一億三千万人のための 小説教室 (岩波新書 新赤版 786)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004307860

感想・レビュー・書評

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  • NHKの「ようこそ先輩」で小学生に「小説を書くこと」を教えたことに肉付けした本らしい。
    たくさんの引用文がとても面白くて、楽しんで読めた。
    ハウツー本というより本が好き、言葉が好きっていう随筆のよう。

    「すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれも教えられるわけがない。」
    って最初に言っちゃうし。

    ・小説と遊ぶ
    書いてはダメらしい。
    降ってくるまでじっと待つ。
    そういえば、村上春樹が書こうと思ったのはヤクルト戦を球場でみていた時だったような。
    大好きな「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出す。

    「飛んでくる、たくさんのボールの中に、あなたの恋人を見つけてください。好きにならずにいられないものを見つけてください。」

    ・まねる
    「なにかをもっと知りたいと思う時、いちばんいいやり方は、それをまねすることだ」
    「まねることは、その間、それを生きること、でもあるのです。」

    「あらゆるものを、(それが、わからない言葉で書かれているものなら)、わかることばに翻訳して、死んだことばを生きていることばにして、運んでくれるのが、小説、とわたしは考えるのです。
    小説はいう、生きろ、と」

    「自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」

  • 高橋源一郎による、小説とは何か?を解説した本


    以下、公式の概要
    ---------------------
    世の中には小説の書き方に関する本があふれている。そういった本の読者の大半は、小説を書きたい、あわよくば小説家になりたい人だろう。しかし、本書の「少し長いまえがき」の中で、高橋源一郎は早々に断言する。「わたしの知っている限り、『小説教室』や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません」。なぜか。「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」からだそうだ。
    しかし、著者は小説家志望者の夢を打ち砕こうとしているわけではない。この本は、標題どおり「1億3000万人のための」小説教室なのだ。「小説を書く」という作業の前に、「小説の書き方をひとりで見つける」方法を手とり足とり、教えてくれる。

    小説は「つかまえる」ものであること。小説と「遊ぶ」こと。まねることから始めること。小説の世界に深く入ること。そして最後に、自分の小説を書きはじめること。著者の後について「小説を書く旅」に出た読者は、今まで気づかなかった小説のおもしろさに気づかされる。書くよりもまず、読んでみたくなるはずだ。そして、著者の教えどおり、まねをしたくなる。

    要するに、本書は「小説(を楽しむための)教室」でもある。その意味では、小説家になりたい人が目を通すべき実用の書といえる。音楽を好きな人が音楽家になり、スポーツの好きな人がスポーツ選手になるように、小説を書くためには小説を深く、楽しめることが前提だ。この本を読むと、小説がますます好きになるはず。文章の巧拙やプロット、キャラクターづくりのテクニックを越えた、小説の魅力に目を開かせてくれるからだ。(栗原紀子)
    ---------------------


    元々は子供向けの講座で話した内容を、新書向けに再構築したもののようだ

    その子供たちが書いたという小説が冒頭に記載されてあって、確かに小説でしたねぇ

    小説をかくとはどういうことなのか?

    「すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれも教えられるわけがない」
    概要でも説明されてあるけど、小説は自由なものなので、一人ひとり書き方が違うわけで
    なので教えられるようなものではないんだよなー
    なので、「一億三千万人のための」は、全員共通の方法という意味ではなく、個々での見つけ方指南という意味なのでしょうね



    小説をボール遊びに例え、ボールを追いかけ、戯れて遊び、「掴まえる」事が重要だという
    速いボールや変化球であっても「掴まえる」ためには、まずはそれを好きでいなければいけない

    その次は「まねる」
    自分が面白いと感じたボールの投げ方、つまり文章の書き方を真似る

    要は、小説の書き方と言いつつ、小説の楽しみ方を説いているように思われる
    もしくは、小説への向き合い方、かな?


    詩は、作者が詩として向き合っていれば詩
    小説は確固たるものがなく、自由なもの
    言葉を使う表現の中で一番ルールに縛られない自由なもの

    だから、全ての人が自分にしか書けない小説を書くことができる

  • 読むべき人は読めず
    読まなくてもいいは人ほど共感して読む
    もしくは、理解しすぎてて読む気にならないかも
    なんか、つかみどころのない事なので
    なんだろ…まぁ、その…うん

    やる気が出ない時に読むにはいいのでは?
    でも…読む意味無いと思う人もいるはず。

  • 小説家志望ではない、いち読書好きとして。素晴らしい、と読みながら震えてた。小説家心理、というか、「この人どういう考えでこれ書いたんだろうな」「小説家ていつどんな風に着想を得るんだろうな」っていう長年の疑問の、答えを得た。

    「ここは作者の意見を表しています」「ここは大事なので」とかいって「赤でアンダーライン」みたいな高校までの国語とは違う、ホントの読み方を提示している。これは小説家にしか書けない。

    中でも痺れたのは、村上春樹の「羊をめぐる冒険」とレイモンド・チャンドラー「長いお別れ」がならべられて(他にも多数の例が挙げられている)いる部分。
    小説では「小説をつかまえる」「小説をまねる」というのが、常識というか定石というか、フツウだというのを示している。

    古典から現代小説まで、読み込んでいる人にとっては「あたりまえでしょ」な事かもしれないけど、不勉強な読書家にとっては、天啓にも等しい教えだった。

    読書ガイドも読んでみようと思った。
    すぐ読めるのでぜひ読んでみて欲しい本。

  • 小説とは「人間はミジメで愚かである」という告白であり、その告白を聞いて何を感じるか?なんだが、他人の告白なんてものは退屈なものであり、正直に自分を語るというのは難しいものだ。結果、駄作が増えた。と小林秀雄が言っているが、だからこそ、上手い人の真似をした上で、
    「自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」
    という事になるのかと。
    但し、本著での小説は純文学をさしており、エンタメ小説に関心のある人にはピンとこないところが多々あるかもしれない。

  • ②f.2023/9/6
    ①f.2010/12/15
    p.2010/11/16

  • これから小説を書こうとする人に向けた指南書。ただ、「書き方」を教えるというよりも、一小説の書き手として、小説を書くとはどういうことかを伝えようとした本、という印象で、とても好きな本だった。
    著者は、「私の知っている限り、『小説教室』や『小説の書き方』を読んで小説家になった人はひとりもいません」と言い切った上で、その理由を、「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかないから」だとする。それぞれの章では、自分の小説の書き方を見つけるコツとなる習慣や考え方を説明していく。

    「小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ」「自分について書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」といったことを鍵としているところからも、自分だけにしか書けないこと、他の人には書けないことを書くことを小説を書くこととして、大事にしているのだろうと思う。小説というのは「書くもの」ではなくて、「つかまえるもの」だという。
    そのためのコツとして、徹底的に考えること、そして、自分が書いた言葉や、他人の書いた言葉を好意的に受け止めようとすることが大切なのだろう。それが「小説と、遊んでやる」「ボールを受け止める」といった言葉で表されている。

    こうした小説を書き始めるための心構えの中で、具体的なアドバイスとして出されているのが「まねる」ことだった。小説の書き方というのは、赤ん坊が母親の言葉を真似るように、別の人の小説を真似るところから始まる。人の言葉をまねることを繰り返すことで、誰から教わったのかも分からない言葉をそのうち話すようになる。小説もまた、そういうもので、そのうち自分の中から生まれてくるもので、ただ、そのためには、小説を考え続けなければいけない。そういった本だった。

  • 銀河鉄道の夜の冒頭部分が引用されていた箇所がよかった。
    ジョバンニのように、他の人達と同じように世界を見ることができない「バカ」こそ、小説を書く資格を持っている。

  • 小説を書きたいわけではなく、著者の小説への思いが綴られていると聞いて読了。
    具体的なことは全然書いておらず、小説について、言葉について考えている本。

    小説と遊んでやる。
    遊ぶということは、相手の世界に入ってそれを楽しむこと。
    同じ意味のことを、もっと簡潔に、もっと要領よく、書くことはできる。しかしそんなうまい文章で書いたとして、それは面白いだろうか?読んで、ふーん。で終わりじゃないか?そんなもので何か相手に伝わるだろうか?
    著者の世界に付き合ってあげてほしい。小説の世界に入り込んで、その中でゆっくり過ごしてほしい。
    小説は、言葉として書いて現れた時点で、道の半分まであなたに近づいている。あとは、あなたが半分まであなたの足で歩いて、相手の言葉を受け取る、捕まえればいい。


    独創や個性に至るには、何が独創で個性なのか知らねばならない。それを知るには何かをまねすること。まねすることでその世界を一層知ること。
    まねることは、ひどく難しい。ただ書き写すとは違う。何かを好きになり、好きだからまねしたい、となる。これは恋愛に似ている。

  • ガチガチのノウハウ本とはまた違った、肩の力を抜いて等身大で小説と向き合わせてくれる本だった。向き合うというのもちょっと違うかな。小説という曖昧な世界を肩の力を抜いて探検してみたい、と思わせてくれる本。この方があってるかもしれない

    読了後に残っているメッセージは、あなたはあなたが体験したことしか表現できない、そしてあなただけが書ける話はなんだろうということ。どこかで読んだことのある話を程よく自分のものとしても、それはきっと上手く調理できないだろう、と。

    ただし"まねる"ということ自体は本書内でも著者は推奨している。ただ、"まねる"という意識もないまま、曖昧な知識だけで書き連ねようとすることはちょっと違うよねと。わたしの中ではそういう意味に捉えられた。

    上記のような視点の刺激はもらったけれど、ちょっと途中で飽きてしまったので星3ということで。

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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