害を加えることを躊躇しなくなっていた。
    ・波状進軍による被害。
    ・南京城複廊陣地と城内には、司令部と上級指揮官を失い防衛軍の指揮系統が崩壊した十数万の将兵、雑兵、軍夫が日本軍の攻囲下に残された。
    ・徹底的な「残的掃蕩」(いっぱんの青壮年男子を敗残兵とみて「掃蕩」の対象とする。中支那方面軍司令部の「注意事項」を無視した命令)。
    ・12月17日に入城式を挙行するため、過酷な「残的大掃蕩作戦」が展開された(ゲリラ活動により皇軍の威信が損なわれないように。上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦王(皇族)の身に不祥事が起きないように)。
    ・「兵民分離」の名による中国人成年男子の集団虐殺。


    南京事件の定義としては「南京大虐殺事件、略称としての南京事件は、日本の陸軍ならびに海軍が、南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民にたいしておこなった、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体のことをいう」としている。

    「南京に向かう進撃戦の全過程は、すでに上海戦の段階で顕著になっていたさまざまな不法行為がより大規模な形で拡大される過程であり、南京事件の直接の前史をなす道程であった」と南京追撃戦を位置づけている。

    小括としては「結局は、陸軍中央部内で「下剋上」的に主導権を掌握しようとした拡大派の党派心と、南京占領=中国の屈伏の殊勲者という時代錯誤的な功名心にかられた中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の上級指揮官たちの野心とが相乗して、正式な命令のないままに南京攻略戦が強行された」とされている。

    南京大虐殺論争については「学問的にはすでに結着がつき、政治的な意図から南京事件の事実を否定しようとする一部の人たちを除けば、歴史事実そのものは否定できなくなった。」「今後の日本国民に求められているのは、センセーショナルな論争から脱却して、歴史事実とその全体像を冷静に認識していくことであるように思う」と「結びにかえて」で述べている。


    著者によると、「以下に記す「南京城の攻略および入城に関する注意事項」が徹底、遵守されていれば、南京事件は起こらなかったはずである」としている。

    一 皇軍が外国の首都に入城するは有史いらいの盛事にして、永く竹帛(歴史書)に垂るべき事績たりと世界のひとしく注目しある大事件なるに鑑み、正々堂々、将来の模範たるべき心組をもって各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為など絶対に無からしむを要す。
    一 部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、支那軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ、苟も名誉を毀損するがごとき行為の絶無を期するを要す。
    一 入城部隊は、師団長がとくに選抜せるものにして、あらかじめ注意事項、とくに城内外国権益の位置等を徹底せしめ、絶対に過誤なきを期し、要すれば歩哨を配置す。
    一 掠奪行為をなし、また不注意といえども火を失するものは、厳罰に処す。
    軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入城せしめ、不法行為を摘発せしむ。


    秦郁彦版『南京事件』ではほぼ記されていなかった海軍の行動・責任にも触れており、南京渡洋爆撃は戦時国際法違反だったと断罪する。南京渡洋爆撃は南京事件に至る残虐行為のスタートであった。
    拡大派が勢いを増し、中央も追認せざるを得ない形となり、下剋上の風潮がまかりとおるようになった。また、現地では先に挙げたような重層的な要因が重なり、南京事件へとつながっていく。つまり、南京事件は偶然の産物ではなかったということだ。しかし、「しっかりした指揮官のいる部隊は非戦闘員は殺害しないという軍律を守っていた」との記述もあり、全ての部隊が乱れていた訳でないということがわかった。
    日本・中国両国、その他の豊富な史料を使い、「序」で述べていた通り「歴史学研究の方法」に則ってわかりやすく執筆したことがうかがえる著作であった。犠牲者数についても、正確には確定できなくとも、できうる限り史料を使って実態に近づこうとする意図が見て取れる。「正確な総数が確定できないから南京事件は「まぼろし」であるということにはならない」という言葉が、著者の研究を通してみると説得力を感じる。

  • とかく虐殺人数の多寡が云々されがちだが、実証資料に基づいた残虐行為の数々を知るにつけ、被害者の総数が少なければ問題ないとでも言わんばかりの論調の空虚さを知る。
    生命という不可逆的なものを犠牲にする行為は、いかなる意味においても許されない。
    略奪、強姦といった行為を軍法で禁じていたはずの日本軍が犯した愚行。深く反省すべき時。

  • 勉強不足なのでほかにも南京事件に関する本を読まないと。

  • [ 内容 ]
    本書は、南京事件においての攻略戦の発端から説きおこし、外国人記録を含めた史料群を博捜し分析して、その全体像を描き出していく。

    [ 目次 ]
    何がどう裁かれたのか―東京裁判と南京軍事法廷
    南京渡洋爆撃の衝撃
    上海派遣軍、独断で南京へ向かう
    近郊農村で何が起きたか―波状進軍がもたらした被害
    南京陥落―徹底した包囲殲滅戦
    「残敵掃蕩」の実相―南京難民区国際委員会の記録
    事件の全貌、そして国際的影響を考える
    結びにかえて―いま問われているのは何か

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 4004305306 248p 1997・12・24 3刷

  • 教科書裁判への関与をきっかけに南京事件に
    取り組むこととなった笠原十九司が史料検証に基づいて
    書いた一作。事件60周年にあたる1997年発行。

    南京事件が気になった時に最初に手にした
    本でしたが、なかなか読む気になりませんでした。
    今回、南京に行くにあたって、本棚から取り出して
    読みました。

    上海/杭州上陸から南京攻略、そして「南京大虐殺」までを
    日記や証言を基にした史料をたどり、検証していきます。
    これを読みながら、上海から南京へ進んだわけですが、
    この江蘇省の大地を同じように日本軍が進んで行ったんだなと
    ちょっとした感慨も。

    これを読みながら南京に行ったので、記念館の
    展示も、ああ、このことねと理解しやすかったです。

    惜しむらくは、この本が出されてからの10年間で、
    相互の言い合いは続いているものの、
    新しい事実の解明だったり、共通認識の構築には
    全然至っていないということ。
    去年、「南京!南京!」という映画が公開されて、
    虐殺に関与した日本兵からの視点での取り上げられ
    方がされて、ただの「鬼子」ではなく、苦悩する日本兵の
    姿も話題になって、一石は投じられたけど。

    やっぱり今となっては、新事実の解明なんて
    難しいのかもしれないですね。
    双方の空白の時間もあり、客観的な証拠が
    もう残ってないでしょうし。

    とはいえ、簡単に読める新書ですので、
    事件が気になる方は、まず読んでみることを
    お勧めします。

    http://teddy.blog.so-net.ne.jp/2010-08-04

  • (2006.06.07読了)(2006.04.22購入)
    日中間で、日中戦争のことが語られる際、南京大虐殺の問題です。あったとかなかったとか、あったかもしれないけど20万人は過大すぎるとか。虐殺の証拠写真として掲示してある写真が南京のものじゃないとか。
    本を一つ読んだら分かるということでもないけど、いつまでも敬遠しているわけにも行かないだろうというところです。
    本屋で、この本を見たとき、題名が南京事件だったので、すぐには南京大虐殺の問題を扱ったものとは気が付きませんでした。
    「南京大虐殺事件、略称としての南京事件は、日本の陸軍並びに海軍が、南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民に対して行った、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体のことをいう。」(214頁)

    ●東京裁判判決(1948年11月13日) (10頁)
    1937年12月13日の朝、日本兵は市内に群がって様々な残虐行為を犯した。
    日本側が市を占領した最初の2,3日の間に、少なくとも1万2000人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。
    占領後の最初の1ヶ月に、約2万の強姦事件が市内に発生した。
    後日の見積りによれば、日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。これらの見積りが誇張でない事は、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が15万5000に及んだ事実によって証明されている。
    ●歴史では(13頁)
    東京裁判の判決文は犯罪の「事実認定」と刑罰の「軽重認定」であって、歴史学的に事件の全体像を解明したものではない。
    ●零戦とは(26頁)
    世界的にも有名になった零戦(零式艦上戦闘機)は、1940年=皇紀紀元2600年に開発されたゆえの命名である。
    ●南京空襲(34頁)
    南京空襲に先だって、第二連合航空隊参謀からも、「爆撃は必ずしも目標に直撃するを要せず、敵の人心に恐慌を惹起せしむるを主眼とするをもって、敵の防御砲火を考慮し、投下点を高度2千ないし3千メートル付近に選定し、かつ一航過にて投下を完了するごとく努められたく」という「南京空襲部隊制空隊の戦闘要領に関し希望事項」が通達された。
    ●陸軍刑法違反(99頁)
    当時の「陸軍刑法」(1908年制定)には、「第九章掠奪の罪」に「(第86条)戦地又は帝国軍の占領地において住民の財物を掠奪したる者は一年以上の有期懲役に処す。前項の罪を犯すに当たり婦女を強姦したるときは、無期又は七年以上の懲役に処す。」と明記されていた。食糧や家畜も中国住民の財物であったから、中支那方面軍が各部隊に食糧現地徴発=掠奪を強いたことじたいが、陸軍刑法に違反する行為の強要であった。
    ●占領の鉄則(118頁)
    近代戦において、軍隊が一般市民の居住する都市を攻略・占領する場合は、非戦闘員へ危害が加えられるのを防止するため、進駐兵力を制限したりして、戦場で「殺戮者」「殺人鬼」と化したままの武装兵士と一般市民の接触を減らし、不祥事の発生を避ける措置を取るのは指揮官の鉄則である。
    ●司令部の責任(119頁)
    方面軍司令部は、馬の手綱にあたる法務部を備えていなかったため、「軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入場せしめ、不法行為を摘発せしむ」とあっても、それだけの憲兵部隊を持っていなかった。12月17日の段階で、総勢7万以上の日本軍が城内に入ったにもかかわらず、憲兵はわずか17名に過ぎなかった。「掠奪行為、失火を厳罰に処す」と禁止しておきながら、食糧は補給せずに徴発=掠奪を行わせたのは司令部であったし、厳冬下に防寒・露営装備もないまま進軍を強制したために兵士の失火、放火を誘発させたのも司令部に責任があった。
    ●誤報(122頁)
    12月11日午後、南京城の水西門・漢中門の西側の湿地帯で、一中隊から小隊長二人の戦死を出すほど苦戦をしいられていた第六師団の歩兵第45連隊の前田吉彦少尉は、歩兵第36旅団無線から伝えられたラジオ・ニュースを知って驚いた。日本の内地のいたるところで、南京陥落の捷報(しょうほう)に祝賀の万歳が沸き起こり、提灯行列が繰り出されたというのである。
    ●南京市民のパニック(133頁)
    「日本の大軍が城内に侵入、南から攻めてくる」という恐怖の情報が、まだ居住区に残留していた市民を震撼させた。当時、十数万の市民がまだ自宅にいたといわれる。市民の前を前線の中国軍がパニックを起こして逃げていく。中国軍がいなくなり、自分たちが日本軍の襲撃に直接さらされることになった市民にパニックが走った。多くの残留家族が、わずかな食糧と寝具類を背中いっぱいに背負って、退却する部隊の後を追って南京を脱出しようとした。
    ●捕虜にせず(154頁)
    日本軍だって食糧補給がなく現地徴発=略奪で食いつないでいるくらいだから、捕虜にしても食わせるものがない、だから始末=殺害してしまえ、ということである。
    投降兵、敗残兵を捕虜として収容しないで、殺害せよというのは、第16師団の方針でもあった。
    ●ダーディン記者の目撃(171頁)
    上海行きの船に乗船する間際に、記者は埠頭で200人の男性が処刑されるのを目撃した。殺害時間は10分であった。処刑者は壁に並ばされ、射殺された。それからピストルを手にした大勢の日本兵は、ぐでぐでになった死体の上を無頓着に踏みつけ、ひくひく動くものがあれば弾を打ち込んだ。
    ●南京攻略戦開始時の人口(220頁)
    日中全面戦争勃発前の南京城区の人口は100万人以上であったが、日本海軍機の連日の空襲のために同区の人口は激減していき、37年11月初旬には50万近くになっていた。
    南京攻略戦が開始された時に、南京城区にいた市民はおよそ40万~50万であったと推測される。
    ●犠牲者の数(228頁)
    南京事件において十数万以上、それも二十万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。
    ☆関連図書
    「三光」神吉晴夫編、カッパブックス、1957.03.10
    「実録 満鉄調査部」上、草柳大蔵著、朝日新聞社、1983.02.20
    「実録 満鉄調査部」下、草柳大蔵著、朝日新聞社、1983.03.20
    「望郷」三留理男著、東京書籍、1988.08.05
    「満州棄民」三留理男著、東京書籍、1988.08.05
    ☆関連図書(既読)
    「長崎の鐘」永井隆著、中央出版社、1976.06.20
    「五十年目の日章旗」中野孝次著、文春文庫、1999.08.10
    「極光のかげに」高杉一郎著、岩波文庫、1991.05.16
    「収容所から来た遺書」辺見じゅん著、文春文庫、1992.06.10
    「戦場から届いた遺書」辺見じゅん著、NHK人間講座、2002.12.01
    「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
    「命こそ宝」阿波根昌鴻著、岩波新書、1992.10.20
    「「日の丸・君が代」の話」松本健一著、PHP新書、1999.12.06

    著者 笠原 十九司
    1944年 群馬県生まれ
    東京教育大学文学部卒業
    専攻 中国近現代史

    (「BOOK」データベースより)amazon
    日中戦争において、日本は当時の中国の首都、南京を激戦のすえ攻略した。このときに発生した、いわゆる「南京大虐殺」は重大な戦争犯罪として、いまも論議の的になっている。著者は、攻略戦の発端から説きおこし、外国人記録を含めた史料群を博捜し分析して、その全体像を描き出していく。現代史の焦点を衝く待望の歴史叙述。

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