ポストコロニアリズム (岩波新書)

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著者 : 本橋哲也
  • 岩波書店 (2005年1月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309284

ポストコロニアリズム (岩波新書)の感想・レビュー・書評

  •  ポストコロニアリズムとは何か。

     そもそもコロニアリズムとは何かということでコロンブスの話から始まり、ポストコロニアリズムとしてファノン(アルジェリア)、サイード(パレスチナ)、スピヴァク(インド)が、最後にアイヌや沖縄を軸に日本について語られる。
     コロニアリズムとは征服者によっ規定されることがその最初の重要な要素なのだと思った。ただ独立するだけではその呪縛からは逃れられない。ポストコロニアリズムとはその他者から規定された自己を意識し、その他者とただ対立するだけでなく新たな関係を築いていくことなのではないかと感じた。
     確かに世界は精神的にも物質的にも植民地主義を脱していないと思う。
     
     新書とは思えぬ読み応え。巻末のブックガイドもありがたい。

  • 戦争、暴力のいろいろな形が窺われ、契機となる書だ。

  • 歴史的経緯で搾取されていた人種の人々の行動が、搾取した側と生活水準が同等になるくらいまである程度許されるという考え方であり、考え方としてはアファーマティブ・アクションに近い。だが、どの程度までがポストコロニアリズムの考えで許容されどこまでが許容されないかがいまいちわからない。考え方として必要なのはわかるが、いまいち現実味にかけるというイメージ。実際、逆に差別されているとして行動をしている在特会とかいるわけだし。

  • 異文化はあなたのすぐそばにある、しかし気づかないだけ…それに気づかせてくれるポストコロニアル研究の手引き書!

  • 人に勧めたので、本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書、再読。冒頭で植民地主義の歴史を扱い、西洋近代のプロジェクトを検討。後半はファノン、サイード、スピヴァクを取り上げ、三人の現実との格闘からその思想を概観する(現場での人間的出会いと理論的普遍化の結合)。良くできた入門書です。

    『ポストコロニアリズム』でスピヴァクの興味深いエピソードありましたので紹介。

    あるとき大学の教室で、ひとりの学生が「先生の言われるように、自分の出自を自覚したり、自分がどんな特権的な位置から話をしたり知識を得たりしているかについていつも意識的であろうとすると、僕みたいに白人で男で中産階級のアメリカ人学生は何も言う資格がないんじゃないでしょうか」と。

    「そうやってあなたに何も言えなくさせている、それはあなたの階級とか出身とかお金とか、そういうものでしょ。こうやっていっしょに勉強しているのは、そのような特権的なあり方をあなたが自分で知って、それをひとつづつ自分から引き剥がしていくプロセスなんだ、と考えてみたら」とスピヴァク

    サイードやスピヴァクとの出会いが、おそらく吉野作造研究にも影響を与えているし、そういう自覚と連帯、試行錯誤の挑戦者が自分の先輩にいたということは驚きでもあり、誇りでもあり、そこから自身を照射する対鏡にもなっているのではないかと思います。

  • p.138「…自分の読解の仕方が、どのような立場からなされているのかをたえず問い直すことが求められるのだ。」

    p.167 「サバルタンとは単に耳を傾けるべき対象でも、ましてや語らせる客体でもなく、サバルタンでない人間が新しい主体を築くための対話のパートナーなのである。」

  • 約5年ぶりの再読。
    結構、面白かった。
    植民地主義とポストコロニアリズムをサラッと知るにはいい感じかも。
    現在の日本の無反省というか、見るべきコト・聞くべきコトへの無頓着な様への指摘は分かりやすいかも。
    スピヴァクとか面白そう。今度読んでみよう。

  • ポストコロニアリズムの概説書。

    ファノン、サイード、スピヴァクなど、ポストコロニアリズムを考える上で重要な人物の主要な著作の内容を紹介している。引用も多く、さらっと読めるので、ポストコロニアリズムの入門書として良い本だと思う。

  •  植民地(=コロニアル)を巡る問題は未だ解決していない。
     本書は、コロンブスの入植、食人の概念の流布から始まり、ファノン、サイ―ド、スピヴァクを経て、日本の植民問題に迫る。

  • 2007/05/17 購入
    2007/05/23 読了 ★★
    2011/05/16 読了

  • [ 内容 ]
    植民地主義のすさまじい暴力にさらされてきた人々の視点から西欧近代の歴史をとらえかえし、現在に及ぶその影響について批判的に考察する思想、ポストコロニアリズム。
    ファノン、サイード、スピヴァクの議論を丹念に紹介しながら、“日本”という場で「植民地主義以後」の課題に向き合うことの意味を考える、最良の入門書。

    [ 目次 ]
    第1章 一四九二年、コロニアルな夜明け
    第2章 「食人種」とは誰のことか―カニバリズムの系譜
    第3章 植民地主義からの脱却―フランツ・ファノンとアルジェリア
    第4章 「西洋」と「東洋」―エドワード・サイードとパレスチナ
    第5章 階級・女性・サバルタン―ガヤトリ・スピヴァクとベンガル
    第6章 「日本」にとってポストコロニアリズムとは何か

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • コロニアリズムとは「他者」との出会い・出会いそこねであるという視点から、ポストコロニアリズムを歴史的、思想的、文学的に読み解いた一冊。
    物足りない部分もあるが、ファノン、サイード、スピヴァクの思想が詰め込まれ、ポストコロニアリズム理論の入門書としては非常にいいと思う。
    岩波新書なので手に入りやすいところも魅力。
    とかいいながら、けっこう書店を探しまわったのだけど。

  • 現代世界に生きるわれわれにとって、本の100年前には存在していた植民地という負の遺産から眼を背けるわけにはいかない。
    「植民地主義以後」をどのように捉え、また考察した上でどのように行動するか。ポストコロニアリズムは、植民者と非植民者の両面からの、植民地主義以後へのアプローチである。
    本書は、思考の枠組みとしてポストコロニアリズムを理解するための入門書である。まず歴史上の大規模植民地活動の始まりと言える、コロンブスに端を発するアメリカ大陸の植民地化の歴史を、植民地支配を必要とするための方便としてのカニバリズムを通して把握する。その後3人の論者によるポストコロニアリズムへの姿勢・関心を紹介する。最後に、日本国内でのポストコロニアリズムに目を向ける(植民地主義は日本にも無縁ではない)。
    歴史を学ぶ際に、過去の出来事を理解するだけでなく、なぜそのような出来事が起こり、現在も続いているのかを考察するためのツールとして、ポストコロニアリズムに興味をもつ人の助けになる。巻末に参考文献もまとめてあるので、ここから知識を広げることが出来る。

  • たまたま古書店で見つけて購入。最近、私は写真家田沼武能のアンデスとカタルニアに関する写真集の分析をした論文を書いている。この2つを結びつける何かを考えていたところ、コロンブスの大西洋横断を発端とする、その後のスペインによる南米支配だというところに行き着いた。田沼が撮影のためにおもむいたアンデスの遺跡たちはスペインの入植者たちによって滅ぼされた帝国の残骸である。一方で、カタルニアはスペインの一地方。しかし、実はこの同じ時期にスペインでは国家統一がなされようとしていて、コロンブスがカリブ海の島に辿り着いた1492年に、カスティリア語の文法書が発行され、これによって、スペインはカスティリア語を標準語とする。そのことによって、一地方だったカタルニアでは、カタルニア語やその民衆文化を抑圧される。つまり、田沼が追い求めるのは、グローバル化の波によって破壊された土着の文化であり、風景であるといえる。私もコロンブスまでは気がついたのだが、この1492年の重要性については、ちょうど先日読んでいた、本橋氏の『映画で入門カルチュラル・スタディーズ』で知ったのだった。本書はこの議論をもっと推し進めたものだといえる。もちろん、岩波新書の一冊だから学術研究者に向けられたものではないが、それでも基本的な歴史的知識に疎い私のような者にとっては十分刺激的な本である。目次はこんな感じ。

    第1章 1492年、コロニアルな夜明け
    第2章 「食人種」とは誰のことか――カニバリズムの系譜
    第3章 植民地主義からの脱却――フランツ・ファノンとアルジェリア
    第4章 「西洋」と「東洋」――エドワード・サイードとパレスチナ
    第5章 階級・女性・サバルタン――ガヤトリ・スピヴァクとベンガル
    第6章 「日本」にとってポストコロニアリズムとは何か

    第1章はそんな感じで、ヨーロッパでも当時の先進国、スペインにおいて同時期にさまざまな分野で近代への移行がなされるという事実は本当に興味深い。そして、第2章についてはトドロフ『他者の記号論』、ヒューム『制服の修辞学』、グリーンブラット『驚異と占有』などで学んだはずだったが、「カニバル」という語自体、コロンブスの発明品だったとか読み落としていたこともあるし、中南米植民地化の話だけではなく、その後の帝国主義の時代に「食人」というのがさまざまな言説で利用されたという点なども勉強になった。やはりモンテーニュの文章は読まなくてはならない。
    そして、第3章以降は、1章に1人ずつ、ポストコロニアルの重要な論者が紹介されていく。まずはファノンだが、私も『地に呪われたる者』は一応読んだのだが、はっきりいってほとんど理解することができなかった。本書を読んで,それもそのはずというところがあった。やはりファノンの場合には彼がどんな人物で,なぜあのような書物を書かなければならなかったのかということを知らなければならないようだ。機会があれば,もう一度,今度は『黒い皮膚・白い仮面』から読んでみたいと思う。
    続いてはサイード。サイードの本は研究書を中心に日本語で随分読んだ。残っているのは,『文化と帝国主義』下巻(上巻が出版されてから下巻まではかなり間隔があいている)と『パレスチナ問題』だけ。しかし,ここではあくまでも思想家のアクチュアリティについて問題とするために,この3人の思想家を選んでいるので,やはり『パレスチナ問題』を読まなくてはいけないと痛感させられる。
    一番読んでいて勉強だったのがスピヴァクに関する第5章。スピヴァクは『文化としての他者』をかなり以前に読み始めたものの,あまりにも難しくて途中で挫折したきりなのだ。まずは,「戦略的本質主義」という立場について,著者の簡単な説明で妙に納得してしまった。常日頃から自分自身も含めて,社会構築主義的な,相対主義的... 続きを読む

  • p.20
     第三に思想の観点からも、こうした植民地国家において発達した人種主義や国家主義が、植民地の他者に負の負担を押しつける差別的思想を生んでいったことが植民地主義の特徴としてあげられる。たとえば血や言語の純粋性といった本来検証不可能なものを国家的な神話として創出し、自らの優秀さを誇るナショナリズムのイデオロギーなどがその典型だろう。

    p.160
     ひとが人種や性差、国民性のような本質に頼りたがるのは、それが自分の利害関係や既得権益を保障し、自分が強者であることを証明してくれることを期待するからだ。脱構築はそのような本質が絶対的なものではなく、ときどきの社会的な力関係に支えられた相対的な構築物にすぎないことを暴露する。

  • 09年終
    友人に借りた
    この分野の入門として読んでみた
    ・声なき声
    ある映画の例が印象的に頭に残っている
    ・本当に食人族っていたの?
    ・「野蛮な原住民―紳士な英国人」
    ・構築主義
    ・日本のコロニアリズム

  • フランツ・ファノン、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァクの三人を軸に、ポストコロニアリズムの思想を概説した新書。現代の「植民地」状況について知る入門書として適当だが、カルチュラル・スタディーズゆえのイデオロギー的主張の強さには賛否があり得る。

  • 授業のために読んで、内容は把握したけど....って感じ

  • ファノン、サイード、スピヴァクなど名前は知っていてもあまり馴染みのない思想家たちの思想を手際よく紹介し、植民する側でもされる側でもある日本人がどうその立場を把握し克服するかの手がかりとしている。

  • 近代が生み出した“植民地主義”をその現場から見直し、それを“超える”可能性を考える一冊。
    日本の戦争責任や、戦後の経済成長に隠れたもう一つの植民地主義を考えさせられる、日本人必読書。

  • ポストコロニアリズムを「植民地主義以降」として理解しながら、一方で「以降」とは「過去の省察からなされる現在の結果としてあるのだから、ポストコロニアリズムも過去と現在と未来という三つの視座との連関において考える必要がある」(はじめに、p?)と位置づける。その上で、「今はまだ他者の存在に対する傍観者でしかない私が、彼ら彼女らと同じ人間として、友人として出会うために何が必要か?」(p?)すなわち「精神的脱植民地化のため・・・―<他者>に友として出会うため」(p?)と本書の目的を据えている。

    1・2章では、コロンブス以来、いかに西洋がアメリカスで<他者>を創出してきたかを述べ、2〜5章ではファノン・サイード・スピヴァクの理論を紹介する。僕は3人の代表的なポストコロニズム論についてまったく不勉強なので、それぞれの理論の要約がこれでいいのかは全然わからないけれど、難解と評判のスピヴァクをかなりわかりやすくまとめてくれているのは、理解の助けになった。

    たとえば、本書で紹介されているスピヴァクの論をさらにまとめた『スピヴァク読本』によると、僕たちがたとえば日本で学ぶということは、「性や人種、社会的地位などに関するさまざまな偏見や差別をも無意識のうちに学んでしまっている」「しかしそれが学んだものである限り、なぜ自分がそのような偏見を育んできたのかの歴史や状況をふたたび学びなおすことで、捨て去ることもできる」(p158)。こういう視点は、僕たちが勉強するときに非常に重要な視点だと思う。ただ、これはプラトン以来の一般的な懐疑主義の焼き直しのような気も、しないではないけれど・・・。

    しかし、ポストコロニアニズムの概説を終え、それを日本に適用する6章から急激にこの本の魅力は失われていくように感じた。それはなぜならば、西洋で育まれたポストコロニアニズムの図式を、日本にそのまま適用してしまっているからではないか。「アイヌ自身が歴史の主人公として立ち現れる」ためには、本書によって図式化されたポストコロニアニズムによる「支配者」と「被支配者」の構図ではなく、まさにアイヌの歴史そのものから、彼らと彼ら以外<他者>の関係を構築していく作業が求められるべきなのではないだろうか。

  • 最終章あたりから作者の思想が見え隠れしている気がします。

    取り上げられている人物たち(サイード、スピヴァグら)の業績とか思想を知る分には十分な本だと思いました。

  • 2007/05/17 購入
    2007/05/23 読了
    2011/05/16 移動

  • 植民地主義の前史から書いてある点が嬉しい。ファノン、サイード、スピヴァックを取り上げて論じた各章のうち、ファノンは面白く読めたし、スピヴァックも納得だけど、サイードは「?」。6章の「日本」の章は、別途じっくり書いてもらった方が良かった気がする。

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