- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004307884
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終戦記念日が近づくと俄かに脚光を浴びる靖国問題である。本書は
終戦後のGHQの政策から小泉元首相の参拝までの靖国神社の歴史を追い、
国による死者の管理を問う。
靖国神社の廃止をいち早く唱えたのは石橋湛山だった。その時期、
終戦僅か2ヶ月後である。
戊辰戦争の天皇側の戦没者を祀ったことから始まった靖国神社は、
政教分離の原則にのっとれば戦後はそのあり方を変質させなくては
いけなかった。しかし、まるで時間が止まったかのように、明治時代
そのままの思考・あり様で現在まで来た。
国家が戦没者を「英霊」として祀るのは、国に殉じたとされた人々と
遺族をいつまでも「国家」という枠組みに縛りつける。
祭神として祀られている人たちのすべてが、喜んで死地に赴いた訳では
ないだろう。占領下・植民地下であった朝鮮・台湾・中国から、強制
連行され徴用された人も多くいるだろう。しかも、無理矢理「日本人」
とされてだ。
靖国神社にはそんな人々も合祀されており、遺族から合祀取り消しの
要望があっても一切応じない。
国に取られた命ではなかったか。国が奪った命ではなかったか。彼らは
国の犠牲者なのではないのか。その死を一宗教法人が遺族の承諾も
なく祭神にする権利はないだろう。
靖国神社への戦没者の合祀については旧厚生省が協力している時点で、
政教分離の原則は無視されているのではないだろうか。
本人が、遺族が、靖国に祀ってもらうこを望んだのであればそれはいい。
だが、少数かも知れぬが拒絶を示す人たちもいる。ならば、その人たちの
元で静かに眠らせてあげるのが「慰霊」なのではいだろうか。
明治は遠くに去り、大正は短く過ぎ、激動の昭和も終焉を迎え、平成も
20年以上が過ぎた。それでも、靖国は明治のままに存在している。 -
国家が戦争で死んだ人々をまつらなくてどうするのだということばは一見常識に訴えるが、国家が死者を管理し、英霊化する意味をわれわれは考えてみなくてはならない。靖国をめぐる戦後の動きを丹念に追ったもの。