憲法とは何か (岩波新書 新赤版 1002)

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  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004310020

作品紹介・あらすじ

憲法は何のためにあるのか。立憲主義とはどういう考えなのか。憲法はわれわれに明るい未来を保障するどころか、ときに人々の生活や生命をも左右する「危険」な存在になりうる。改憲論議が高まりつつある現在、憲法にまつわる様々な誤解や幻想を指摘しながら、その本質についての冷静な考察をうながす「憲法再入門」。

感想・レビュー・書評

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  • 仕事のための読書。
    刑法、民法、裁判所についての本を読んできて、次は会社法にしようかなと思いつつ、まずは基本を抑えるべく憲法を選択。

    本書は、憲法学者である著者が、憲法について立憲主義や民主主義の観点から解説をした本です。
    ……。
    はい、偉そうに書きましたが、正直に白状すると、この本を読んでまず心に浮かんだ気持ちは、
    「む、む、むんずかしいぃ~~!!」

    書名から漠然と日本の憲法の成り立ちや中身、現在議論されている問題点が集められているのかと思いきや、そうではなく。
    より根本的に、憲法をもつということ、立憲主義とは国ががどうあることかについて書かれていることを理解したのが、読みはじめてしばらくたった頃。
    著者独特の切れ味の鋭い文章の流れに、油断しているとすぐに頭が置いていかれてしまうので、こんな時のためにと買っておいた『もういちど読む 山川政治経済』を出してきて、立憲主義や議会制民主主義の項目を読み、言葉の定義を確認しつつ、なんとか読了。

    理解が及ばない部分は多々ありつつも、私が面白かったのは、憲法学者である著者自身が、人々にとって民主政よりも大事なことは、今夜の夕御飯をはじめとしてたくさんある、と言っているところ。
    学者なら、民主政は大事だよ、みんなちゃんと考えようよ、となりそうなものなのに!

    それから、憲法からみて「守るべき国」という表現の「国」とは、その憲法が掲げている国体のことであって、人々が住む国土や暮らしのことではない、というところ。
    私はこれまで漠然とこの二つを混同して、毎日の暮らしは大事だけど、国を守るためにそれを犠牲にしなければいけないとしたら、どうすればいいの?などと思っていた。

    たぶん、私を含めて沢山の人が、
    「政治ってよくわからない」
    「法律ってむずかしい」
    と感じていると思う。
    で、私の場合は、間違えたら恥ずかしいし、とそれらを話題にするのが億劫になっていた。
    でも、その感覚は実は正しくて、憲法や法律の運用はたくさんの解釈の積み重ねによって行われるものだし、利害関係の調整は常に面倒で複雑になるから、よくわからないのは、当たり前。
    だから、逆にそれらをないがしろにするような人がいたら、慎重になろうくらいのことを頭にとどめておいて、普段からもっと堂々と「よくわからないね」と話していいのかもしれない。

    本書の中で、立憲主義とは、「この世には、人の生き方や世界の意味について、根底的に異なる価値観を抱いている人々がいることを認め、そして、それにもかかわらず、社会生活の便宜とコストを公平に分かち合う基本的な枠組みを構築することで、個人の自由な生き方と、社会全体の利益に向けた理性的な審議と決定のプロセスとを実現することを目指す立場」と定義されています。
    確かに、一緒に住んでる夫でさえ、たまに何を考えてるかよくわからない、となるわけだし。
    私は、やっぱり、人間にはそれぞれの生き方があって、それが相容れなくても、まどろっこしいやり取りを重ねていくという考え方がしっくりくるなあ。
    もうすぐ選挙があるけど、そういう意味では、どこがどのように勝つかというより、誰に投票したらいいかよくわからないしめんどくさいなと思いながらも、細々と、でもしぶとく投票をし続けていくことこそ、大事なのかもしれない。

    あれ?
    仕事のための読書が、そうでもなかったような。
    まあ、どっちでもいいか。

  • 憲法とはなにか、という入門書。のはずが自分の読解力が乏しすぎて所どころわからないところが…
    憲法改正という言葉はニュースを見ていれば時々(よく?)出てくるが、いったい憲法の何を改正するのか?誰が改正の是非を決めるのか?という知識は曖昧だったので、そういう意味ではこの本は根本的なことを知るうえで便利だ。
    憲法改正のプロセスやその手順で重要なことなど、いろいろ考えさせられるような内容だった。憲法はその時の政権にとって都合のいい物として改変されてはいけない。普遍的で、なるべくすべての国民にとって望ましいものでなければいけないから、改憲をする場合は手短に、というわけにはいかない。開かれた場所で改憲賛成派と反対派の討議を行い、それぞれの意見を吟味してから投票をする。事項もまとめてではなく個別で。改憲を果たすためには非常に長く地道な作業を求められるんだなぁ、と感じた。けれどその地道なプロセスが、果たして本当に改憲は必要なのか?と自問する機会を与えてくれる。そしてきっと、その自問をする時間が一番大事なんだと思う。

  • 安保法案を与党推薦人ながら違憲証言した注目の方をなぜ自民党は見誤ったのかを知りたかった。タイトルどおり、憲法の本質を哲学的、政治学的に追究していく内容の濃いコンパクトな一冊!。ホッブス、ルソー、カント、モンテスキュー、ロールズ・・・。昔、教科書で学んだ名前が次々に登場、正に根源から考えさせられた。「憲法9条による軍備の制限も、通常の政治のプロセスが適正に働くための規定」(P12)「従来の政府解釈で設けられている制約-たとえば集団的自衛権の否定-を吹っ飛ばそうというのであれば、その後、どう軍の規模や行動を制約していくつもりなのかという肝心な点を明らかにすべき。その見通しもなく、どこの国とどんな軍事行動について連携するつもりなのか-米が台湾を実力で防衛するとき、日本は米と組んで中国と戦争するつもりはあるのか-さしたる定見もないままに、とにかく政治を信頼してくれでは、そんな危ない話にはおいそれと乗れませんとしかいいようがない。そこまで政治が信頼できるという前提に立つのであれば、憲法などもともと無用の長物。」(P20)あまりにも的確な予言ぶりに驚き、快笑!成立を急いだ杜撰な国会の裏面を見た。「憲法改正」そのものの哲学的意味について論じる。2度の大戦も、冷戦も憲法の掲げる国の基本秩序を巡る戦いだった!日本は立憲主義の理念を持つ国。まずは日本をどういう国にしたいのかを基本的に決定することの重要性が力説される。(P59)著者は議院内閣制が優れ、大統領制が例外的に真に巧く機能している国は、独特の政治文化が存在する米国だけだとする。従って改憲による日本の首相公選制を否定する。また憲法改正の特別多数決の護持も主張する。憲法改正、或いは解釈の変更が必要だとの主張は全く見えてこない!確かに解釈で変更の余地があるような記載もあるが、少なくとも9条等の基本理念に関わる部分ではない。最後に、世界唯一国家の誕生は果たして理想か!この点も「魂なき専制」が齎され、無政府状態への堕落が予測されるとの著者の論理は明快。

  • 社会の授業でのことです。憲法と法律が区別して書かれていました。憲法は法律ではないのだろうか? という疑問がわいてきました。世の中では憲法改正、第九条は絶対守り通す、など様々な意見が飛び交っています。私の中では、現日本国憲法は第二次世界大戦後、アメリカ人の手によって作られたと聞いたこともあるし、ここらで、自分たちの憲法を作り替えてもいいのでは、と安易に考えたりもしていました。それで、本書を読んでみることにしました。法学も政治学もほとんど予備知識の無い人間ですから、もともとの三権分立の意味や、大統領と首相との違いが書かれているところを見て、なるほどと感心してしまいました。これで、フランスになぜ大統領と首相の両人がそろっているのか納得できました。そして、憲法というのはすべての法律の大元になっているものだということが理解できたと思います。そこの解釈の仕方が常に国会で議論になっているのだということも。こういうことって常識なんでしょうか? ひょっとして、中3生などはすでに教わっていることなのかもしれません。もし、自分も中学生のころに習っていたとすると、何にも身についていなかったということになりそうです。さて、本書には憲法改正についての手続きについてもくわしく書かれています。近々、そういうことが必要になるのかもしれません。国民の一人として、しっかり考えて投票したいものです。(この本を読むころまでは、本当に情けない状態だったんだよな。自分がです。)

  • 高名な憲法学者が憲法の役割や立憲主義における立ち位置などを初学者にも分かりやすく解説した本である。初版は2006年とだいぶ古いがその当時より、憲法改正の機運が徐々に高まっていたのを記憶している。

    本書の主な主張は憲法の硬性性を訴え、無闇な憲法改正の危険性を指摘しているという所だろうか?本書では法学者らしく精緻で論理的な議論が展開されていて、読者にも著者の主張の正当性を確認することができるだろう。

    しかし物事は表裏一体である。浅学ながら偉そうなことを言うと私は法学の特徴はその対象の解釈がある程度自由にできるということにあると思う。例えば集団的自衛権を日本国憲法から容認することからも私の主張に援用することが出来ると思う。

    そのある程度、自由な世界を規律づけるのは一体何であろうかと言うと、司法であったり大学の権威であると思う。本書においても自らの主張を肉づけるために高名な学者の説を引用している。確かに説得力を感じるし私も支持するものであるが前述の通り理論的な反論も可能であると感じた。

    ここで僭越ながら私の憲法改正に対して持論を述べたいと思う。専門の方からしたら噴飯物だろうが素人ならではの考えもあるかと思う。

    憲法改正は特に保守派が主張しリベラルは護憲的立場から反対を表明している。しかし、私はリベラル派も積極的に憲法改正の議論に立つ方がいいのではないかと思う。

    その根拠が、日本国憲法のそもそもの正当性である。厳密なことはしんどいので間違っているのが前提だが、日本国憲法の前の憲法である大日本国憲法は天皇主権が謳われており、それが基本的原理であった。その憲法から国民主権を基本的原理とする日本国憲法への改正というのは本来ならば出来ないらしい。

    そのため日本国憲法の正当性を付与する通説として八月革命説が導かれた。八月革命説の詳細については芦部信喜の憲法を参照して頂きたいが、要するにポツダム宣言の受諾によって一種の法的な革命が起こり政治体制が根本的に変化したとみなす説である。

    この通説は法学者の間では受け入れられてるのだろうが一般的な革命という用語からイメージするものと、実際の事象とは違うのではと素人は思ってしまうのではないだろうか。革命とは非支配階級が支配階級の体制を転覆するイメージがあり、そのような定義であろう。実際には、その当時の国民は竹槍をもって本土決戦に備えていて反体制派が何かやり遂げたという歴史的事実は無いし、そもそもポツダム宣言を受諾したのは昭和天皇の聖断からである。

    以上から八月革命説を支持しない私にとっては日本国憲法というのはそもそも法規範として弱いものであると思うし、改正派にも攻撃を与える余地があると思うのである。

    戦後、日本国憲法は押付け憲法であるとして、保守派が改正の取り組みをしたり大日本国憲法への復権運動も展開された。それは復古的でもあるが同盟国のアメリカにとっても都合がいいものであろう。一方、憲法学者を始めとする護憲派は守勢に回らざるを得ない状況が続いていた。このままいくとこの弱い憲法が死文化してしまうか、危機を煽り改正派にとって都合のいい憲法が生まれる可能性もある。

    そこで発想を転換して護憲派は積極的に憲法改正の議論に加わることによって、反戦、人権を重視する日本国憲法の理念を守ることができるかもしれない。

    改憲議論を盛んにすることはむしろ護憲派にとってもメリットがあるだろう。

    例えば我々一般市民に、立憲主義とは何か、人権とはなにか、日本国憲法にこめられた反戦のメッセージ?を再考することが出来るだろう。

    憲法改正に向けての議論は盛んになり極端な議論も散見されるだろうが私はあまり悲観していない。それは私が大学時代に憲法学の講義を受けた経験による。彼ら彼女らは、厳しい訓練を受け、厳格な論理性を育んだプロであり、説得力のある提言を市民に提供してくれるだろう。

    また日本国憲法の基本的理念は国民主権でありそれは改正不可能であるが憲法9条も成立経緯を踏まえると極めて改正困難であると私は思う。それはマッカーサーが憲法改正に要求したマッカーサー三原則に戦争放棄が示されておりこの基本原則を変えることは日本国憲法の主旨に反していると言えるからだ。

    ここまでの議論は稚拙であり反論の余地はあろう。しかし私は日本国憲法をあえて過去の遺産とすることでその憲法の正当性を与えることになり国民主権、戦争放棄の理念がより強固になるのだろうと思う。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB00069710

    (推薦者:行政政策学類 金井 光生先生)

  • 憲法とは、同質の価値観が維持されていた中世の宗教世界が崩れた近代において、多様な価値観・世界観を抱く人々の公平な共存を図るための枠組みであり、国家の構成原理である。

    憲法は国家の構成原理であり、近代における多くの戦争は異なる憲法を攻撃目標とする敵対であるという点、国家の憲法と憲法典が違うという点は新しい視点だった。

    長谷部先生の本は初めて読んだのだが、結構保守的な立場から書いてあるように感じた。
    憲法典を変えても憲法が変わるわけではないし、変更の必要がある場合でも、解釈や一般法の制定で対処できるといった改憲についての議論は納得できる部分もあるが、九条については明らかに無理のある解釈をしていると感じるし、解釈の幅が広すぎると憲法典が有名無実化してしまうおそれがあると感じる。
    また、憲法典についても同じことが言えるかは難しいところだが、国際化・多様化が進む現代においては、同質性を前提とした曖昧なローコンテクストコミュニケーションは通用せず、明記が必要な部分は明記していくべきなのではないかと思う。
    憲法典を変えることを自己目的としてはいけないという点については大賛成なので、憲法つまり国のあり方について、国民の間で議論がされるような土壌を作られていくといいなと思った。

  • 面白い。本書が書かれたのは2006年。恐らく、第一次安倍政権の誕生前に、憲法改正論議に対する筆者の意見を提示する目的で書かれたものだろう。
    そもそも憲法とは、立憲主義から導かれるものである。立憲主義の起源は大航海時代や宗教戦争を経たヨーロッパにある。多様な価値観を尊重しながら人々が公平に共存するための枠組みである。その特徴は、公私を区別することにある。一方に個人の価値観に沿って生きる自由を保障する「私」を、そして他方にこうした多様性にもかかわらず人々の共通の利益を実現する「公」を置く。
    筆者は、オックスフォード大学の法哲学者ハートの議論を用いて、憲法典の改正を説明する。本来、法は一次レベルにあたる。そして、何が妥当な法かを判断する規範として、二次レベルに憲法を置く。いわば、憲法は「選択の幅を制限」し、国家が目指すべき社会の在り方の指針を掲げる「慣行的規範」なのである。さらに進んだ三次レベルとして、その慣行的規範を意図的に変更するための規範が必要になる。これが、憲法改正手続きに関する条文である。だが、この条文を変えて憲法がどう変わるのかということは、専門家集団の判断によって直接決まる。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705590

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著者プロフィール

早稲田大学教授

「2022年 『憲法講話〔第2版〕 24の入門講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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