翻訳はいかにすべきか (岩波新書 新赤版 652)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306528

作品紹介・あらすじ

翻訳事始の時代から今日まで、日本の翻訳はいったいどこまで進んだのか。きりっと引き締まった二葉亭四迷の翻訳に引き比べ、掃いて捨てるほどの代名詞の山、時制にがんじがらめ・辞書丸写しの文体、言わずもがなの迷訳・誤訳。「翻訳に不可能はない」と言いきる著者が、自らの血のにじむような実践を振り返りつつ開陳する翻訳論の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 考察が細かく、熱意がすごく伝わってくるが、如何せん批評の仕方に節度が感じられず、人品を損なっているように思われて残念。
    言葉遊びも入れすぎると読みにくいだけ。それがおもしろくなかったり、サラリーマンの駄洒落のようにしか感じられないと最早苦痛。
    同業者同士の喧嘩は内輪でやった方が宜しいかと。

  • ジェイムズ・ジョイスの翻訳で知られる著者が、翻訳のありかたについて論じている本です。

    著者はまず、「要するに、翻訳は日本語の問題である。結局は、それに尽きる」と断言します。そして、外国語の文章によって表現されたあらゆる意味を、日本語の文章のなかに実現することが、翻訳のめざすべき目標としています。そして、ジョン・アップダイクの作品などを例に、既存の訳に対して厳しい吟味をおこない、容赦なく批判をおこなっています。

    一方で著者は、二葉亭四迷の「余が翻訳の標準」という文章をはじめ、堀口大学や吉田健一、中野好夫といったさまざまな論者の翻訳への取り組みかたについても触れており、翻訳という営みの愉悦を語っています。著者の翻訳に対するこだわりにかんしては、個人的には少々ついていけないと感じるところもあるのですが、翻訳という営みに耽溺するとはどういうことなのか、すこし理解することができたような気がしています。

  • ここ数年、知り合いに頼まれて日本語に訳したり、「日本語があればなぁ」という声を受けて訳したり、ということをしている中で気になっているのが、どこまで自分の解釈を入れるか、という問題。
    日本語だけを読む人に向けて書く場合は、どうしても解釈が多くなる。逐語訳やそれに準じたものでは日本語として不自然だったり、意味がわかりにくくなったりするから当然のことだ。

    以前、チェツァン・リンポチェが来日された時、のこのこ会いに行ってタルゲンの日本語訳の本をいただいたことがあった。
    当時読もうとしたものの「何これ?意味わからん」となって放置していたのだが、何年か前に読もうとしたら、これはチベット語からの忠実な逐語訳であることがわかった。チベット語の文脈の中に入れるとなるほどなるほどとてもわかりやすい。
    訳者の解釈が混じっていないので、それもありがたい。ただ、日本語しか知らない人が読んだらめちゃめちゃ戸惑うはずである。

    この柳瀬氏の本は、原文の味わいを損なわず、日本語で表現するというのはどういうことなのかが書いてある。日本語しか知らない読者が読んでも、である。
    本来翻訳はそうあるべきだと思う。
    そうであるが故に翻訳というものは著者だけのものではなく翻訳者の作品でもあるとわたしは思っている。

    でも、わたしが訳しているのはそういうものじゃない。わたしの解釈は極力入れたくない。入れるべきでもない。つか入れてはいけない。

    言葉には重層的な意味と文化的背景がある。

    極力わたしの解釈を差し挟まずに日本語としてなんとか成り立つような、そんな訳をいつかしてみたいな、と思う。

  • 読了日 2021/8/28

    Twitterで追いかけている方が読んでいらしたので図書館で借りてきた。
    二葉亭四迷が翻訳にかけた情熱、直訳と翻訳の違い、『フィネガンズ・ウェイク』という小説の翻訳について。

    最近、短歌を現代語に訳すに当たって困っていることがあった。どうしても直訳になってしまうこと。
    この本で(あるいは二葉亭四迷の翻訳の姿勢から)ヒントを得た気がする。
    原文のリズムを、原作者の文体を、翻訳にも写す必要がある。ということ。
    辞書的な訳はお呼びじゃないのだ……

  •  万人受けしない筆致の、翻訳についての熱い小文。

    【版元】
    ■新赤版 652
    ■体裁=新書判・並製・カバー・220頁
    ■定価(本体 720円 + 税)
    ■2000年1月20日
    ■ISBN4-00-430652-3 C0295

     明治のはじめ,翻訳事始の時代から今まで,日本の翻訳は一体どこまで進んだのか.きりっと引き締まった二葉亭四迷に引き比べ,掃いて捨てるほどの代名詞の山,時制にがんじがらめの文体,言わずもがなの迷訳・誤訳.「翻訳に不可能はない」と言いきる著者が,自らの血のにじむような苦労を振り返りつつ開陳する翻訳論の決定版.<https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/3/4306520.html

    【目次】
    目次 [i-iv]

    序章 001
    一国さを貫く
    竈猫の実践
    翻訳は細部に宿る

    第一章 飜譯は如何様にすべきものか 011
    軽快にして細心
    習いたてのピアノ
    辞書語と翻訳
    『血笑記』――血も滲む推敲の跡
    はじまえは下に居た
    時制自制症の克服
    彼と彼女の呼びかけ語
    足と膝、全身と肩
    誤植余談

    第二章 小砂眼入調 053
    続「あいびき」
    「三人冗語」と「雲中語」
    「トウコギ」と「とうこぎ」
    粗漏と精細
    「三人冗語」「雲中語」の翻訳批評
    情實翻訳批評
    小砂眼入調現代版
    英和辞典語翻訳
    耳にとどく文節

    第三章 翻訳の姿勢 107
    翻訳は不朽の業
    精読の愉悦
    書淫の怪物
    もう一人の怪物
    精読と省略

    第四章 『ユリシーズ』翻訳 135
    鼎訳の猫と猫訳の猫
    頭黒の小用
    覆いの掛った蹄訳
    鼎訳と猫訳の点検
    翻訳は趣味ではない
    可哀そうに……
    《俺》の出番

    第五章 無理の愉悦 179
    無理がジョイスフル
    三島由紀夫のフィネガン飜譯
    恩師・加藤郁乎
    日本語という天才

    余が飜譯の標準 206

    あとがき(一九九九年十二月 柳瀬尚紀) [211-214]

  • 翻訳された文章を如何に日本語らしく表現するかについて書かれた本。他の翻訳者がどう翻訳し、自分はどう翻訳するかを比較した文章が多く、途中で飽きてしまった。

  • 翻訳の奥深さを知ることができる。
    余りにも超級の技法なので,自分が使うことはないかもしれない。

  • ジェームス・ジョイスの翻訳で有名な著者ですが、本書では二葉亭四迷、堀口大學、澁澤龍彦などなどの文学者の翻訳に関する姿勢を援用しつつ、氏の独特の翻訳スタイルがどんな考えに基づくものであり、それが決して駄洒落の一言で済むものではなく、原書の精読によるものであるかを告白しています。本書では、他書の誤訳をいくつか指摘していますが、氏持ち前の駄洒落っぽさで刺々しさを中和しています。翻訳にはいかに『志の高さ』が必要かを痛感させられる一冊です。

  • 翻訳家を志す私としては避けて通れない一冊ですね。英語の翻訳を主体に書いてありますが、森鴎外や二葉亭四迷などの話も載っていて面白いです。後半は誤訳の紹介になってしまっていたのが少し残念でしたが、とても参考になった本でした。

  • 読むたびに新たな発見があります。<br />

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著者プロフィール

1943年根室生まれ。翻訳家・英文学者。著書に『日本語は天才である』『ユリシーズ航海記』など。訳書に、ジョイス『ユリシーズ1-12』『フィネガンズ・ウェイク』、ダール『チョコレート工場の秘密』など。

「2020年 『リスからアリへの手紙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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