近代の労働観 (岩波新書 新赤版 584)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004305842

作品紹介・あらすじ

一日のかなりの時間をわれわれは労働に費やす。近代以降、労働には喜びが内在し、働くことが人間の本質であると考えられてきた。しかし、労働の喜びとは他者から承認されたいという欲望が充足されるときである。承認を求める欲望は人間を熾烈な競争へと駆り立てる。労働中心主義文明からの転換を、近代の労働観の検討から提起する。

感想・レビュー・書評

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  • 仕事こそが人間の本質であると言う世間の流れに一石を投じる本。すごく社会学っぽい。

    ●感想
    確かに資本主義社会で、GDPを上げていくためのイデオロギーとして仕事や労働を押し付けられているという言説は正しいと思う。
    でも人間が「人の間」の存在である以上、アイデンティティーの確立のためには他者から承認されるという要素ははずせない。
    仕事でそれを実感できるのならば、それは限りなく人間らしい行為なんじゃないかなぁと自分は思う。
    しかし、なりたい自分を実現させるためにはまず第一に経済基盤を確立することが絶対条件としてあるわけで、
    そう考えると自己実現の手段が仕事というツールでしか可能でなくなってしまうことは確かに言える。
    やりたいことが社会的に正義とされるものかどうかはアル意味運の要素が強い。難しいねー。

  • 近代のあらゆる社会思想に潜んでいる労働中心主義(=人間の本質は労働である)。左右の両極から、われわれを労働へと駆り立てるそのしくみ。納得の分析です。

    古代社会やアルカイックな社会との比較から近現代の特異性が描き出され、歴史的な理解も進む。MaxWeberやMicheleFoucaultの議論もあわせて参照したい。

    中盤では、実際の労働調査資料(1920年代、ドイツ)を参照した、近代の労働観を支える「承認欲望」について検討。自分自身の労働経験に引き寄せて考えると、とても刺激的。

    記号的消費(Jean Baudrillard)の概念から、現代が”記号的労働”に行き着いていることへも言及。今日的な課題―勝ち組負け組、NEET、YouTuberは労働者か?、などなど―を考えさせられる。

    最後に、労働中心主義に対する先駆的な批判(Paul Lafargue)やアルカイックな社会の実相から、現代の労働の現場を転換していく展望が語られる。AIやIoTなど近未来のテクノロジーが、すべての人々に、その成果を享受される技術であるために、避けて通れない考察。

  • 1998年刊行。著者は東京経済大学教授。

     タイトルどおり、職業実態の変容を来した近代の「労働」(一応、労働という意味では共通項の大なる現代までを射程範囲)の有り様を、古代・アルカイック等前近代との比較を交えつつ検討していく。

     単純な図式に落とし込むと、
    ① 余暇への高価値=非近代、労働=拘束=近代=勤勉への高価値という静的比較と、
    ② 労働の正当化・内在化を徐々に加えてきた過程という動的分析
    とに区分け可能か。ただ、労働に価値(喜び)を見出す心的作用の類型化とその欺瞞も含め、内容にさほどの新奇性はない。

     もちろんそれは内容が無意味というのではない。受動的とされる認知・学習心理学に関する解説内容と、労働の精神的意義とされるものとが相当被るからだ。

     気になるのは、初期近代の労働は、救貧院による強制と指摘しつつも、彼らの貧困脱出のために必要な所得=生きる糧の獲得の手段でもあったという側面に触れない点だ。わざとなのか、そもそもそういう利点が皆無だったのかが判らない。
     また、労働の労苦性につき、極端な時間拘束と対価性の欠如・不足以上に、労働による承認欲求などをことさら問題にする本書のスタンスを見ると、このスタンスが自由なる労働との触れ込みで派遣・請負の亢進に繋がらないか、という懸念も見え隠れする。
     すなわち、現代社会においてかなりの人々には、広義の労働しか稼得手段が付与されていない一方、労働需要側の立場のみ擁護しがちな21世紀における労働者政策・制度の改変傾向とに鑑みれば、本書のような労働労苦論が却って仇となる気がしないではない。

  • 西欧の労働神聖化のプロセスがわかった。
    日本の仕事教は別の源流な気がするが、
    労苦を正当化するという点は同じだろうと気づいた。
    全面的ではないにせよ良かれと思って強制労働させているという点には驚かされた。
    古代ギリシャでは労働=悪だったのは興味深い。
    労働善の価値観を破壊してくれて気分的に助かった。
    労働で感じる価値を全部承認欲求に帰するのは極端な感じを受けるが、まあ大体あってるからいいか。

  • 本書で展開されている議論を多少なりとも深く理解しようとするなら「フーコーを読め」ということになりそう。

    「近代の労働観」に関する議論には、具体例や思想的文脈の提示がほとんどなく、文脈を離れて使用される概念/キーワードは非常には大雑把・浅薄な印象を受ける。

    哲学的にはともかく史学的もしくは社会学的には、近代化の過程で形成される「労働観」「規律」について、その変遷過程の例示、変遷の原動力に関する考察が求められよう。

  • 「労働」は、著者が熱心に取り組んできたテーマの一つであり、本書の前に『労働のオントロギー』(勁草書房)、『仕事』(弘文堂)の2冊を上梓している。本書がめざすのは、自由主義・社会主義の双方に共通している近代的な労働観を解明することである。いつものことだが、著者の努力は近代性の分析・解明に注がれていて、来たるべき社会の見取り図を具体的に描き出すには至っていない。この点に不満を感じる読者もいるかもしれない。

    フーコーが明らかにしたように、初期近代社会は農村から都市に流入してきた人びとの身体を、産業社会の労働に適応する商品経済的身体に作りなおしていった。また、マックス・ウェーバーによって、近代化が進展してゆくにつれて、勤勉に働き利潤を追求する資本主義のエートスを人びとが内面化していったことが明らかにされた。

    著者はこれらの議論を踏まえつつ、「労働の喜び」の観念は、都市の民衆を管理する社会の統治者や資本家の方だけでなく、管理される労働者の方にも共有されていったプロセスを明らかにしている。すなわち、社会や資本化が課す強制労働政策を批判する側に、強制され疎外された労働に喜びを見いだすことはできないけれども、疎外から脱することによって労働の喜びが生まれるというイデオロギーが作られたのである。ここに、資本主義・社会主義の双方に共通する、「労働の喜び」というイデオロギーが成立したと著者は主張する。

    次に著者は、ベルギーの社会主義者H・ド・マンによって集められた、労働者たちの「労働の喜び」についての聞き取り調査を参照し、「労働の喜び」が他者から認められたいという「虚栄心」に基づいていると主張する。その上で、他者からの承認を求める欲望を、公共圏における対等な人格の承認へと作り変えてゆく可能性についての展望をおこなっている。

  • (スエーデンの大学院で学んでいた時分に、学内のポータルにアップしていたものを引っ越しています)

    To make a clearer contract with modern view of work, the author, Professor of University of Tokyo, starts with descriptions of pre-modern view of work, namely one in ancient Greek and one in New Britain Island in the present times.

    In the ancient Greek labor or work was despised as something slaves did. Citizens were free from daily chores and could enjoy higher intellectual activities in their ample leisure time.

    In the New Britain Island,even in the present times, people engage in burn agriculture and grow taro. The usual work for 3 hours a day and spend the rest of the time discussing how “beautifully” and “prudently” they could grow taro in their fields. Their farming efforts are eventually judged in a farming festival once a year.

    The author calls those work experience in the ancient Greek and New Britain Island archaic work experience where there are no clear distinction between work and ethics, praying, and artistic activities. The author emphasizes that the key is “leisure” time, which had a positive connotation.

    How people were made to think that hard work is virtue then? At the beginning of Industrialization period, there were a lot of inflows into cities from farming villages. The farmers, naturally not equipped with skills to work in factories, tended to became beggars and vagabonds at first. “Correction” houses were build to accommodate those ex-farmers to train them to work by the clock. This administrative “welfare” system had a flavor of Christianity. It was a mixture of violence of forcing works and charity of Christianity. Workers' “bodies” were transformed into those which better fit into modern manufacturing systems.

    Being poor was associated with being negligence and ignorance. Correction houses were used to make the poor self-sacrificing and hard working which became ethically correct.

    Then, how could people feel “joy” of working in the forced labor? It was actually the view from the side of those forced the labor and not the view of those who labored. It was an ideal picture or ideology from the side of rulers. But there came up another ideology which claims that there should be “intrinsic” joy in work if work is free from forcing. This ideology could even lead to the claim that work is the most important duty and virtue of men.

    The author then goes on to analyze real voices of workers. He used the voices of workers in Henri de man, Joie au Travail, Felix Alcon, 1930 and tries to find out if workers could really find “joy” in their works. He conclude the most important element for workers to feel content with their works is “acknowledgment” from others. There was little chance that workers could find intrinsic joy in their works, if any.

    Then the author connect this analysis to the buying behavior of today. Today people spend more money to pay something than its real value. Most of the time, it is because people recognizes value than the real worth of the products people buy. Why does people need that value? The author claims that it is because of their vanity, a desire to feel “I am better than others” and acknowledged as such.

    In this sense, working is now becoming the same as buying brand bags.

    The author categorizes “Acknowledgment” into 2 types. One is within a closed, private space, such as in a small work group, or in a company. The other is in a open, more public domain. In the former the others are competitors, but in the latter the others are of equal terms and friends, which lead to a claim for better social justice. The author associates the former with the meritocracy and the latter with worker's individual character and public faces. The author conclude this book with an abstract proposal that making labor hour shorter and having more leisure time in the latter domain will realize a better social justice.

  • 近代にある勤勉労働を是とする労働観はどのように生み出されたのか。その過程をいくつかの著述を参考にして丁寧に説明してくれた。

    現代の労働のあり方を考える上でも参考になる本でした。

  • 人はなぜ働くのでしょうか? 当り前過ぎる疑問に、食うため、と答えます。私は労働は本来、食うためで必要不可欠と思い込んでいました。それはそれで自明のことですが、なぜ、21世紀になったのに未だ、その労働の原点が変わらないのだろう、と感じているのです。その労働の変遷がこの書で語られます。中世頃は労働に神への感謝の気持ちが込められていたといいます。本書でおもしろかったのはアンリ・ドマンという社会主義者の労働調査です。1920年代のドイツの様々な労働者にインタビューしたレポートで労働の中の喜びを+、不在を−として要約されています。様々の職種の人が登場しますが、共通しているのは、他者からのプラスの評価に絶対的価値を見出そうとする態度です。これは何も昔に限りません。今でも上司からの褒め言葉に何より、労働の充実感を感じている人は多いと思います。著者は最後に生産力主義、禁欲主義からの脱却をはかり、人間としてよく生きる、ことの実践を提唱しています。未来の労働観として、私的にオープンソース関連の本を読むべしと思いました。

  • 卒論の主要参考文献。

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著者プロフィール

今村 仁司(いまむら・ひとし):1942-2007年。岐阜県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。元東京経済大学教授。専攻は社会思想史、社会哲学。

「2024年 『資本論 第一巻 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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