- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004307242
作品紹介・あらすじ
恋人たちはなぜ、偶然にすぎない出逢いに「運命」を感じるのか。その瞬間、二人の内面では何が起きているのか-。この問いを手がかりに、ショーペンハウアー、ニーチェ、ドストエフスキー、ヤスパース、ハイデガー、九鬼周造ら、近代理性主義の克服をめざした思想家がくりかえし思索のテーマとしてきた「偶然性」と「運命」の問題に迫る。
感想・レビュー・書評
-
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702371詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難しすぎて頓挫。。。ううっ。
-
動物は<いま>だけを生きる存在、人間は知能が高いがゆえに<時間>を生きるため、運命の中に立たざるを得ない。人間は動物に比べて生理的早産であり、それがゆえに必ず他者とともにある(=主観性とは根源的には相互主観性)
-
Twitterのフォロワーさんがお勧めであげられていたので手に取りました。偶然にしかすぎない人との出会いに「運命」を感じるのはどうしてなのか、その瞬間、二人の内面では何が起きているのか。この問いをハイデガーの「現象学の根本問題」の時間論、九鬼周造の偶然性に関する諸々の論考を中心に、ショーペンハウアー、ニーチェ、ドストエフスキーの「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を引用しながら繙く。とても興味深く読みました。「人との偶然の出逢いを「めぐり逢い」として、つまり運命的な出逢いとして意識するということは、この出逢いをきっかけにして、これまでの過去の体験がすべて整理しなおされ、いわば再構造化されて、あたかもすべてがこの出逢いを目指して必然的に進行してきたかのように意味を与えなおされたということ」として、2章では偶然性の概念、3章では西洋哲学で「運命」がどのように哲学されてきたかの流れを包括し、4章ではドストエフスキーの作品を例に取り上げて、偶然の出逢いがどのように運命に転ずるかを記しています。この偶然性と運命の流れの構造は創作をする時にも大いに役立ちそうです。ドストエフスキーの「悪霊」が読みたくなりました。
-
【推薦者】I.R@46守番匠
-
われわれが単なる偶然にすぎない出来事に運命を感じるのはどうしてなのかという問題を、主として西洋の実存哲学を参照しながら考察している本です。
著者はハイデガーの『存在と時間』を参照し、そこで現存在の根底に「時熟」すなわち「おのれを時間化する」という時間構造を見出していることに注目します。こうした人間存在の時間構造に基づいて、未来への投企と過去の反復によって外的で偶然的でしかない「めぐり逢い」が整理しなおされ、いわば生きなおされることで、あたかも自分のこれまでの体験の内定展開の必然的到達点であるかのような意味を与えられることになると著者は論じています。さらに著者は、九鬼周造の偶然論や、「生」を根源的存在とみなすドイツの形而上学伝統の系譜を整理しながら、偶然についてこれまで哲学者たちがおこなってきた思索を整理しています。
最後に、著者自身も若い頃に大きな影響を受けたドストエフスキーの作品のなかから、『悪霊』におけるスタヴローギンと『カラマーゾフの兄弟』におけるコーリャのエピソードを対照的な仕方で参照しながら、固く閉ざされた自我の構造が他者との邂逅によって打ち破られることの意義について考察をおこなっています。
実存哲学に依拠した偶然論・運命論として、興味深く読みました。ただ、さまざまな領域においてアーキテクチャによる宿命論の内面化が生じている現代的な状況にも目を向けて、本書の議論がどれだけの射程を持っているのか測りなおす必要があるようにも感じました。 -
ハイデガーや九鬼周造における、時間・偶然性・運命についての論述。本来的時間と非本来的時間の区別など。ベルクソンとの比較可能。
-
「運命」についての疑問提起から、偶然性の議論を展開し、運命に関するこれまでの思想史に立ち返りつつ筆者の考えをまとめている。筆者自身が述べている通り、運命における謎は明確の答えを持たない議論になりやすいが、筆者なりの考えは最後に分かりやすく述べている。非常に難解な引用が多く、筆者が噛み砕いて分かりやすくまとめている部分もあるが、哲学書に慣れていなければ一度では読み切れない難しさもある。
-
ハイデガー、九鬼周造の時間論などかなり難しい哲学的な論文ですが、ドストエフスキーの小説の中から2つの邂逅の説明が新鮮です。「悪霊」スタヴローギンとマトリョーシカ、「カラマーゾフ」コーリャとイリューシャ。破滅と救済に至る分水嶺ともいうべき2つの対照的な出会いです。カラマーゾフの続編で主人公となるべきだったコーリャの「秘密」が少し理解出来たように思います。あとは難しくて理解出来ないことが多かったのですが、ハイデガーの過去・現在・未来ではなく、将来と既在に分けるユニークな時間論。またお互いに尊敬し合った九鬼の親密な関係のみ理解しました。
-
メモ。
運命のように感じられるとは何か。人間はある未来を見ることから、そばにあるものとしての現在、既にあったものとしての過去=既在を構成する。そのメカニズムによって、かつては連関していなかった過去同士が有機的に結びつくことによって運命感が生まれる。
必然性の三様態。論理的必然性、経験的必然性、形而上的必然性。対応してそれぞれ定立的偶然、仮言的偶然、離接的偶然をなす。
論理的必然性は三角形と三つの線で囲まれたという特徴、というように本質的関係を示す。偶然性はイデアと個物の関係。概念と非本質的徴表。経験的必然性は因果的必然性と目的的必然性で、その反対にある原因から当然と思われていない帰結が現れることや、ある目的ー手段からいつだつする事象が起こること。形而上的必然性は、すべての事物それ自体のあいだを支配している必然性=決定論のことであり、形而上的偶然性はその究極的な原因の根拠のなさのこと。偶然とは「偶」=「遇」であり、二つの系列の出会い。
運命について、いろんな思想家を手早くまとめる。特に僕にとってはジンメルが考えるに値する。
そういった問題系のよい手引き。木田元はやっぱりまとめるのがうまい。 -
この本は著者の木田元さんも本文中で書いてる通り、哲学的考察で偶然なり運命に解決を見るものではなくて、大まかに「運命」をテーマに取り上げた四つのエッセイと捉えてさくさく進めるような読み方が良さそう。
……だと思うんですが、この本に関しては前提として少なくともハイデガーの時間論の「sich zeitigen(おのれを時間化する)」とかいった辺りの考えを消化して何を言わんとしているかのイメージができるレベルでないと筆者の考える運命がちゃんとは理解しにくいように感じました。
人間を、「……と共にある」生まれながらの社会性動物と捉え、それが自己であったり他者と出会うことで世界へと開かれていく。個人の歴史の意味をを過去・未来にわたり書き換えるその出逢いこそ運命と言う、ってことなのかな。
自己と他者のテーマにも触れる問題でもあるようなので時間論なりもっと勉強し直してから再び挑戦してみたいです。
P.S.あとがきの解説から読むと読み始めやすいように思いました。 -
展示期間終了後の配架場所は、1階 学士力支援図書コーナー 請求記号:112//Ki12
-
後期試験対策にざーっと読みました。
結局、意識の問題ってことなのかなあ。 -
1335夜
-
(2004.12.10読了)(2004.11.22購入)
「現象学」「ハイデガー」といった著作があるので、現象学といわれる分野の研究者なのかと思うけど、いまだ著作は読んだことがなかった。ハイデガーは、実存主義だったかな。
【現象学】意識に直接的に与えられる現象を記述・分析するフッサールの哲学。現象そのものの本質に至るために、自然的態度では無反省に確信されている内界・外界の実在性を括弧に入れ、そこに残る純粋意識を志向性においてとらえた。実存哲学などにも影響を与え、サルトルによるイマージュの現象学、メルロ=ポンティによる知覚の現象学などが生まれた。(「大辞林」より)
【実存主義】人間の実存を中心的関心とする思想。一九世紀中葉から後半にかけてのキルケゴール・ニーチェらをはじめ、ドイツのハイデッガー・ヤスパース、フランスのサルトル・マルセルらに代表される。合理主義・実証主義による客観的ないし観念的人間把握、近代の科学技術による人間の自己喪失などを批判し、今世紀、特に第二次大戦後、文学・芸術を含む思想運動として盛り上がった。(「大辞林」より)
この本は、偶然性と運命という哲学のテーマというよりは、人生論や宗教、占いのテーマというようなものを考察してみたいという点に惹かれて読んでみることにした。
「偶然性の対立概念は必然性である。」
「必然性とは、必ずそうであること、そうでないことがありえないこと、つまりその反対が不可能なことである。反対が不可能だということは、自己自身のうちに存在の根拠をもち、与えられた自己が与えられたままの自己でありつづけること、つまり自己同一でありつづけること、自己同一性ということである。」(自己自身のうちに存在の根拠を持ち、という辺りまでは分かるけど、そこから先は理解できない。)
●偶然の三つの性質
1.「何かあることもないこともできるようなものが偶然である」必ずあるという必然的なことでもなければ、決してありえないという絶対の不可能事でもなく、あることもできるし、ないこともできるというところが偶然には備わっている。普通のサイコロを振って三の目が出るというようなこと。
2.「何かと何かとが遇うことが偶然である」出逢ったというその瞬間に可能的なものが現実化されて偶然となるのである。病人の見舞いに行って、そこに見舞いに来た誰かと思いがけなく遇うというようなこと。
3.「何か稀にしかないことが偶然である」可能ではあるが不可能に近いようなことが実現された場合。「偶然は必然の方へは背中を向け、不可能の方へ顔を向けている」
●「悪霊」について
ドストエフスキーの「悪霊」をこの夏読んだのですが、何せ長編でいろんな人がでてくるのでどれが本筋なのか分からずに、何か解説書でもないかと思っていたのですが、思いがけずこの本に解説が載っていてびっくりしてしまった。これぞ「偶然性と運命」ということのようです。
「悪霊」の大事な章は、連載からも単行本からもはずされた、「スタヴローギンの告白」というのだから、どういうことなんだこれは。「スタヴローギンの告白」のところだけでももう一度読んでみよう。
著者 木田 元
1928年 山形県生まれ
1953年 東北大学文学部卒業
哲学者、中央大学名誉教授
(「BOOK」データベースより)amazon
恋人たちはなぜ、偶然にすぎない出逢いに「運命」を感じるのか。その瞬間、二人の内面では何が起きているのか―。この問いを手がかりに、ショーペンハウアー、ニーチェ、ドストエフスキー、ヤスパース、ハイデガー、九鬼周造ら、近代理性主義の克服をめざした思想家がくりかえし思索のテーマとしてきた「偶然性」と「運命」の問題に迫る。 -
最初に本の紹介文を読んで恋の事を書いたり、そしてなぜ彼等は偶然にすぎない出逢いに運命を感じるのかと書いたりすると、私はそれに興味があり、読み始めた。だが、実はこの本は哲学的なものである。その中に、筆者はめぐり会いから偶然性と運命の出会いまで書いた。内容はほどんど他の哲学者でも作者でもありの人の文章を引用しながら、偶然性の概念から運命の思想史まで解明した。その中によく出てくるのはハイデガーの思想論と九鬼周造の偶然性論で、前者も筆者の作品の一つである。私はこの本を読むと、頭はぼっとした、偶然性と運命は確かに人間の思想でつながれているが、筆者の言う通りに理性的に考えば分けられると思わない。その他に人間は感性を持っているこそ、違う人生を送れると思う。更に、偶然性は運命と考えると、人生はもっと神秘感があると思う。
-
序盤のハイデガーの時間論のあたりからもう夢中。哲学や文学からの引用箇所もみんな面白い。現象学ってほんとうに難しいんだけど、ほんとうに面白いしスリリング・・・しびれる