- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004308690
感想・レビュー・書評
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著作権とは何か、何を保護するものなのか、誰のためにあるか、など基本的なことを易しい言葉で解説した上で、2003年現在の問題点(法律、経済など)を国際的な視点で論じる。
「アメリカが著作権法制定に関しては他の先進諸国と比較すると極めて遅れているのに対し、日本の著作権法は最先端をいっている」とか、「日本の産業界において、映画業界と放送業界は大きな権力をもっているため、映画や放送に関する著作権法はそれらの業界に有利になるようにつくられている」など、おもしろい事実がいっぱいだった。
そして何より読みやすい!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文化庁著作権課長を務めた「著作権のプロ」による、著作権の本質を知るための優れた概説書である。
インターネットや各種デジタル機器の発達によって、コンテンツ創作手段/利用手段を大多数の人々が手に入れ、いまや「一億総クリエイター、一億総ユーザー」時代となった。著作権は「一部業界の一部のプロ」のみならず、すべての人々にとって身近なものとなったのだ。じっさい、最近では中学・高校でも、著作権に関する教育が必修となっているという。
本書は、そうした時代の変化をふまえ、著作権のなんたるかを最新のトピックを盛り込んで平明に概説したものである。
といっても、教科書のようなカタい内容ではない。
むしろ、「目からウロコ落ちまくり」のすこぶる面白い本だ。これを「ネタ本」にして、テレビの『行列のできる法律事務所』のような法律クイズがたくさん作れそうなのである。
たとえば――。
「三越」の包装紙には著作権があるが、「高島屋」の包装紙には著作権がない。なぜか?
《前者は元々「抽象画」(美術作品)であったものを包装紙に使っており、後者は最初から包装紙(実用品)用にデザインされたものだからだ》
会社員が「職務の一環として」作った著作物は会社(雇用主)が著作者となるが、会社員が勤務時間中に仕事をサボって作った著作物は、その会社員が著作者となる(ただし、会社が「著作者」となるのは日本独特の慣行)。
映画だけは、実際に映画を作った監督らではなく、制作した映画会社が著作権をもつようになっている。
たとえば、Aという監督がBという映画会社の制作した映画を監督した場合、監督Aはその映画に関する著作権のうち「人格権」のみをもち、残りの著作権は映画会社がもってしまう(!)。
《この制度については、「映画会社は巨額の投資を行なって営業上の危険を負担しているのだから、権利をもって当然」などという説明がなされているが(中略)要するに「映画業界の政治力」である》
……と、このように「へえー」と思わせる面白いトピックを楽しむうち、著作権というものの本質が読者におのずと理解できるように構成されている。
職業柄、著作権についてはひととおり知っているつもりでいた私だが、それでも、この本を読んで初めて知ったことがたくさんあった。
とりわけ「目からウロコ」だったのは、アメリカは先進国中、著作権保護の水準が最も低く、逆に日本の著作権保護の水準は世界最高レベルにある、という話。
正反対のイメージを抱いていた人も多いだろう。私もそうだ。「アメリカは訴訟社会・契約社会だから著作権保護の水準も高いのだろう。日本は契約書を結ばずに仕事を進めることも多いし、著作権保護の水準は低いのだろう」――そう思っていた。
だが実際には、アメリカが他国よりも強い著作権保護を行なっているのは、コンピュータ・プログラムとレコード(CD)についてだけなのだという。
それ以外のコンテンツについては、《「著作隣接権」というものが全く保護されていないし、また、著作者の「人格権」についても対象が限定されている》など、さまざまな不備があるという。
逆に日本は、著作権のインターネット対応を世界に先駆けて整備した国なのだという。
もっとも、法整備は進んでいても、日本人一般の著作権に関する理解と運用が著しく遅れているのは事実。たとえば、本の出版やテレビ出演などにあたって契約書を交わさず、口約束だけで仕事が進むことがよくあるのは、日本だけの特異な現象であるという。
ちなみに、「日本のコンテンツ業界で、こうした契約システムが最も発達しているのは『アニメ業界』であるが、その理由のひとつは、日本のアニメが世界中にビジネスを展開していること」にあるという。
官僚としての本音がバシバシ語られていて、そこがたいへん面白い。
たとえば、文化庁著作権課長時代に経験したさまざまなトラブルについて、固有名詞こそぼかしてあるものの、かなりセキララに暴露されている。
「いいことに使おうとしているのに、権利者が許諾してくれないので、文化庁から説得してくれ」とか、「私が提示している適正な利用料について権利者が納得しないので、その金額で契約するように文化庁から言ってくれ」などという要望が寄せられることがしばしばあったという。
ちなみに著者は、前者は「彼女がプロポーズに応じてくれないので、政府から結婚するように言ってくれ」というのと同じであり、後者は「私が提示しているアパートの適正な家賃について大家が納得しないので、政府から言ってくれ」というのと同じだと嘆息している(笑)。こうした巧みな比喩もちりばめられており、著作権についての難しい話が平明に咀嚼されている。
とくに、ライター/エディター等、著作権にかかわる仕事をしている人は必読の一冊だ。-
前原様
読ませるレビューにはめったに出会えないなかで、貴兄のレビューは長文でありながらきびきびした文体で読者の心をつかんで離さず、結末まで...前原様
読ませるレビューにはめったに出会えないなかで、貴兄のレビューは長文でありながらきびきびした文体で読者の心をつかんで離さず、結末まで夢中になって読み終えられました。関西人にしかわからないと思いますが、まるで浜村淳さんの映画解説のように思えました。
私も手本にしたいと思います。2022/07/17 -
2022/07/17
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まずは「著作権」の3つの意味。
著作権①は全体的包括的な‟著作権”
著作権②は「著作権①」から"著作隣接権”を除いたもの。
著作権③は「著作権②」から″人格権”を除いたもの。
教育のための使用には例外はある。例えば映像などを教師が自分でコピーして自分の講義に使うのは良いが、その映像を他の教師に貸し出し使用させるのはNG。
そもそも“著作権者”と”著作物利用者”の欲求は最初から相反している。どこで折り合いをつけるか?という問題なので、各国によって驚くほど法整備内容が異なる。また各立場→著作者、実演者、出版社、レコード会社、放送局、映画製作者などによっても主張が異なる。実際には放送局や映画製作会社など、政治的発言力の大きな立場が有利なように進んできている。
デジタル化の進展速度ともかかわりあって、実に難しい!!! -
読んだ、といっても最後の2章だけだが。へぇーと思うことが多かったのは現代社会における著作権の諸問題についての知識不足なのだろうが、著者独自の概念が多く文体もかためで少々読みにくかったかな。要するに、著作権は「手段」であり、その「目的」である「人びとの幸せ」とは何なのか。「一億総ユーザー・一億総クリエーター」の現代でそれを一人一人が再考する必要があるといいたいのでは。国際問題ではそれが国益に集中していることが問題であるとして。
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著作権の中の財産権とは、本来は、無断で知覚(アクセス)されない権利でだけで良いはずだ。しかし、エンドユーザーの知覚行為を完全に把握する事ができないから、その一歩手前の幇助行為を権利対象にしている。
著作権の問題は、大部分が契約の問題であり、個々のケースについて著作権契約をすべき。そのためには、不動産の契約書のように、ひな形があると良い。
音楽については、JASRACが著作財産権を一元管理しているが、それは、一流の音楽家も無名の音楽家も、区別なく統一した料率であるから。同様な仕組みを他の業界で作れないのは、一流・無名を区別しないようにすることは受け入れられないから。
今後は、N対Nの契約がスムーズにできる仕組みが必要である。 -
現状どうなっているかよりもどのような考え方を経て現状に至っているのかという観点で書かれている。
そのため為にある程度判っている人間が読むと理解が深くなる。 -
【配架場所】 図・3F文庫新書 岩波新書 新赤版 No.869
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/book/97779 -
著作権の基本的な知識はつくと思う。
結局、著作権は業界の利権が大きく関わってるんだね。 -
今まで読んだ中ではベストな著作権の入門書。専門書を読んでもいまいちわからなかった各権利の詳細について、著者自身の言葉で簡単に説明しているので、少しこんがらがっていた理解もだいぶ紐解かれました。著作権、著作隣接権、またそれに関わる業界によって権利も分かれていますが、要は、そのぞれの過程において著作物に「工夫」を施した者には、その程度に差はあるものの、保護されるべき権利が与えられる、ということがもっとも大事なことだと思います。また、現代のデジタル化時代に状況を反映して、自動公衆送信権や送信可能化権などの新しい権利も簡潔に詳述されており、今までわからなかったことがよくわかりました。さらに、この著書の大きな特徴は海外の著作権法との比較の中で、日本の著作権の特色を浮き立たせて、一方でアメリカの著作権を暗に(もしくは明示的に)批判しているところだと思います。日本の著作権は世界でもっとも先進的であるという主張にも納得しました。